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インドのヨガの聖地で瞑想をしてみたら、マインドフルネスどころか雑念だらけになった

最近話題の瞑想。マインドフルネス。

そんな言葉に惹かれて、世界一周中にインドのヨガの聖地リシケシで瞑想を体験してみた。リシケシは、「ビートルズ」や「スティーブ・ジョブズ」、「菅野美穂」などそうそうたる面々がヨガをしにやってくる、ヨガの聖地。もはや、ここにくれば放っておいてもヨギー(片岡鶴太郎)になれちゃうわけだ。

ただ、リシケシでの瞑想体験は結果からいうと、マインドフルネスになるどころか、雑念だらけになった。それもこれも僕の修行不足が招いた結果だ。


アシュラム(道場)を選び、飛び込みで瞑想体験へ

リシケシには、アシュラムと呼ばれる様々なヨガ道場があり、そこに泊まり込みでヨガや瞑想を学ぶこともできれば、飛び込みでレッスンに参加することも可能。

身体が固すぎて、ストレッチをするだけで笑いがとれる僕は、いきなりのヨガ体験にビビり、とりあえず手始めに瞑想に参加することに。


いきなり雑念の種をまかれる

受付を済ませ道場に入ると、そこには泊まり込みでヨガを学んでいる日本人とスペイン人の姿があとあと聞くと、こちらの日本人は、ピラティス界のスーパースターだったのですが、ここでそれを書くと瞑想の話にマインドフルネスになれないので、一旦置いておこう。

そして、もう一人のスペイン人がくせものだった。どうやら、彼はレッスンをさぼりがちのようで。瞑想の先生が道場に入ってくるなりスペイン人を見つけこう切り出した。


「あなた、昨日の夜、またフラフラと街を出歩いていたでしょう?」

「あなたは、なぜここに来たの?日常をマインドフルネスにしなければ、本当のマインドフルネスは手に入らないわ。」

いきなりの大説教。もうこうなってくると隣のスペイン人のことが気になりすぎて、瞑想どころではない。いきなり雑念の種がまかれてしまった。

ちなみに、スペイン人はそんなに気にする様子もない。これも一つのマインドフルネスなのかもしれないな、などと考えているうちに先ほどの種が発芽したようだ。


雑念1 英語のリスニング力に難あり

さて、そんなこんなで瞑想のレッスンがはじまる。ここで困った問題が発生した。ここはインド。瞑想のレッスンはすべて英語で行われる。

 「ゆっくり息を吸って」 「自分の内側に目を向けて」 「手と手を合わせます」 次々と英語で出される指示。

※わかりやすくするために全部日本語表記しとります。


「あれ?今なんて言った?」「この単語前に習ったな。どんな意味だったっけ。」「あーこないだ勉強した表現だ。こりゃ勉強不足だな。」 

僕の中の雑念の芽にどんどん水がまかれていく。

フィリピンへ英語留学したことを思い出し、「海綺麗だったな」「あーみんな元気かな」「チャイムの音色独特だったな」と雑念の成長の勢いはとどまるところをしらない。


雑念を育てまくっている間にも、先生からは次の指示が飛ぶ。

「親指で右の鼻、薬指で左の穴をふさぎます。片方をふさいだらgぜうっlcvfさkっphfdそhcj」 もはや、日本語で言われても理解不能な指示。そんなことを英語でいわれた日には、もはや頭の中はお花畑だ。


僕は決めた。隣のスペイン人の動きを盗み見するしかない。さすがの夜遊びスペイン人も、今はマインドフルネスだろう。いや、もしかしたら先ほど怒られたことを結構気にして、あんまりマインドフルネスじゃないかもしれないな。日本人にはそういうタイプが多いけど、そもそもスペイン人って性格的にどうなんだろう。もはや、雑念すら飛び越して、スペインに想いをはせそうになった。気をとりなおし、なんとか意識を先生に向ける。

そうだ、今から盗み見をするんだった。瞑想中に最もふさわしくない言葉、それは「盗み見」である。

 ただ、先生は先ほどから目を閉じることを強いてきている。僕の心の動きを読むかのように、何度も「close your eyes(目を閉じて)」と呼びかけている。雑念なく聞き取れる唯一の指示が「close your eyes」だなんて。 困ったことになった。


