本当に面白いと思えるゲームって何なんだろう?そもそもゲームって何だろう?
今年に入ってゲームの魅力を紹介するためのゲームブログを運営し始めたり、悲しいことに本業(Web+デザイン)がかなりヒマなことも手伝って、ゲーム漬けの日々を送っている私です。
期待する新作の発売に合わせて24時間〜40時間連続プレイできるほど生活リズムを大きく崩すことができる、ある種自由に見えて非常に残念な人の生き方をしてるわけですが…(20代の人はこんなおっさんにならないように頑張ってね笑)
いい歳してゲームばっかり。自分でも終わってんなー負け組の底辺ってやつだなーとは思います。それでも楽しいゲームをプレイしている時の私の心はまるで少年期のように、今でも感動とワクワクで満ちています。正確には大人になっていろんなことを知ったことで、何も分からなかったあの頃のような純粋な感動とは違うのですが。
こんな生活をしばらく続けていて時折頭から離れない疑問があるんですが、本当に面白いと思えるゲームって何なんでしょうか。価値観の違いや体験に個人差があることは当然なので、少なくとも私にとって、そしてあなたにとって、面白いと思えるゲームとは何か?なぜゲームをするのか?みたいなことを掘り起こしてみたい。
私のゲームプレイ履歴書(プロフィール)
まず初めに私が辿ってきたゲームの歴史をまとめておきます。これが私のゲームプレイヤーとしての履歴書です。前半はかなり大雑把ですが、記憶なんてそんなもんだと思う。あとかなり長い思い出話になるので興味のない方は是非飛ばしてください。笑
3〜5歳頃(幼児期 - ファミコン少々)
父が持っていたファミコンで初めてゲームに触れる。何てゲームをしていたのか思い出せないが、唯一確実に覚えているのはMotherをしたことがあるってことだけ。なぜそれだけ覚えているかと言うと、当時トラウマレベルで怖いと思う場所があったから。
6〜12歳(小学生期 - スーファミ・ゲームボーイ・初代PS)
スーファミで本格的にゲームを楽しいと思い始める。父が持っていたドラクエ、FF、ファイアーエムブレムや、友達と遊びたくて買ってもらったり友達に貸してもらったりして、スーパーマリオ、ドンキーコング、星のカービィ、ストリートファイター、ボンバーマン、ゴエモンなど、例に漏れず主要タイトルの多くを遊ぶごく一般的なゲーム好きな少年。今思うとアクトレイザーは本当に神ゲーだった。
同時期にゲームボーイで発売されたポケモンが大流行。わがままを押し通して最終的には赤・緑どちらも買ってもらい、おこづかいで通信ケーブルや変換アダプターを揃えて友達と集まっては対戦や交換をした。今思えばなぜか最初のトキワシティのショップにおつかいに行く部分が理解できなくて泣いたなぁ。正直ゲームボーイはそれくらい。カラーで金・銀やったとかそれくらい。ついでに、遊戯王デュエルモンスターズや64のスマブラやゴールデンアイなんかを友達の家で遊んだ記憶があるくらい。
小学校の卒業アルバムに書いた将来の夢は「ゲームクリエイターになる」こと。これだけ自分や友達の多くを虜にし続けるゲームというものを作っている人たちは本当にすごいし、かっこいいと思ったからという小学生らしい感想。たまたま図書館にあった本で、ドラクエの生みの親である堀井さんか誰かの紹介を読んだのが大きなきっかけだった。曖昧すぎるし検索してもヒットしなかった…どんな内容の本だったっけ。笑
あれは確か小学5年生の夏休み、祖父母の家(母の実家)に遊びに行った時に叔父に遊んでもらったのだが、叔父の部屋にあった初代PSと出会う。最初はなんじゃこりゃー見たことない!かっこいい!やらせてー!とワガママを言い続けディノクライシスやFF7を遊ばせてもらう。終いにはゲームしたいから帰りたくない、帰るんなら貸してー!という超ド級のワガママ作戦を展開する始末。当然相当親から叱られたが叔父は優しいので渋々貸してくれた。叔父へ、あの時は本当にごめんなさい。もし自分が親だったらこんな子供は絶対イヤだ…。
