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進化を捨てる。生態系としての自我の獲得。



昨日、ダーウィンルームの読書会に参加させていただいた。

ダーウィンルーム読書会 見田宗介『現代社会はどこに向かうか』ー高原の見晴らしを切り開くことー
https://www.facebook.com/events/401449271844583/?ref=newsfeed

相変わらず素晴らしい議論がされたが、読書会後に、主催者と意見交換した際に、主催者としては、その先に議論を持って行きたかったようで、少し考えた。

1)筆者の見田さんは、人口動態の行き先として、人口が安定になる時代を高原として、その高原での思想、暮らしなどを高原からの見晴らし、景色として定義した。その方向性を現代人の幸せについてのアンケートなどから紡ぎ出していた。結論としては、そこに至るには新しい思想が必要ではないかと。

読書会の議論の中で、高原の見晴らしと具体論の間を結ぶものとして、時間、生きる、無限と有限を結ぶ球。という3つの材料までは出ており、自分はそれで満足していた。
最終的に、それらを結びつけるところ、多分、その思想は、誰かの頭の中で言語化するしかないと思った。

2)この本は基本的に楽観的に書かれているのだが、筆者の見田さんの頭の中では結びついてて、だから楽観でいれたのかもしれない。いや、僕の読んだ感覚では、結び付けられなかったから、楽観を示して、考え続けろ。というしかなかったのだと思った。ニヒリズムに陥ることなく。と。出口はある。高原の見晴があるのは彼には見えていたのではないかと。

3)一方で、見田さんの本に皆さんが共感され、一方で自分や一部の方々が物足りなさを感じたのは何か。それはその出口を見せていない。というだけでなく、一晩考えて分かったが、、ダーウィンルームで学んできた社会と自然とのInteractionの重要性をこの本の中では見せられてないからだと感じた。

4)見田さんの本は、社会、人間を主眼においていて、自然とのInteractionは描かず、自然は限界として置いており、社会でどう生きるかを書いています。見田さんのゼミの卒業生もそうそうたるメンバーだが、社会の枠の中での議論の方々が多いと思う。

5)ダーウィンルームは、自然との共生を離れずに、社会のなかの競争だけではなく自然と社会の協奏、共創を描こうとして、様々な読書会や検討会、勉強会を開いてきている。

6)そしてダーウィンルームでは最初から進化をテーマとしている。課題は進化である。

7)人類は、生命のSagaである進化に従って生きている。
戦争も、分化し、競争する生命のSagaである進化の活動であるし、資本主義も生態系を広げようという進化の結果であるし、金も、競争も、格差も、生態系の破壊。全て進化欲の結果である。

言い換えれば進化の暴走ともいえる。
しかし人類は、この進化というプラットフォームを当たり前のものとして是認し、そして良きものとして扱ってきた。

8)ダーウィンルームは、進化を研究する場であった。ただ、その場に置いても、基本的に進化は是認の対象であったと思います。

9)自分の勝手な希望ではあるが、ダーウィンルームの次のステージは、進化をより客観視し、理解して、進化の支配から卒業する場になることではないかと。
進化の理解とは、なぜ、生命は進化するのか。その答え。
ダーウィンルームはダーウィンを超えなければならないのではないか。

10)人類は人類を超える。これは多分、次の思想が必要に近い。もう少しいえば、人類は個々の自我を持っているが、社会、政治、経済を通じて、人類全体の自我もぼんやりとあるともいえる。さらに生態系としての自我を持つ。脳としての人類が身体である生態系全体が生きることを考える。生態系の哲学。
AIが身体性が無いと、ヒューマノイドAIになれないことを思い出す。

(10a)だから、ダーウィンルームを経験してしまった自分には、読書会に物足りなさを感じたのだと。主催者が感じた物足りなさ。具体論や景色は、
見田さんの思いを直感的に感じられたからあるので、自分のような言語化人間としては、下からしか眺められないのです。

11)少し、まとめて、かつ、高尚な言い方をすれば、

地球、生態系全体が健康に生きるために。

生態系の脳としての存在に人類が位置づけられる必要がある。
それには自信、自分自身が正しいと思えなければなら無い。
自分自身を理解しなければならなく、特に生態系の大きなモチベーティブな活動である「進化」を理解して、コントロールしなければならなく、結果として、生態系としての自我の発動が必要なのです。

初期人類の自我の発動と同様に。


今は、脳腫瘍にかかった老猿のような状態なのでしょう。



地球哲学。。。。気持ち悪い言葉ですが。。。まぁ疑い続けることを前提として。。。

12)だから、時間、生きる、球が重要なのだろう。

13)自分の提唱するEnergyCurrencyの貨幣単位をkWhという科学単位にするということは、言語による自我の発動と同様に、自らの社会活動を、自然科学の言語を介し自然活動と結びつけること、
地球生態系の自我の発動のキッカケではないかと今朝から思い始めています。。。。

14)自分としての思考の円環は大体閉じました。

15)高原からの景色は、普通の人間は想像できません。主催者や、見田さんは、その景色につながる精神を持っていらっしゃるのだと思います。

言語化がうまくできてない思いもあると思いますが、まずはまとめました。

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