テラジアインタビュー vol.9インドネシアチーム:ラウェ・サマガハ(音楽家)
伝統音楽と現代音楽を接続する
「僕は元々、ジャカルタのスタジオで絵を勉強していました。そのスタジオに訪れたある方が音楽をやっていたんですが、音楽とスピリチュアルを結び付けた思考を持っている方で。話すうちに僕も音楽をやってみたいなと。それで、2000年頃にソロ(別名スラカルタ)に行き、コンテンポラリー音楽・現代音楽を学び、作曲の勉強をしました。」
スピリチュアルなものと音楽の結びつき。そこに興味を持ったのがきっかけだったとラウェは話す。
「1994年からインドネシア拳法のシラット(*1)を習っていて、 その教えは、技法やテクニックだけではなく、体が宇宙・自然と繋がるといったスピリチュアルな側面があります。そういう興味を持っていた中で、新しいマテリアルとして音楽が入ってきました。」
「〝伝統〟というものは、ある意味、型があってツールが決まっていますよね。トラディショナルなものは、音を聞くと『バリの〇〇』『スンダの△△』と、どこの地方のものかがわかります。 特徴があり、ある程度定められている。
一方、〝コンテンポラリー〟はもっと自由で型がなく、かつよりコンセプチュアルなものだと思います。コンセプトから曲を作ったり、技法よりもコンセプチュアルに重きを置くものだと、僕は理解しています。」
そう言ってラウェは、自作の楽器を見せて詳しく説明してくれた。
「楽器を見た瞬間、音を聞いた瞬間に、これはスンダ地方の音楽だとわかるんですよ。それが伝統ですが、僕はそこから発展させて、パイプを使って楽器を作りました。[自作の楽器を見せて弾いてくれる]家庭にあるもの、その辺にあるものを使っています。こうなると、例えばスンダの譜面を弾いても、コンテンポラリーなものとして成立する。
一方で、メロディーはスンダのもの。それは残したいんです。僕は音楽を作るときに、伝統音楽や伝統を無くしたくないという前提の上で、それを今に置き換え、新しく発展させていくにはどうしたらいいかと絶えず考えているので。こんな風に試行錯誤していますね。」
ラウェはソロで作曲技法を学んだのち、バンドゥンに移住しインドネシア芸術文化大学バンドン校に入学。そこでスンダの伝統音楽を重点的に学んだという。
「ガムランにはたくさんの楽器があり、普通はそれを一通り全部学ぶんですよ。僕もバンドゥンのスンダ文化に基づき、スンダ音楽を学びました。なので僕が作る作品もスンダ音楽を切り離さずに利用しながら、 楽器も含め新しく作り出す実験をしています。」
インドネシアの人々にとっては当たり前のことだが、音楽を学ぶことと各地域とは密接に結びついているという。そのことも詳しく教えてくれた。
「インドネシアの芸術大学にはコンテンポラリーの分野もありますが、伝統芸能・伝統音楽は絶対にある。 例えばジャワの音楽を学びたかったら、ソロかジョクジャカルタに行く。スンダ文化を学びたかったらバンドゥンに行く。 もちろん授業で他の文化も学べますが、その地域の文化が最も強いわけですからね。」
ここでもう一つ疑問に思うのは、作曲技法はどういうものを学ぶのかということだ。
「作曲技法を学ぶという時は、やはり西洋のものを指します。譜面の読み書きから始まり、西洋音楽の作曲の基本は一応、大学で学びました。その後ソロの大学院に進み、より作曲を学ぶことができましたね。
ちなみにこれはスコア譜なんだけれど、スンダ語の古典文字を使って作りました。西洋の作曲技法を利用しながら、スンダ語の古い文字や楽器を使って作曲をする。こういうことをやっていました。」
ラウェの創作物には、スンダの伝統音楽、西洋の作曲技法、新しい形態への探求心など、いくつもの要素が入り混じっていることがよくわかる。さらに彼はいくつかの自作楽器を見せてくれた。木の実や廃材などを始め、さまざまなマテリアルで作られている。
