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ママだいきらい!!の言葉から過干渉の場面を振り返った話

寝る前に、娘からママだいきらい!と言われた日のことを書いてみます。

なんの装飾もありません。
淡々と書きます。

娘が冷たい目で、
「ママだいきらい」と言って寝た。
ショックだった。


だけど、それでいい。
それが自然な気持ちだ。


そうなった経緯はこうだ。
ふわふわとチクチクことばを読んだあと
娘が紙に書いてアウトプットをしていて、
その紙にママが書き込んでしまったからだ。


つまり、ママが境界線を
超えてしまったことに気が付かずに
紙に書いてしまったのが嫌だったらしい。


俗に言う「過干渉」というやつだ。


「紙に書く前に、ここに書いてもいい?
ってひよに聞いてよ。」

と教えてくれた。


本当にその通りだと思った。
知らず知らずのうちに
やってしまっている過干渉。


イヤだ!と言って、
娘のほうから教えてくれている。


注射のときもそうだった。
よしだ〇〇さーんと
名前を呼ばれたあとに
娘は足が進まなかった。


診察の迷惑になるから
早く行かないと!!!と思った私は、
抵抗する娘を無理矢理抱っこをして
診察室へ連れて行った。


娘は翌日に
ママが抱っこして行ったのが嫌だった。
と悲しい表情で話してくれた。

自分のタイミングじゃ無かったから
心の準備ができていなかったんだな。
と自分の行動を振り返った。


あれ?この感じ、、、
どこかで感じたことがあるな。
そうか、保育園の登園とおんなじだ。

登園拒否をしている娘に
同じことをしていた。

大人のタイミングで動かすのではなく
子どもが動き出すタイミングを待って
行動することがどれほど重要なことかが
全く分かっていなかった、あの頃と
同じことをまた、繰り返した。


だけど、あの頃と違っているのは、
大人のタイミングで動かそうと
していることに気がついていること。


次に同じような場面になった時に
どんな行動を取ればいいのか作戦を
練っておかないと、同じ繰り返しになる。


次に取りたい行動は「待つ」こと。


作戦といっても、
どんな声かけよりも、穏やかな表情をして
娘の行動を迎え入れるぐらいの器を
持っておくことなのかもしれない。



ママだいきらいとは言ったものの、
右脇に入ってきて
腕を枕にして寝ていたので
かわいいなと穏やかでいられた。


反抗期なんだろう。


文字を書く時に
字の形を思い出しながら書くとき
「な」が書けなくなった!と
泣き怒りをしていた。


掃除をしながら、
しばらく放っておくと
「な」ってどうやって書くんだっけ?
と聞いてきた。


いざ教えようとして
文字を全部書いてしまうと
自分で思い出したかった!!!と
めちゃくちゃ怒った。


次からは
「一画ずつヒントを出す」→「待つ」
という方法に変えた。


そしたら、
自分の記憶を使って
「あ!💡」とひらめくようで
一画だけのヒントで書き出した。


1人で書けるように
なりたい気持ちが大きい。
だからこそ感じる気持ちがある。

ママになんか
教えてもらわなくても
できるもん!

私だって
1人で立派にできるもん!
と反発をする。


それさえ分かっていたら、
理不尽だと思うこともないし
対応も難しくない。


元々、高い自尊心を
持っているのかもしれないと
考えると納得できる。


2歳ぐらいの子どもが
玄関でなかなか靴を脱がない時に
どんな対応をする?

早く上がらせたくて
靴を脱がしてしまったりは
していないだろうか。

本当に大切なのは
その子が自分で靴を脱ぐことだ。

かなり時間がかかったとしても
見守れる余裕があれば待てるが
近頃は、みな忙しい。

だから待てなくなっている人が多い。

私もそのひとりで、
私はずいぶん間違えてきた。


だから、
いま幼児を育てている親には
待つ時間を大切にしてほしいと思う。

待っているあいだも
応援しながら待ち
達成した時には大いに喜ぶ

そんな繰り返しで育てられた子どもは
きっと幸せをたくさんたくさん
感じられるだろう。

つまりは、
脳内から出るホルモンも違ってくるだろう。
そんな仮説を私は信じている。

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