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アート独り言。(不在の観測)

先日、ミレーを観に行った時には時間切れで観れなかったので、今日改めて観てきた。

「不在の観測」は、2017年に開催された、AAIC( Art Award IN THE CUBE )「身体(しんたい)のゆくえ」の次章として位置付けられていた。
受賞作家の作品がとても見たかった。

大賞を受賞した、ミルク倉庫+ココナッツさん(以下、ミルココさん)の作品でいきなり頭がクラクラしはじめる。

※撮影は限定されたものだけ許可されていた。

ビアンキのフレーム。

パーツがshimanoじゃない。

違う、そうじゃない。
良く見ると天秤の上にのっている。
秤によって、不在を可視化させているのだろうか。

自転車のパーツは、ネジやケーブルに至ってまでチタンやアルミなどを使って軽量化させている。車体の数グラムにこだわるより、自分が500グラム軽量化した方が良いのにな、といつも思う。

論点が、ズレた。

次は三枝愛さんの作品。
2017の時は屋外に岐阜県加子母産の檜によって作られた空間。なくなってしまいそうなものを残しておくために作ったのに、展覧会終了後に解体。その時の端材を残されていた。

今回はベニヤ板を複製し、Cubeを原寸大で復元されていた。姿は違えど、作家の強い思いを感じる作品だった。

再び、ミルココさんの作品。スピーカーだったり、映像作品。

無。
欠如。
喪失。
空虚。

無は問題ではない。

ますます、わからなくなる。

最後は、AAICの時に蘇生するユニコーンを制作された平野真美さんの作品。

亡くなった愛犬の遺骨をスキャンして3Dデータを作成し、3Dプリンターで出力されていた。

存在しないものを追及されていると感じた。

でも、私には少し難しかった。
頭がグツグツしてきたので帰ろう。

その時目にした平野さんの言葉。

「私はいないものが気になっている。いないものとは、存在しないもの、亡くなったものも含まれる」

その時、朝の出来事を思い出した。

昨日から何故だか、Facebookが英語に変わっていた。なおったはずが、また英語になっていた。もう面倒だからそのままにしよう。

その時通知が来た。

「今日は◯◯さんの誕生日です」

私は彼のFacebookを見た。
友人が、お祝いのメッセージを入れている。そのメッセージは、2020年のものだ。

カメラマンの彼の投稿は、2018年3月で止まっている。
私はそのまま、投稿を見た。
沢山の素敵な写真。

私は一緒に山に登って花火を撮影したいと彼に伝えた。
すると、大変だよ、自分で精一杯だから面倒みれないよ~と言われて私はやめてしまった。
花火の後、彼から素敵な写真が送られてきた。
それが最後のメッセージだった。
彼は自ら、この世を去った。

その後、私は彼の遺作を掘り起こし、データをかき集め、写真展を開催した。

私は、いなくなった事実を受け止めようとしていたのか、作家不在の展覧会がなにを意味するのか、良くわからずにいた。
ただ、やらなければならないと思っていた。

そして今年。
自分の大切なものを失ってしまった気がすることがあった。
しかし、それと同時に、自分がとても恵まれていると気づかされた。

感謝が足りない。
とてもとても反省した。

自分の中からなくなってしまった何かによって、また新たな大切なものが生まれる。

不在の観測によって、改めて色々な事に気付かされた。
展覧会の内容がわからなくてもいいのだ。

自分をみつめなおすきっかけになった。

多分、これでいい。

おわり

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