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「国家の品格」を読んで



みかんは紅まどんなです。

みなさま、こんにちは。創作系寺嫁のゆかでございます。

さて、この度、『国家の品格』という親書を読みました。

以前から、名前は聞いていたのですが、その大それた題名から、人間的にも成熟したと言い難い私なんかが読むにはまだまだ修行が足りない、と思い、手を出さなかった本でもあります。

しかしながら、私も一児の母となりました。
この国の礎になれずとも、未来を憂うようになってくる年齢です。

図書館で見つけたこの本を、ふいに手に取って見ると、出版年が2005年。

おおざっぱに考えて、二十年前の本になっていました。

二十年前の人が、国家に必要だと思った品格とは何だろう?

どんな方が書いたかも知りませんでしたが、そういう視点からなら、この大それた題名の本を、未熟な自分でも読んでもいいかな、という気分になったのです。

果たして、なんと、数学者が書いた本でした。

数学者が書いた本を読むのは初めてでしたが、これがなかなか興味深い。

なんせ題名が「国家の品格」ですから、数学の定理の証明のように、答えがひとつとは限りません。

何事も、全てを鵜呑みにしてはいけないのが、思想というものだと思っていますが、あえて、この本に書かれてあることが妥当であると仮定するならば、
(あえて、数学っぽく言ってみました(笑))

私にとって、とても面白い視点を、二ついただきました。

ひとつは、「卑怯である」という認識です。
人間は皆卑怯な生き物だ~という話ではありません。
むしろ、「卑怯」ということを、子どものころから徹底して親が、地域社会が、学校が、教えなければならない。

そこに理由は要らない。「卑怯だから」というのが理由である、というのです。

なぜ人を殺してはいけないのか。
なぜ、いじめはいけないのか。
なぜ、強い者が弱い者をいじめてはいけないのか。

そういったことを、全て「卑怯だからしてはならない」と教えさえすればいい。
更に著者は、そういったことを「卑怯である」と教えることで、卑怯を許さない国民を作ったら、いかに強大な軍を有していたとしても、「弱い者いじめになるから」という理由で、戦争を仕掛けることがなくなるのだ、というのです。

なるほど。実現は簡単ではありませんが、一理あります。

この論からいくと、日本が世界で一番強い国になった上で、「卑怯だから戦わない」を選んでいる間は、世界戦争なんか、起こるはずがないのです。

実に平和な世の中でしょう。なるほど。

私はここまで極論にはたどり着けませんでしたが、「卑怯」という視点を持つことは大事だと思いました。

人に迷惑をかけるな、と子どもに教えるよりも、卑怯なことをしてはならない、と教える方が、はるかに分かりやすいからです。

迷惑をかけてはならない、と教えてしまうと、不審者から助けてほしい、という頼みも、「迷惑かな」と考えて躊躇してしまうでしょう。

それくらいなら、どれだけ通勤中のお忙しいサラリーマンに迷惑をかけたとしても、「犯罪をしようとしている不審者を警察に言わなければ」と思って助けを呼んでくれた方が、親として安心というものです。

二つ目が、情緒の話でした。

どうしてそういう話になるのかは、本を読んでみなければ分からないと思うのですが、国際人になるには、情緒が必要であるというのです。

もちろん、上に書いた「卑怯」がセットで、という話ではあるのですが、
今は置いといて。

その著者が言う「情緒」というものは、全世界地球上に200ほどある国を探しても、日本という国が最も際立って発達している感覚だ、ということでした。

四季がきちんとあるだとか、文化・言語的にも理由がありそうなのですが、
とにかく、必然か偶然か、それは分からないながら、日本人は「情緒」の感覚がずば抜けて鋭いそうです。

例えば、
夏、夕立が降る前に、ふっと涼しい風が吹き、雨の匂いを感じるだとか、

蛙の鳴く声や虫の音に、季節の移り変わりを知る心だとか、

山寺の鐘が鳴る音を聞いて、思い浮かぶ美しい里山の情景ですとか、

そういうものを余すことなく感じ取る心に優れている、とありました。

なるほど、いわば郷愁とでも言いましょうか。
しみじみと趣深い、もののあわれを感じさせる繊細な自然の様子は、確かに我々は苦もなく読み取ることができます。

俳句や和歌などが、その良い例です。
本の中にもありましたが、
「古池や 蛙飛び込む 水の音」

この句を聞いて、聞こえてくる音をオノマトペで表すとしたら、
「ぴちょん……」

であると、日本人は誰に教えてもらうでもなく知っていますね。
決して「どぼん」とか、「びちゃ」とかを選びません。

更に、外国の方がこれを自国の言葉に訳したものを聞くと、数匹の蛙がぴょんぴょこと飛び込む様子を思い浮かべるそうだというのですから、
思わず、童謡の「かえるのうた」が流れてきそうな風景です。

それはそれで愉快なのですが、確かに情緒はありません。

日本人は、そういう、情緒的に物事を読み取る力がひときわ強い。
そしてそれを知る者は、戦争をしなくなる、とも書かれてありました。

情緒を知る者は里山の美しさを知っている。
故郷の里山の美しさを損なう原因となる戦争はしようとしないし、
相手国の故郷の美しさを損なうような真似もしようとしなくなる、というのです。

流石、「国家の」と題するだけあって、結論が大規模ですね。
もちろん、戦争はないに越したことはないので、もし本当にそうなるのであれば大賛成ではあるのですが、

いかんせん、目の前のむちゅめとご飯粒の大戦争を毎日繰り広げている身からすれば、ちょっと遠い出来事でもあるわたくしでございました……。

ともあれ、
この二つの視点は、目から鱗と申しますか、
今まで、曖昧にしてきた物事の名前を、ぴたりと言い当てられたような気分になりました。

優しい子、余裕のある子、思いやりのある子、
そのどれもの心を身につけてほしい、と思っても、
果たして何をどう教えればいいのかは分かりませんが、

雨上がりの葉末の露の美しさや、
畦道を歩いたときの稲穂の匂い、風に吹かれる音、
紅葉や虫の音で秋の訪れを知り、
一年で一週間も咲いていればいい桜を待ち望み、
梅の花の盛りをメジロと一緒に楽しむことは、
教えることができそうです。

むしろ、教えなくても、一緒にそれらを楽しむだけで、勝手に子どもは吸収していってくれます。
遊園地に連れて行かなくても、海で泳ぎ、山でキャンプしてバーベキューをしなくても、
週に一度、のんびりと散歩をするだけでいいのですから、
出不精のわたしにもできそうなことではありませんか。

題名こそ、『国家の品格』と実に壮大なものでしたが、
私にとっては『子育ての道しるべ』
ちっちゃなむちゅめの子育てに、一筋の光が差し込む本になりました。

題名のイメージで、敬遠せず、もっと早く読んでおけばよかったかな、と思いましたが、こういうものは、読もうと思ったときが、一期一会の瞬間です。

十年前に読んでいたら、子育ての助けになるとは夢にも思わなかったでしょう。

今読んだからこそ、日々の肩の荷がちょっとだけ下りたような、
助けの一冊になったのだと思います。



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