「中古品とかいらなくなったものを探しています。新しいものは高いし買えないので。で、僕、昔から日本の尺八の音が大好きなんですよね。でも買えないから、自分で作りました(笑)。尺八のシステムに似せて作っています。」
そう言って吹いてくれた尺八は、日本のものとはまた異なる、柔らかな独自の音を鳴らしていた。素材そのものの音を、敏感に拾いあげながら作られているような楽器だ。
音でもコンセプトが旅をする
ラウェは2022年9月頃からテラジアに参加している。各国のメンバーがジャカルタに集合し、ミーティングを行なった際のことだ。
「その頃、ディンドンさんのテアトル・クブール(*2)に音楽家として参加していたんですが、ちょうどジャカルタにテラジアのチームが集まって、コラボレーションプログラムの話をしていました。 ディンドンさんに誘われ、色々な楽器を持って行きました。」
ラウェがテラジアに興味を持ったのは、他のアーティストと同様、「コンセプトの移動」という点だった。
「面白いと思ったのは、アイデアやコンセプトが国境を越えていくということですね。その時、日本の田中教順さんと、タイのグリット・レカクンさんと僕、3人の音楽家が集まっていて。僕の中にすぐにアイデアが浮かんできました。
コンセプトを持ち帰り、それぞれが作曲する。そして出来上がったものを持ち寄って、1つの場所で出会うということをやりたい、と。例えば僕の譜面を他の人の楽器でやってもらうとか。音楽に焦点を当てて、タイ/日本/インドネシアバージョンという風に。演劇だけでなく音楽でも同じようなことをやりたいと思いました。コンセプトが移動した音楽が、また出会う。
インプロ(即興)で出会うことはよくありますが、そうではなく、同じコンセプトのものをどうやって翻案したか、咀嚼の仕方が違うものを作って、また出会うということを音楽でやりたい。それぞれの確固たるものを持ち寄って、その上でさらに出てくるコラボレーションをする。すごく新鮮だと思います。」
その約1年半後、2024年1月にはSUA TERASIA1が行われ、『Ritual Night(儀式の夕べ)』というパフォーマンスを実施した。
「一般的なコラボレーションでは、テーマはありつつ、出会ってその場で何かをするものが多いですよね。そういう意味で、『Ritual Night』は即興的でした。その時、その場で出てきたものを大事にしていましたけど、先ほどのアイデアとはちょっと違うものですよね。」
一方で、インドネシアの人々にとって「即興」は、身近なものだともいう。
「大きなフェスであっても最終日にはジャムセッションがありますね。ガムランはより形式的なものが多いですが、それでもジャムセッションは行う。そういえば教順さんとグリットさんと初めて出会った時に、3人ですぐに即興したんですよ。すごく面白かったしいい即興ができました。」
さらに同じく2024年1月に上演を行なった『テラ ジャカルタ/バンドン編』では、ラウェは俳優のスギヤンティ・アリアニとともに出演することとなる。即興ではなく、しかし短期間のクリエーションで舞台に立った。ラウェにとってはどういった経験だったろうか。
「セリフを喋るのは初めての経験でした。僕でありながらも同時に、役でもいなきゃいけない。 質問も決まっている。その変えてはいけないことを行うのが、すごく難しかった。
ジャカルタでは何がなんだか、いっぱいいっぱい(苦笑)。バンドゥンでは、演じることに少しずつ矛先を向けられた感じです。でも楽しかったですね。」
記録映像を見てもよくわかるが、何よりも目を引くのはラウェが舞台中央で弾いていた楽器だ。チェロの弦のようなパーツに何かがはみ出てくっついている。一体この楽器は何だろう?
