すみません、の、ハードル
特に職場においてよく見かける風景。
何かしら失敗したときに注意を受けて放つ言葉
「すみません」
「注意します」
みたいなものたちが軽い言葉になってしまう人らが一定数いるかと思う。どこにでもだ。
当たり前だけれど、誰しも失敗なんてものはあるわけで、その種類も多種多様だ。
・決められたことができない
・手順を間違える
・雑である
・注意が足りない
・意識が足りない
…あげたらキリがない。
何かを失敗したことに、仲間や先輩、上司がフォローしてくれ、結果的にプラマイゼロになった事に対して「すみません」を多用する人の「すみません」は、かなり軽い言葉である。
なんなら息を吐くのと同じくらいの、無感情なものと伝わっていくもので、このような時は「すみません」ではなく「ありがとうございます」というような言葉を添えるのが自然であるはずだ。けれども「すみません」を言い慣れてしまっている人たちには、そんな些細な感謝が詫びの言葉よりも大切だということが、なかなか思い浮かばない様子だ。
決められた手順などを毎回間違っているような状況を指摘された時に「すみません」と答える術しかもたない人も、どこの場所にもいるかと思われるが、この場合も“毎回”間違っているのにも関わらず「すみません」という魔法の言葉で、自分のミスを帳消しにしてしまいがちである。
ただ、このような状況においては、本人もさることながら、それを指摘した人も「すみません」と返してきたんだから次はミスするなよ!という、情でのやりとりで終わりになることが多い。実際、過去にそのようなやりとりを永遠に数ヶ月している人らがいたのだが、結局は、何度も言っているのにできないんだよ!とか、なんて使えないやつなんだ!とか、指摘している側が思考停止の状況になっている。
ただただ「すみません」の魔法の言葉をひたすら発している人が難儀であるというよりも、「すみません」と言われない言わせないアプローチが必要だよな、という話であったりする。
「すみません」と言うことがおこらないような環境作りとか、そんな話かと思う。
お詫びの言葉には魔法的な何かがある。
会話の中でクッションになる時もそりゃああるけども、本人の真意を隠して時を止めてしまいがちだ。
なかなか難しい。
またきちんとまとめていきたい。
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