撮影こぼれ話。(年に一度の大切な行事。いつもありがとう。)
先日、いつも展覧会でお世話になっているお寺の報恩講の撮影をさせていただいた。
昨年、報恩講の時にいただく食事、「おとき」の準備の撮影をし、今年は当日の撮影。
報恩講(ほうおんこう)は、浄土真宗の宗祖とされる親鸞の命日の前後に、救主阿弥陀如来並びに宗祖親鸞に対する報恩謝徳のために営まれる法要のこと。
よくわからなかったけど、おつとめの後のお話でわかった。
親鸞聖人が生涯をかけてあきらかにした教えを聞き、「ありがとうございます」と感謝するのが報恩講のおつとめ。
年に一度だけの装飾
「ありがとうって言えてますか」
感謝の気持ちは心が豊かでないと出てこないと聞き、確かに私のまわりで毎回ありがとうって言ってくれる人は心がとても豊か。
凹んだ時はなかなか言えないというのも、決して悪いことではない。
私はいつも感謝の言葉を言ってるつもりだったけど、ちゃんと言えてたのかな。
命を与えられ、生きている。
当たり前の事にも日々感謝しないといけない。
反省しながらずっと撮影していた。
撮影していると、年配の男性が近づいてきた。
「あの、5月の写真展に亡くなった方の写真展示してみえた方ですか?」
と言われた。
ちょうど着物を着てた日に来場されたようだったが、私の顔を覚えていてくれた。
今年初めに大規模撮影のエキストラ誘導で参加した作品にエキストラで参加してくれていて、家内と二人で走りましたよ、とニコニコ笑ってくれた。
感謝できなさすぎていて少し泣けてきた。
おつとめが終わると一斉におときをいただく。
砂糖が貴重な時代に作られていた甘い味噌汁。
少しの量でおなかいっぱい。
炭火ですこし焦げたご飯が美味しかった。
いつも住職を支えているお庫裏様の大島と紬の帯、ビーズ半襟が本当に素敵だった。
私は少し前に若くして亡くなった、お庫裏様の妹様の大島と紬の帯を譲り受けた。袖を通すことなく、亡くなったので着てほしいと。
ありがたく着させていただいている。
いつかは別れがくる。
感謝の気持ちはいつも心に。
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