「僕は常々、どこかの土地に行ったら、そこの中古品や廃棄物を持ち帰るんですね。2015年にジャカルタのハナフィーでコンサートがあったんですが、スポンサーにタバコメーカーがついてました。その時に鉄の灰皿が用意されていて、音が気に入ったからもらえないかと頼んだらくれたんですよ。それで作った楽器です。大きな黒いやつは、灰皿なんです。 弦はバスの弦を使っています。」
ラウェはそのオリジナル楽器を用いつつ、『テラ』の上演を音で進行していく。印象的なのは、観客に108の質問を投げかける場面。観客が叩く目魚の音とラウェが鳴らす音は淡々と、静けさを携えながら進んでいく。これは日本やタイのバージョンとは少し異なるディレクションだろう。
「テキストを読んだ時に、108の質問に関してはすごく個人的だなと思いました。死について、好き嫌い、日常について、男女について。すごくスペシフィックなものだと感じ、それを音で変えていきたいと思いました。演出の(坂田)ゆかりも賛成してくれて、『これについて言う時にはこの音にしよう』という風に作っていきました。
日本版『テラ』のようにクレッシェンドで音楽として捉えるというよりも、音とテキストの共鳴にフォーカスしました。音でより自分の中に入っていく、スピリチュアルなものと考え、ああいう形になりましたね。」
『テラ』という一つのコンセプトの作品でも、上演の音は扱う音楽家によって変化する。これもある意味、旅する音、旅する音楽と言えるかもしれない。
そして記録映像では、観客の様子も伺うことができる。どこの会場でも、リラックスをして木魚を叩いてるように見えたのが印象的だ。
「これは恐らくインドネシアの伝統芸能や郷土芸能にも繋がる話だと思うんですが、ほとんどの芸能において、観客が参加するということがあります。 冗談を言ったり、観客から声が出てきたりすることが多い。大衆芸能みたいに、隙あらば茶々を入れたり、真剣に見るところは真面目に見たり。そういうのが当たり前なので、お客さんも上手なんだと思います。」
再びSUA(出会う)。「SUA TERASIA Episode2」に向けて
今後に話を移そう。2024年1月に第一弾が行われたSUA TERASIAは、その第二弾SUA TERASIA Episode2を2025年1月に予定している。プロジェクトの一つの区切りとして、「終わりと始まりの儀式」と冠したイベントを、西ジャワの緑豊かな山中にあるグヌンパダン遺跡で実施しようと、目下調整中だ。
以前からグヌンパダンに通っていたというラウェに、遺跡について聞いてみた。
「2000年頃からよくグヌンパダンに行っていました。満月の夜に行ってメディテーションをしたり、体を動かしたり、楽器を弾いたりとか。僕の出身地からは2時間ぐらいで遠くないこともあり、スピリチュアルな場でもあって、好きな場所でした。アイデアが浮かんだり、作品作りに繋がることも多いですね。」
2022年のミーティングの際には、テラジアメンバーと共に訪れた。グヌンパダン遺跡はインドネシアの人たちにとってもあまり訪れる機会がない場所らしく、ラウェは一緒について行ったという。
「遠いのと、情報があまりないので、一般的には行ったことがない人の方が多いですね。2015年以前は道も整備されていなかった。前大統領の時にインフラ整備が進み、多少行きやすくなりました。土地開発計画もあったんですが、遺跡の歴史研究が進んで、すごく価値のあるものだと分かったり、開発にあたっていくつかの村を移動させなきゃいけないなど、蓋を開けてみたら問題が色々。それで開発は止まったんですが。道の整備は進んで、訪れる人も少しずつ増えました。」
対して、周辺地域の人たちにとってはグヌンパダン遺跡はどういう存在なのだろうか。
「スピリチュアル的に大切にしてる方もいるし、遊びに行く感覚の人もいると思います。2010年以降、コミュニティも多くできていていて、スピリチュアルなものとグヌンパダンを結びつける活動が広まっていますね。マントラをするグループとか。
また、伝統を守っている方もたくさんいます。お供えものとか、伝統の行事や意識もあるので、僕もそれを学び、守ってやっています。そういった社会共同体とうまくやるには、現地との交流が大事なので。パフォーマンスを実施するにしてもそこを重点的にやる必要がありますよね。」
では、SUA TERASIA Episode2で、ラウェが希望する形はどのようなものだろうか。グヌンパダンでパフォーマンスをする想定で、チャレンジしてみたいことを聞いてみた。
「先ほど言ったように、音楽家がそれぞれの場所で作った作品を持ち寄って、グヌンパダンで公演したいです。即興ではなく、集まって練習をして、出来上がったものを演奏する。あとこの遺跡は、照明やスピーカーなどの機材を使ってはいけないので、そこは大きな挑戦ですよね。楽器は何を効果的に使えばいいか、 構成はどうしたらいいか。 空間の使い方やサウンドスケープ全て。遺跡には街の音は全くなく、自然の音があるだけ。もともと地球に存在している音。 なので、人が作り出す音ではない、自然が作り出す音を使っていきたいなと今は思っていますね。」
そして最後にラウェは、テラジアとのコンセプト的な重要な繋がりをこう語ってくれた。
「SUAは出会うという意味ですが、グヌンパダン遺跡も、 昔の人たちが出会う場所だったんですよ。元々は、能力者たちが集って話し合ったり、メディテーションしたりする場所だったという説もある。なので、〈人々が出会う場所〉というコンセプトにすごく合っていますよね。
劇場とか、用意された場所や閉鎖された場所では見えないものが、自然の中、テラのような場で出会うということ。それがテラジアだと思うので。色々なメディアを飛び越えて、 境界を飛び越えて、新しい出会いがインドネシアのテラ=チャンディ(*3)、つまりグヌンパダンで出会うことに繋がる。ぜひ実現してほしいです。」