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映画独り言。(老ナルキソス)

昨年、私がスタッフとして関わっている「MIRAGE THEATRE(ミラージュシアター)」にゲストで来ていただいた東海林毅監督の長編映画「老ナルキソス」が公開されるという事で名古屋公開初日に名古屋シネマーテークへ行ってきた。

名古屋シネマテークは1982年に開館したミニシアター。とても雰囲気のある映画館だが、残念ながら7月末に閉館となる。

老ナルキソスは2017年に制作された短編映画。今回の長編映画は新たに撮りなおしたシーンに新しいエピソードが加えられていた。
東海林監督の作品は自身で技術を持つVFXが加えられてたり、ビジュアルでとても楽しませてもらえる。しかしそれだけではない。

短編版の方で完結していたように思えたが、ファンに熱望され長編制作に至ったと聞いて納得だった。

ゲイでナルシストの老絵本作家山崎は、自らの衰えゆく容姿に耐えられず、作家としてもスランプに陥っている。ある日ウリセンボーイのレオと出会い、その若さと美しさに打ちのめされる。しかし、山崎の代表作を心の糧にして育ったというレオ −自分以外の存在に、生涯で初めて恋心を抱く。レオもまた山崎に見知らぬ父親の面影を重ね合わせ、すれ違いを抱えたまま、二人の旅が始まる…。

映画「老ナルキソス」公式サイトより

あらすじをみるといわゆる「クィア映画」(LGBTQ+が登場したり当事者が制作する映画)に該当する。

私は数年前、ニューヨーク在住の方と映像作品を制作するにあたり、LGBTQIA+について調べていた。実際にはもっともっとたくさんあるし、別にどのカテゴリにいるからといって、同じ人間だなと思った。
同じ人間なのに、どうして同性婚だけが認められないのか?まだまだ乗り越えなければならない課題が日本には沢山ある。

「家族」「老い」について考えさせられる映画だった。これはLGBT当事者でなくても誰にでもある悩みだったり出来事だ。
家族の在り方は人それぞれだし、正解なんて何もない。どんな形が幸せで、どんな形が不幸せなのかも誰にも決めることは出来ない。

「老い」についてはまさに自分にも迫りつつある。数年前までは意欲的に制作していたものの、だんだん心身をすり減らすようになってしまい、「老い」を恐怖だと感じるようになっていた時期もある。
年上の人に話せばただの笑い話にされてしまうが自分にとっては結構深刻でもあった。色々考えさせらる内容だった。

上映後のトークでは制作の裏話なども伺うことができた。
物凄く強風のシーン、もしかして台風だったのかな?旅館の窓の外の木々が物凄く揺れているし海のシーンも波が荒れている。。。と思っていたらやはり台風の影響で天候が荒れていたらしい。とても危険に見えるシーンは運よく安全に撮影できる場所で、実際よりも危険に見えるように撮影できたとのことだった。

プールのシーンは撮影用の深いプールを使用。人間ってなかなか沈まない。私がダイビングした時には沈まなさすぎて重りを沢山つけたので(私の場合は脂肪が多いからかもしれない…)、苦労がうかがえる。
最終的にはみんなで持ち上げてドボンしたとか…

そして性描写はリアリティがある。クィア映画に限らず、濡れ場になると避妊具装着のシーンなどは飛ばして行為だけ美しく描いてしまいがちである。それを監督はそうじゃない、男性同士であっても性感染症に感染しないために使うのは当たり前、むしろ使わないのは相手にとって思いやりがなさすぎるというお話が印象的だった。俳優さんの熱演、細かいこだわりのある絵づくりが作品をより深いものにしていると感じた。

この映画は、今の日本を記録した映画でもある。

数年後日本は変わっているだろうか?
誰しもが生きやすい世の中にと言いながらまだまだ差別や偏見はある。

少しでも変わっていくよう、監督が声をあげて命懸けで制作した素晴らしい作品だった。

司会の福島拓哉監督、東海林毅監督、俳優の寺山武志さん


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