晴れて最新の次世代ゲーム機を手に入れたテラ少年。帰宅してからはずっとFF7をプレイし続けた。怒鳴り続ける母親にもテキトーに返事し、宿題なんてそっちのけ、ご飯なんて二の次。残りの夏休み中ずっとそんな日々が続いた。少年はカクカクのポリゴンで構成された当時最先端の超美麗ゲームの世界に没頭していた。クラウドかっけー、セフィロスかっけー、エアリス可哀想。
ゲームは毒だと祖母がPSの電源をコンセントから抜いた瞬間に人生初めての殺意に似た感情が芽生え、台所から包丁を持ち出してきて「クソババア!殺してやる!」と脅してしまうほどには狂っていた…あ、もちろん刺してもないし、本当は優しいおばあちゃん子だったのでご安心を。ここでもし人としての道を踏み外していたら「ゲームは人を殺す」という、GTA中毒の少年が殺傷したニュースみたいに取り上げられてたんだろうなぁ…。
まぁ何もなくて本当に良かったんですが、ここで大事なのはそれくらいゲーム内の世界に虜になり、熱中していたという事実。つまり自分の大好きな世界を否定し攻撃してくる存在を排除しようと思ったわけです。当時はオートセーブなんてないし、自分が進んだデータもほぼ1日分全消去。皆さんはどうでしょう、ゲームで人に殺意が沸くほどの気持ちになったこと、ありますか?もちろん絶対ダメだけどね!てかマジキチかよ俺…笑
まぁ、それくらい虜にさせる魅力があったわけです。このやべぇ出来事が今の自分にとってもかなり強烈かつ鮮明に覚えているゲームに関連する思い出であり、FF7が過去一番ハマったゲームであることは間違いない。その後も子供らしくワガママを続け、遂にPSを買ってもらい、なけなしのおこづかいで数々のタイトルを買っては遊びを繰り返す。なんかいろいろやってた。(記憶が曖昧)
13〜18歳(中学生・高校生期 - PS・PS2)
中学校に進学し、FFシリーズは当然全てやったし、バイオやメタルギアなど今の自分の好きなゲーム観を明確にしたゲームたちと出会う。そしてPS2が発売。ここから一気にゲームのグラフィックが超絶進化した。デビルメイクライでスタイリッシュアクションというジャンルに魅了され、FF10で超美麗グラフィックと素晴らしい物語に触れた。
高校進学後も続き、三國無双・戦国無双、世間的にも超話題となった問題作GTAにも触れ「現実でもクルマぱくれるんじゃないか」的な錯覚を起こす程度にはハマりました。犯罪行為できるんじゃないか現象、これGTAあるあるだと思う。ダメ、ゼッタイ。
進学校に行ったのにまともに勉強なんてせず、友達とちょいワルな遊びをしたり、家ではゲーム三昧の日々。この時期に映画・音楽・漫画など、今の自分が好きだと思えるものの基礎が形成された。音楽ではロック・メタルにドハマリした。
19〜24歳(専門学校生・社会人・ニート期 - PS3)
勉強もまともにせず、むしろ大学進学なんて価値がないと思っていた私は、本当に将来やりたいことや仕事にしたいことは何か真剣に考え、デザイナーを志望。専門学校へ進学することに。学校では楽しくデザインの基礎を学び、バイトで稼いだお金をほとんど趣味に費やした。
そしてPS3が発売。コールオブデューティーMW2で現在でも大人気のゲームジャンルであるFPSに出会いつつ、今まで好きだったゲームシリーズも新作は漏れなく堪能した。なんというか今思っても良くも悪くもPS3は銃で撃つゲームばかりだった。
まぁそんな感じ、あまり目新しいものはない。「FPSやめれないんだけど」って感じ。ニコニコ動画でゲーム実況に出会って、某有名配信者の初期を知ってるとかそんな感じ。あとWebデザイナーとして通信系の会社に新卒入社し初のボーナスでiPhone3Gを買いスマホという新世界に出会った。
