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ノート

今は30代になっている生徒が中学生だったときー

学校の数学の先生が、

ー数学のノートをケチる人は、数学が得意にはならない。

と、おっしゃったという話を聞いて

そうだ!そうだ!

と、言ったことがある。

それを、しょっちゅう思い出す。

それは、数学だけではなく、英語も、他の科目も同じだと思う。

あとから、先生に見せたり、自分が見直して確認をしたりするためにノートはとるものだ。

あとから見直しづらいほどつめつめだったり
行の最後まで埋めるために単語が途中で切れていたりー

見づらいという指摘に

勿体無い

と言われると、

あとから見直しづらかったり
添削するとき、時間がかかったり
書き直さなければならないならー

その時間も勿体無いのに、と思う。

そこで、父の「かめい英語教室」では、無料でノートを配っていたけれど、寺子屋ではそれはしていない。

それは、父の塾で無料だったノートは、無駄に使われることが多かったからだ。途中までしか使っていないのに捨てられていたり、忘れられたり、破られるページがあったり、「ただ」ということで、雑に扱われていたので、寺子屋では自分できちんと買ってもらうことにしている。

けれど、それで、ノートを作る意味がなくなってしまうような使い方をされると、それはそれで悩ましいと思う。

ノートは、あとの自分が見直して理解するための助けになるもの
ノートは、あとから先生に見てもらって添削してもらうもの

そんな意識を持って、丁寧に、おおらかに使ってもらうように、声かけや指導をしたいと思っている。

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