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25周年に向けて ④

私は、家庭だけではなく、社会生活を日本語で行っている日本の子どもが、all Englishの環境で早くから学ぶということの効果に懐疑的だ。

寺子屋にもここ10年足らずの間に、インターナショナルスクールのプレスクール卒の生徒や現役の小学生が通ってくれているけれど、幼稚園や小学校の低学年で all Englishの環境で過ごすことが与えるかもしれない影響をしっかりと検証してほしいと思う。英語でのやり取りが多少スムーズになることもあるが、失うものの方が大きいと思えてならない。母語での理解が遅くなったり、知識や考えがしっかりと根付かなかったりするだけではなく、情緒の面の成長でも気になることが少なからずあるように思う。

また、私は、外国語を学ぶことの醍醐味は、外国語とその言語が話される文化を知ることにより、母語や自分たちの文化の理解も深めることだと信じている。だから、最初に母語の土台があってこそ、その醍醐味を味わえるのに、子どもたちの日本語の基盤がどんどん弱くなっていることに危機感を抱くことも多い。

昨日、高校生の関係詞の説明のあとに出てきた英作文で

「私には、お母さんが生け花を教えている友人がいる」という課題が出て

この「お母さん」を

私は疑いもなく「友だちのお母さん」だと考え、生徒たちは「私の母親」だと主張した。

ー自分の母親だったら、「お母さん」じゃなくて、「母」という表現を使うと思う。

と、伝えると、「へ?」という反応の生徒たちー。

英作文をするには、日本語を正しく理解できないと英語の文として正しくても、相手に全く違うことを伝えることになる。母語での語彙、表現の欠如は外国語の理解力、表現力にも影響する。

また、「お母さん」と言えば、この24年足らずの間、中学生の和訳の添削に、悩ましいと思うことが、、、

時間があるときは、△で対応をしているが、「彼女は彼の母です。」というような訳。本当は、❌をしたい。

そんな違和感をきちんと整理しながら、英語だけではなく、日本語も学ぶー

そんな学びも外国語を学ぶときの大切な過程の一部なのに、忙しさにかまけてないがしろにしている小・中学校の外国語活動、英語教育

ーその一方で、母語が確立する前から過熱する英語教育

英語塾としては、本当に悩ましい。

英語習得はゴールではなく、次へ続く扉の鍵であり、英語は次に何かをするための単なる道具であることを、伝え続けたいと思っている。

いただいたサポートは、子どもたちの学ぶ環境づくりに使わせていただきます。よろしくお願いいたします<m(__)m>