あえての一手:「なぐり書きの練習」

書は人なりと言いますが、字を書くという行為一つとってみても、様相は千違万別です。大人になっても文字の癖は直らないもので、子供の筆記にいたってはその子の言動以上に本人を表すといっても過言ではないでしょう。

さて、子供の性別と字の上手さについては、ご想像の通り、圧倒的に女児に軍配があがり、男児は土俵にも上がれないと言いたくなるくらいの字を書く子が大勢います。そうした男児への接し方や理解については後に説明するとして、字のキレイな女児についてはメリットしかないのでしょうか?(性別に特化した書き方をすると怒られそうですが、便宜的なものですのでご容赦ください)

結論から言うと、その子が「キレイな字」しか書けないのであれば、走り書きや書き殴りの訓練をしてみても良いかもしれません。

字を書くスピードは思考の速度と密接な関係があります。
頭の回転が極端に速い生徒は、字を書くスピードも速いか、字を書くことを厭うことがあるか、どちらかのケースになることがあります。
字を書くのを厭うケースは、思考の流れよりも筆記が遅いことにより、かえって文字を書く利便性がピンとこなくなるからだろうと思います。そうした子も興味をひかれるような難問に出会うと、自然と文字を書くようになりますから、必要性を感じていないのでしょう。
 また絵や図を書くことでイメージを喚起したり膨らませる力があるように、文字でメモをするだけでも、思考が整理され、想像が膨らみやすくなることもあります。その際の字というのは、素早く、もやしを炒めるように書き留めるのが良いのです。思考のバランスの良い生徒の回答などを見ると、図や絵やアンダーラインなどの他に、「ニュートン算?」などと一言メモが入っていることが多々あります。

ゆっくりと丁寧な字しか書けない生徒は、上記のように思考をするのが苦手な生徒が多く、覚えたものを覚えたように解く傾向が強いです。なので、実際に思考をアウトプットしてみて試行錯誤が必要な問題になると、極端に苦戦することがあ流のです。(複雑な文章問題や図形問題など)

「下書きや試し書きの必要など、言われたらすぐにできるだろう」と大人には思われるかもしれませんが、情緒豊かで規範意識の強い小学生の女の子には、周囲が考えるよりも遥かに様々な制約がかかっていることがしばしばあり、「ノートはきれいに書かないとダメ」「教科書は汚しちゃダメだから書き込んではダメ」「学校の先生から言われたから、これはこうしなくてはいけない」などと…利発な微笑みの向こうでは硬い鎧を幾重にもまとっていることがあるのです。並大抵の努力ではこの鎧を解くことはできないので、小さな頃から、その子の思考が強張らないように、信頼に足るメンターからの意識付けが必要です。

私もかつて、そうした受験生の女の子を指導したことがあります。
小柄なKさんは、丸顔に大きな黒縁メガネがトレードマーク。何に対しても受け答えのよい、礼儀の正しい女の子で、ちょっと年上みたいな太い豊かな声をしていました。
字は、マスいっぱいに堂々と大きく書いて、授業なども非常に熱心に聞いている上位生でした。
このKさんはどっしりしていて比較的成績も安定しているタイプでしたが、どうしても「あと一歩」が足りず、高い志望校の思考力問題になると手が出ないでいました。

原因は「下書き、試し書き」を書かないから。再三に渡って講義でそのことを助言されても、どうしてもできない。あと一歩の状態が続いたまま、最後の冬を迎えてしまったので、最後の勝負として個別の授業で「なぐり書き」の指導をしました。

マンツーマンになって、「今日はなぐりがきの訓練をする授業だよ」と言うと、真面目なその子は一体何が始まるのかと「ゴクリ」と硬い唾を飲みながら、うなづきました。題材は、デジタル表記のナンバーのある部分の横棒の数を計算する問題で、不規則な変化に対してシンプルな解法がなく、書いて数えるを繰り返さないとできない、その子が苦手なタイプの問題です。

渡したのはその問題の問題用紙を一枚、それから大きなA3のコピー用紙を一枚です。あえてノートを使わせなかったのは、実はマス目や横線のノートは補助輪のついた自転車に乗っているようなもので、思考の小回りをさせない矯正具になっていることがあるからです。

「今日は私はヒントを出さないからね。」とだけ言って、一度は自由にやらせます。Kさんはせいぜい式と筆算だけを書くような綺麗なノート作りをする子でしたから、うんうんと唸りながらもしばらく計算をして解を出しました。結果は大きくはずれていないもののハズレ。A3の用紙はわずか10%ほどしか埋まっていません。

静かに「もう一度やって」と言って、突き返すと、そのわずか10%の記述を消しゴムで消して、それから同じように取り掛かりました。ブツブツ言いながら、目をあちらこちらに動かして、色々と想像力を駆使していることが分かります。そして、待つことさらに5分。解を出すに至りましたが、またもハズレ。やはりA3用紙には余白がたっぷり…。
そこで、少し導く方向を変えてみました。私が時間設定をしていないのにも関わらず、かなり急いで計算をしようとしていましたし、丁寧なように見えて、細かいところの検討を疎かにして前に進んでいるところもあったからです。やはり、これはこの子の問題を解くときの「つもり」を変えなくてはいけないな…そう思って、「あのね、Kさん。この問題がテストじゃないつもりでやってみよう。それに今書いたこの下書きは消さないでいい。進んでる道がおかしいなと思ったら、自分の書いた式とか筆算に思いっきり上から×印を打ってみて。そうしたら、どこまで考えたかが残るでしょう?」そこまで言うと、Kさんは微妙な頷きをしました。やはり汚いノートが嫌なのでしょう。そこで、さらに「今日は間違えたら何枚でも紙を上げるからね、途中間違えても消さないで、×を残して、前に進むこと。ただし、あと一回だけチャレンジして絶対に間違えないように、数え上げても解が分かるくらいまで書いてやってみよう」と伝えました。
すると、意を決したように、持ち前の濃く太い筆跡でもって、みるみる筆を進めていきました。何度も×を自分でうち、黒々と字や図を書き進めていきます。そうして待つこと…同じ5分ばかり。「46」と見事に自力で自力で正答にたどり着いたのです。(私も嬉しかったので、この正解の数字だけは今も覚えています)
相当に集中したのか、鼻の下に幾分汗ばみながらも、私が赤ペンで二重丸を打つと、満面の笑みで震えるように喜んでいました。
「ね、わかったでしょう?これでいいんだよ!あと、驚くかもしれないけど、こんなにA3の用紙が埋まっているのに、実は初めに唸りながら頭の中で解いた時とほとんど同じスピードで解けているんだよ。」

Kさんが覚醒した瞬間でした。その子はそれ以来、びっちりと書き込みなどをするようになり、私が担当していなかったゼミなどでも好成績を収められるようになりました。

その後も、個別授業ではこの「なぐりがき」の練習を繰り返しました。普段から丁寧な字を書くことに特化した生徒問いのは、実は手首が非常に強張っているもの。この手首の強張りを意識させ、もう少しリラックスして書けるようなアドバイスなども出し続けました。

なぐり書きの練習…あえての一手として、やってみてくださいませ。

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