新卒で入社した会社を辞めて半年間ニート生活。当時大流行していたマインクラフトを晩から朝まで(つまり逆転)していた。そこそこ人気だったサーバーの管理人たちともやり取りしたり、そのゲームサーバーのサイトも作ったり。腐った生活を続けていたが友人と恩師からの紹介で別のデザイン会社に入社することに。
まさに社畜のようにテッペン過ぎても働く日々。おかげで残業代でいろいろ楽しい思いはできたが使う時間がなかった。それでもゲームがしたくて、02:00に帰宅して05:00までゲームとか、そんな生活。当時ニートだった友人が逆転生活でFPSにハマってたので、帰宅後一緒にCoD BOとかいろいろやっていた。正直かなりゲームに関する記憶が曖昧な時期。とりあえずFPSって感じ。
25歳〜現在(社会人・同棲・個人事業期 - PS4)
いろいろあって転職。PS4が発売される。仕事は相変わらず社畜な日々だったが充実していた。ゲームも限られた時間で遊べる程度に選んで遊んでいた。Far Cry4でオープンワールドに出会ったりしたが、やったりやらなかったり。そんな中発売されたスプラトゥーン。絶対に面白いやんこれ。それまで仕事で抑えていたゲーム熱に再び火が付いた。友達も購入して一緒にパーティーでワイワイ遊んだ。
その後付き合った社内恋愛の彼女と同棲し、ゲームの時間はかなり減った。CoDやBFに代表されるFPSにはもう飽きてきていたし、同棲しているのでパーティーで会話しながら遊ぶゲームはできなかった。それでもバイオ7やメタルギア5、ドラクエヒーローズ、ドラクエ11など、絶対にやりたいゲームを絞って遊んでいた。FF15は正直全然面白いと思えず、中盤あたりでプレイを辞めた。ゲームをしていると彼女は寂しそうだったので、もちろんゲームの後でやることもやった。
いろいろあって彼女と別れた。抑えていたゲーム欲を解放するようにそれなりに楽しんだ。Fortniteがリリースされ話題となり、早速遊んだ。かなり面白かったが初期はゲームシステムの理解ができず、別のゲームや仕事に打ち込んだ。その後Fortniteが爆発的な人気となり、今では全世界のキッズたちに愛される超大作となり、バトロワが新たなゲームのメインジャンルとなった。
ひょんなことから会社を辞め、2019年に個人事業主になった。仕事をするのもゲームをするのも自分次第。当然お金がないと生活できないので人づてで仕事をもらいながらの生活。正直かなり低所得、それでも僕はなんとか生きてます。お仕事依頼いただいている皆様、本当にありがとうございます。
それでもやはりヒマな時期が多く、これまで以上にゲームに打ち込める時間ができた。2019年は新しくできたフレンドたちとApex Legendsやモンハンワールドに打ち込んだり、たまにPUBGやH1Z1やってみたり。見逃し配信的な感覚でTitan Fall 2やスパイダーマンなど以前遊べなかったゲームもプレイした。ソロ系ではDMC5、ジェダイフォールンオーダー、Death Strandingがマジで面白かった。
居場所を失った小島監督が周囲の助けもあって新コジマプロダクションを立ち上げてデススト発売にまでたどり着いたのを知っていたから、その事実がとても嬉しかったし大きな感銘を受けた。自分も大好きなゲームという世界について何かしたいと思いゲームブログを開設。ゲームを楽しみながらボチボチとブログも運営してます。
そして2020年、なう。まるで失われていたゲームの時間を埋めるかのように、過去の遺産を掘り起こす感覚で楽しそうな過去のゲームを漁ったり、期待の新作ゲームを発売日から遊びまくっています。今までいろいろあってゲームはもう辞めようかと思う時期もあったけど、それでも僕はやっぱりゲームと生きてます。以上。
