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久しぶりに行った園で友達トラブル発生!そこから見えてきた私の認知のカケラ

こんにちは!
発達科学コミュニケーショントレーナー
よしだけいこです。

今日あった出来事から感じた事を
綴っていきますね。

不安がつよい娘はママとなら園に入れるけれど、
娘の通う園は母子登園のシステムはありません。

なので、月曜の朝にある
園庭開放の時間に一緒に行くことがあります。

娘も保育園は好きなんだけど
とても怖い場所があって
通りたくないんだと話してくれました。

そして今日は、
味噌づくりの体験があるので
一応、準備はしていきましたが、
「外で遊んでから行きたい。」と
教室には入りませんでした。

園庭の裏庭で、
用務員さんが畑仕事をしていたのを発見し
クワや、肥料など、ジャガイモを受ける準備を
見ていました。

遊具で遊んでいる時に、すべり台を滑っていて、
ひとつ下の男の子が寄ってきて、
滑ろうとしている娘の背中を押しました。

娘は私に「あの子がおした。」と報告してくれました。
「そっかそっか、嫌だったね。」というと、
次の遊具で娘は遊び始めました。

するとまた、さっきの男の子が来て、
娘が触っている遊具に手をかけ、
力いっぱい動きを止めました。

娘は、
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!!!」と叫びます。
めいいっぱい抵抗して、大泣きです。
でもその男の子は、やめません。

先生は近くにはいませんでした。


よし、ピンチはチャンス。と捉え、

気持ちをどう表現していいのかわからずに、
叫んでいる娘に近寄り、手を触れて、
「嫌だよね。ママもそう思う。」
「いま、やめてって言葉で言える???」
と話すと、

めちゃくちゃピンチなのに、
ちゃんと声が届いて、泣きながらしっかりと、
「やめて!」と言えました。


そして、相手の子には、
「今使っているからやめてくれる?」
とお願いすると男の子は、
スッと手を放してくれたので。
すかさず「ありがとう」と言いました。


どちらも、
叩いたりすることはなく
ちゃんと話を聞いてくれたので
とてもよかったなと思いました。


この場面になったときに、
もし私がいなかったら、
助けを求める人はいない。


嫌なのに手を放してくれないのは、
とても怖いことだし、イヤだと思う。


きっと、園が怖いワケには、
こんな積み重ねも
あるんだろうなって思います。


子ども同士のけんかには、
口を挟むのは、
賛否両論あるでしょう。


しかし、これがお互いに
脳機能が未熟で表現の仕方が分からず
子どもたちが苦しい思いをしているのなら、
話は別です。

しっかりと介入して、
気持ちよく対応できるコミュニケーションを
教えていくことが必要なのだと思います。


先生の目が届かない場所で、
なにかが起きたところを
目の当たりにしました。

相手の男の子は、
発達がアンバランスな子なのだと
はっきりわかりました。

特性が強そうで、
先生が最初はついていたけれど、
その時はいなかった。

先生も、そんなことがあったんだね。
嫌だったね。声をかけてくれたおかげで、
気持ちを受け止めてくれたと安心して
落ち着くのが早かったように思います。

こんな場面って、
これからたくさん出てきますよね。

とくに、繊細な子どもは、
コミュニケーションの苦手さがあり
まだできないことが多いからこそ
手厚くしたい対応なのに、
先生がいないもどかしさを感じました。
(先生が悪いとかそういうことではないですよ。)


娘のように、
本人がヘルプの出し方が分からない
ということがあるので、

助けて!手伝って!と言えるように
親が教育していくことも
確かに必要なことです。


ここからは、
場面かんもくがあった
私の個人的な考えを話しますね。

昔、変質者であろうおじさんに
おじょうちゃん、お尻見せて。と
声をかけられたことがありました。

そのとき、
何とも言えない恐怖に駆られ、
声が出ませんでした。

身体も一瞬、
フリーズしてしまいました。

近くにスーパーがあり
そこに逃げ込みトイレに隠れ、
幸い、しつこく追ってこなかったので
助かりました。


そしていつも、
実際にこの恐怖を何度も思い出しては、
考えたことがあります。

どんなことかというと
実際にその恐怖に出会ったときに、

私は体が動かせるのか、
ちゃんと声が出せるのか、
という疑問です。


そして今日の娘の体験を見てから
ヘルプを出したいのに、出し方が分からない。
ヘルプを出したけど、誰もいなかった。
そもそもヘルプを出せない。
→出したいのに出せない。


生きていくには、
何が必要なのかを
深く考えさせられました。

残念なことに、
実際に知的障害者を狙った
犯罪があったりもします。


一般的には防犯ブザーが
あるかもしれませんが、
園の中ではありません。


ブザーが鳴っていても
気づかなければ、
何もなかったことになる。


もうひとつ
エピソードがあるので書きますね。

小学一年の頃、
支援級の6年生の男の子が
暴れ出して、


なぜかその辺りにいた
私が捕まり、振り回される
という出来事がありました。


そこにいたから、
捕まった。


なす術もなく、
行動が止まるのを待つと
興味が逸れたのか
下ろしてくれました。

先生は助けには
来てくれませんでした。


相手に自分の意思が通じない。
ってことは、怖いんです。


意見を聞いてもらえないことが
悲しい感情もあるでしょけど、


それ以上に、
自分のチカラが及ばないから
恐怖なんです。


死を感じる手前のような恐怖を
不安が強い子たちは感じています。
常にヒヤヒヤしてるんです。


危険だから脳の習性として
学習していく。


昼休みにおきた
小さな出来事ですが、
助けてもらえない恐怖は
今も根強く残っています。


だから、娘の友達トラブルを
見ていて私自身が
怖かったのだと気づきました。



私の感じ方が、
ネガティブに偏っているのは
そうしたかった訳では
ありません。


もともとの脳機能と
これまでの経験からです。


だから私は
枠からはみ出てしまう
パステルキッズたちにとって
居心地よくなる場所を作りたいと
強く思うのです。



学校や園など、親の目の届かないところで
心をすり減らしながら頑張っていることを
認めてあげてくださいね。

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