雑念2 見るべきか見ないべきか

先生はさらに追い討ちをかける。 「周りの人のことを意識から完全に追い出すの。自分にだけ集中して」 おそらくそんなことを言ったのだろう。こうなってくると頭の中では完全に天使と悪魔が戦いだす。

「見ろ、見るな」の攻防。


そんなことを頭の中で繰り広げているうちに、全く指示がわからなくなった。明らかに僕だけ周りと違う動きをしている。

最後に聞き取れた指示の通り、「合わせた手をハエも驚くほどの勢いでこすり続ける」を実行しているが、周りの人が動いている気配が全く感じられない。

ちなみにこれは、スペイン人の動きを盗み見した結果、わかった指示だ。僕の中の悪魔が勝ったのだ。とうとう瞑想によって心の中の悪魔まで育ててしまった。あ、「ハエも驚くほどの勢いで」の部分は、僕の勝手な解釈だ。スペイン人が高速で手のひらを擦り合わせているのをみて「ハエみたいだな」に起因する。

 

次の指示がかすかに聞こえる。しかし、英語のリスニングはもちろんのこと、ハエも驚きのスピードで手をこすりつけている音で指示がよく聞こえない。 


見るべきか、見ないべきか。 意を決して見ようとすると、先生の「close your eyes」「Don’t look other people」の声。

 先生、お願いだから「目を閉じろ」と「他の人を見るな」という指示をもう少し難しい単語と構文で表現してくれないか。という新しい雑念も芽をのぞかせる。


雑念3 自分の声に耳をすますと

ただ、僕の中の悪魔はどんどん成長を続けている。雑念のお花畑を踏み荒らし、もはや他人の動きを盗み見ることに迷いはなくなった。ある意味マインドフルネスに成功したともいえる。


迷いなくスペイン人の動きを観察すると、どうやら次の指示は 「人差し指を耳に突っ込んで、深く呼吸し、あーと声をだし、自分の内側の声を聞く」というものらしい。

※だいぶ勝手な解釈でお送りされております。


 よし、やってみよう。 

「あー」

 ん? あーの音程がわからない。 いや、ここは気にしたら負けだ。自分の好きな音程でやってみよう。 音が安定しない。。 「一体どうすれば、うまく あー と言えるのか」という雑念が爆誕した。 


「気にしたら負けだ」という雑念が私の「どうすればうまく あー と言えるのか」という雑念と戦い出す。もはや雑念の鬼。悪魔の次は鬼まで。

日常生活でもここまで雑念を感じたことはまれだろう。ちなみにこの時、次の雑念「何秒間 あー と言えばいいんだ」が湧き上がる予兆を感じ、必死にその雑念を抑えようと戦うことに。

 

気づいたときには、もう周りの誰一人「あー」とは言っていなかった。広い道場に響く僕の「あー」。逆に雑念に意識を向けすぎたようだ。


そして雑念は続く   

   
このあとも 僕は鬼と化して

「いつまでやるんだこれ」

 「先生はさっき想像しろと言ったが、今は右足を触れと言っている。実際に触るのか?想像の中で右足を触るのか」 

といった様々な雑念と戦うこと1時間。瞑想の時間はあっという間に終わりをつげた。


というわけで、僕のヨガの聖地での瞑想体験は、結果的に自分が鬼と化し、心の中に悪魔を育てることで終わった。


いや、これはあくまで僕の場合ですよ?先生もものすごくいい人で、初めてだからなかなかうまくできなかったという僕に対して、優しく微笑んでまずはその体験からよ。でも、そうやって一生懸命に意識を向けようとすることが大切なのとおっしゃってくれた。

ちなみに、隣でやっていた妻はものすごくマインドフルネスできたようで「やっぱり瞑想っていいね。これからもちゃんと毎朝瞑想しよ」と言っていた。ある一定の英語力があって、心の清い方には最高の体験が待っていることを保証します。

次の日のヨガクラスも最高だったようで、妻は「一ヶ月リシケシに行って本格的にヨガをやりたい」と意気込んでいる。妻がヨギーになる日もそう遠くないのかもしれない。

あと、アーユルヴェーダが受けられたり、綺麗な上流のガンジス川が見れたり、ベジタリアンの街なんで健康的な食事がとれたりと、リシケシは本当にいいところです。誤解なきよう。

サポートしていただいたお金は、旅の資金に回し、世界のどこかであなたのことを勝手に想像してニヤニヤしたりなどします。嫌なときは言ってください。