※FF7Rのサントラ聴きながらここまで書いてたんですが、なぜだか涙が止まらない。エアリスのテーマで必ず涙がこぼれます。ハハ、おかしいな。
超絶長くてマジでどうでもいい他人の思い出話を読んでくれた稀有な人、もしいたら本当にありがとうございます。そしてあなたは本当に…変わってますね。(褒め言葉)
ここからはちゃんと考察に移ります。上記のようなゲーム人生を送ってきた人間が、自分の感情・感覚や一応それなりのデータ等も交えつつ。
なぜ?本当に?ゲーム業界は衰退しているのか
大きく見ればゲーム人口の現象に伴って衰退していると思います。まずはじめにゲーム黄金期と言っても差し支えない時代にゲームに触れていた現在30〜50代の方々が、結婚や出産、人生観・価値観の変化によってゲーム離れしていること。これはゲームの引退・卒業だと言っていい。卒業された方々は新たな世界を生きている。「最高のゲームは人生」という言葉を昔どこかで見ましたが、まさにそれ。本当にエキサイティングでリアルな世界は小さなモニターの中ではなく、部屋の外に広がっています。(私はゲーム以外にもアウトドアなど他の趣味があるので、結婚以外はなんとなく理解できるつもり)
次に家庭用ゲーム機等でのゲームを趣味とする子供の減少。ゲームで育ったような親は、子供にはゲームをしてほしくない。自分の反省から時間を無駄にせず有意義な子供時代を過ごしてほしい。そんな親が増えていると感じます。また、今の子供達の遊びだとスマホでいくらでもソシャゲできるし、家庭用ゲーム機で遊ぶとしても大半はSwitchでスプラトゥーンやFortniteってところでしょう。そこからゲームに魅力に取り憑かれた子だけがポケモンもやってみたり、PS買ってもらってApexをやってみたりして、やっとゲーム人口の一員になるはず。
ソシャゲの台頭とユーザーの移行もよく言われることですし、間違いではないとは思います。ただこの話題には思うところがあって、ソシャゲに移る人は「所詮ゲームなんてこれくらいでいいや」という人が多いように思うのです。つまり価値観の変化。少なくとも私の周りの同世代でゲーム辞めた人は、大体が結婚リタイヤかソシャゲでいいやって感じ。
あと好きな方には申し訳ないですが、私はソシャゲはゲームだと思っていません。正直あれは「ゲームのようなアプリ」だと思う。パズドラ、モンスト、リリース当初は私も遊んでいたしかなり流行った。誰でも持つのが当たり前になったスマホで、無料でダウンロードしていつでも遊べるんだから。ポケGOやドラクエウォークなど、通勤がてら運動がてらもいいと思いますが、やはりゲームではない。まぁ確かにオモロイっちゃオモロイけど。
ミニゲーム?ながらゲーム?昔ポケットピカチュウという万歩計ミニゲーム機が大人にも流行ったりしたんですが、あの感じ。とにかくソシャゲ全般的に言えるのは暇つぶしとしては非常にうってつけだと思います。だが私は全ソシャゲ民に問いたい「そこに愛は…あるんか?」と。
ゲームやるならガチで楽しいゲームに打ち込んだほうが良いし、ダラダラと外や待ち時間に小さなスマホの画面に縛られているのって勿体ないと思う。折角外に出たんなら、ちゃんと外の世界を味わったほうが良い。都会の喧騒や街並み、田舎の自然や景色、手のひらくらいの小さな世界に収まるんじゃなくて、ちゃんとリアルの世界を肌で感じるのです。
※スマホ自体は生活を大きく変えた素晴らしい発明だと思ってますが、一部のアプリリリースしている開発者及びそのユーザーの感性には些か問題があるなぁと思ってます。ちょっとゲーム関係ないような話だけど。
私が思うゲームの定義について
先に述べたように私はれっきとしたゲーム廃人であり、ゲームへの愛はかなり強いほうだと自負しています。そんな私が今までずっと疑問に思っているのが「ゲームとは何なのか」ということ。ほんとゲームって何でしょうね?
