長崎に残る戦争の記憶—新興善小学校と金比羅山を巡る歴史の足跡

8月9日 長崎の原爆投下から79年。
様々な場所に眠る長崎原爆の傷跡。
長崎の子供達は
必ず8月9日が登校日で祈りを捧げます。
これが全国で実施されている事だと思い込んでいたあの頃、
長崎に住んでいると、当たり前に感じていた事が県外にいくと見かけない。
改めてその片鱗を綴ります。

1: 新興善小学校の歴史を紐解く—特設救護病院としての役割

新興善小学校は、私が通っていた小学校であり、
戦後の歴史に深く関わる場所でもあります。
1945年8月9日に長崎に原爆が投下された直後、
この学校は特設救護病院として使用されました。(※現在は市立図書館)
小学校の時、
原爆に関する書籍を学校の図書室で読んでいた時にページを捲ると、
その本に映る写真
(人々が横たわっている写真)の場所が
その時私がいる図書室であった事にかなり動揺しました。

また、体育館の倉庫は【手術室】というプレートが貼られていて、壁や床は水や血を弾く為なのか薄い水色のタイルが全面に施されていました。

体育で使用したボールを
そこへ片付けにいく事が
少し怖いなと感じていました。
大人になって当時の状況を考えると、
どれだけ多くの人々がここで命をつないだのか、また、落としたのかその光景を想像するだけで胸が痛みます。



2: 新興善小学校の運動場に残る戦争の記憶

特設救護病院の運動場は、
原爆投下後に多くの遺体が焼かれた場所として知られています。この悲惨な過去がある運動場。

その場所で勉学や運動に励んでいた子供たち。
7歳~12歳のそこに通う子供たちは
悲しみの場所ではなく、
【楽しい場所】として純粋な気持ちで過ごしていました。

とある日、
県外の学校がやっている肝試しに感化され
肝試しや幽霊関連のイベントを、
ある学年の生徒達が提案したところ
市役所から反対されたという事を聞きました。
【そうか。そうだった。ここはそういう場所ではない。】
その時、改めてこの場所の重要性に気づきました。

運動場に立つと、ただの遊び場としてではなく、
深い歴史の一部であることを
強く意識させられます。
戦争の記憶がこうして私たちの身近に存在し、
忘れてはならない教訓として受け継がれているのです。

3: 金比羅山で見つけた防空壕

バスケの練習で登った長崎の金比羅山。
(真面目にやっていなかったのに、それには何故かついて行った。)
そこでもまた、
戦争の記憶に触れることがありました。
山の途中に防空壕がひっそりと残っていたのです。
この防空壕は、かつての人々が命を守るために駆け込んだ場所であり、
私たちに戦争の現実を感じさせるものでした。
スポーツという平和な活動の中で、こんな形で歴史を振り返ることができるとは、当時は思いもよりませんでした。



このように、長崎の街には、原爆の悲惨さが今もなお生き続け、私たちに多くのことを語りかけています。それぞれの場所に宿る歴史の重みを、次の世代に伝えていくことが大切だと感じます。

毎年長崎新聞📰の8月9日の朝刊は考えさせられます。見てみて下さい。

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