まずソシャゲはゲームから除外します。一部の愛を持って開発されたスマホゲームはゲームだと認めますが、大半の所謂ソシャゲは課金目的に作られたゲームの皮を被ったアプリです。企業の金稼ぎと暇人の時間つぶしにしかならず、巧妙な商売だと思います。No More ソシャゲ。開発者も利用者も今すぐ手放すべき。あれは我々人類の世界を拡張してくれません、絶対に。なので以降ソシャゲはゲームとして見ずに書いていきます。
偉そうにベラベラと言ってるけど、じゃあお前が思うゲームって何なのよ?そう言われて間違いなく返せる言葉は「愛があるのがゲーム」です。言葉で表現するとちょっと頭おかしい人みたいですが、本気でそう思っています。開発者の愛を持って作られたものにプレイヤーが感化される。それが本当のゲームです、絶対に。誰に何と言われようと。
プロフィールでも長々と書き連ねましたが、私はこれまで数多くの愛ある作品に触れてきました。魅力的な世界観やキャラクター、素晴らしい物語、爽快で楽しい戦闘、非常に重々しく悲しい結末。私が敬愛するゲームたち全てにはカタチや表現こそ違えど、開発者の愛を感じられました。あと絶対にプレイヤーを唸らせてやるんだという信念や感動させてやるんだという情熱。
正直現在の家庭用ゲームにおいてもそれらに欠けるものは多く存在しますし、そういったゲームの多くが「クソゲー」と呼ばれるんだろうなと思っています。要するに愛が足りず、プレイヤーには響かなかった。
映画・音楽などのエンターテイメントでも同じことが言えます。作り手の愛があるものは必ず評価される、ファンができる。この原則は何においても昔から一つも変わっていません。
どんなゲームが売れるのか、評価が高いのか
ではどんなゲームが売れるのでしょうか?今ならやっぱり人気のバトロワ?時期によってゲームのメインストリームが異なり、それは開発者の発想だったりプレイヤーの感性によって変化し続けています。1990年代はRPG、2000年代はアクション、2010年代はFPS・TPSが覇権を握っていたと思います。
ゲーム機やPCスペック等のハード面の性能によって表現できる体験も徐々に変わってきており、ゲーム体験自体がよりリアル寄りに近づいています。上記覇権の流れを見ても分かるように、どんどんリアリティを追求してきているなーと思います。
では2020年代はどうなるのか?もう半年以上が経過しましたが、今私が思う2020年代のゲームのメインストリームはオープンワールドだと思います。と言っても既存のゲームジャンルとしての「オープンワールド」という表現は今や非常に定義が広すぎて曖昧なので、そろそろ別の言葉や表現が必要なんじゃないか思ってます。
ロック好きの人なら「オルタナティブ・ロック」くらい定義が広いと言えば伝わるはず。とりあえずマップ広くて自由度高ければ「オープンワールド」とカテゴライズされるのが現状なのです。なんて表現すれば良いんでしょう…「もっと入り込める仮想世界」みたいな価値を提供できるゲームこそが2020年代において大きく評価されて、売れるんじゃないかと信じています。
例えば過去1年くらいでリリースされたゲームで例をあげると、SEKIRO、MHW:I、Death Stranding、Jedi Fallen Order、仁王2、Final Fantasy 7 Remake、The Last of Us Part 2、Ghost of Tsushimaなどがこれに該当すると思ってます。ゲーマーな方なら上記ゲームのジャンルがバラバラであると感じるはずですが、それで合ってます。既存のゲームジャンルで表現すると全て違うジャンルに分類されるべきなのですが、全てにおいて「世界に入り込める」魅力だけは共通しています。少なくとも私にとっては。
例えば現在でも根強い人気の「死にゲー」というジャンルはソウルライクから卒業して、より広く深い味わいのある高難易度アクションゲームとして進化を遂げると思います。最近はそういうゲームも増えてきて、プチ死にゲーという感じの多くのジャンルをミックスしたようなものが多く見られますよね。
その最も良い例が記憶に新しいGhost of Tsushimaです。オープンワールドでプチ死にゲーでステルスアクション。グラフィック・舞台やストーリーも非常にリアル寄りで、まるで本当に対馬であった出来事を自分が主人公となって体験しているかのような、プレイヤーをゲーム内の世界に引き込む力がありました。本当に全てにおいて完成度が高く、ユーザーの期待に応える神ゲーだったと思います。
きっと売れているらしいという評価で流されて買ってみたらハマったわという人も多いタイトルになったんじゃないかなーと思いますし、事実売り上げ本数も近年のビッグタイトルの中ではかなり多いほうですし。
開発者の中世日本の対馬の歴史や日本の侍、日本らしい文化への最大の愛を持って作り込まれたんだと、見れば伝わりますしプレイすると実感できます。開発者インタビューやコメントでもいろいろ語られていますが、本当にこのゲームのヒットは「日本への愛」がないと実現しなかっただろうと思います。
やはりこの考察は全て「愛」という結論に帰結してしまうのですが、別の例を出すとFF7Rは旧FF7ファンからの愛に応える丁寧に作り込まれた愛のおかえしだったし、デスストは旧メタルギアファン・コジマファンの愛に応えつつも新世界を見せてやるんだという情熱を感じられました。
各ゲームタイトルに対する評価は当然人それぞれ違いますから、私の評価を理解できない人も多く存在するでしょう。でもあなたも別のゲームに愛を感じるでしょう?だからそのゲームが好きなんでしょう?そうだよね、そうだと言って!
売れるゲーム売れないゲーム、そんなの人の勝手
まぁ正直に言えば売れるかどうかはどうでもいいんですそんなこと。当然、開発費をかけるために売れてもらわないと大好きなシリーズは死んでいきます。だからこの自分が好きなゲームは売れて欲しいし、その開発者は評価されてほしい。もっと素晴らしいゲームの世界をこれからも見せて欲しいから。
あと最終的に人の評価なんてマジでクソほどどうでも良くないですか?もちろんフルプライスで1本あたり9000円とか支払うわけなので、決して安い買い物とは言い難いし、買って面白くなくて失敗したり損をした気持ちにはなりたくない。だからMetacriticの点数やYouTubeやネット記事なんかでレビューを見てみたりもするわけですが、ほんと最終的に大事なのは自分の感性に応えるかどうかですから、そのゲームが面白いかって。
前々からレビューと点数が高いものに限定して購入するゲーム決めて遊ぶ人が増えてると思います。それ自体はさほど悪くないと思いますが、いい加減誰か分からない人の意見だけに流されないほうが良いです。自分の目で見て、トレイラー見たり試遊したりしてみて、目と手と耳と心で感じないと、そのゲームが自分にとって面白いのかどうかなんて絶対に分からない。まぁ別にそれでいいならいいと思うけどさ…流されてゆけ、私は留まるしかない。
レビューってやつはいざという時はマジであてにならなくて、団体や組織、企業間の争いなんかが原因で低評価されまくったりする事実があります。ネガキャンってやつ。昔からそういった文化はあるみたいだけど、最近はことゲーム業界においてMetacriticの点数ってのが大きなウェイトを占めてるみたいですね。ユーザー評価5.5点か〜、大爆死だな。←はい脳死乙。それでいいんか?所詮君のゲーム愛はその程度か?それでそのゲームのこと分かったつもりか?〇〇ちゃんってさーヤリマンらしいよー!えーまじかないわー。それでいいんか?笑
無料だし流行ってて皆やってるしApexやろー!Fortniteやろー!それでいいんか?流されてないか?本当に君がやりたいことか?それでもどうせやるんならとことん上目指せよな!負けんなよな!(どちらのゲームもプレイしてたので魅力を知ってますが、最近のバトロワ流行りに乗っかった極めて商売的な輩が多くいるとしか思えない私)
とあるリーグ四天王は言いました「つよいポケモン よわいポケモン そんなの ひとの かって ほんとうに つよい トレーナーなら すきなポケモンで かてるように がんばるべき」
評価が高いものや流行りのゲームもいいですが、自分がスキって言えるゲームにゲームプレイヤーの皆が出会えるといいなー。それが本当に面白いゲームなのだから。それでは。
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