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てらこやのひび ③

私は、アメリカの国際公共政策大学院で「都市・地域計画」を専攻した。

その大学院の授業の中で、教育政策について考えたとき、アメリカ人の同級生に

「日本は、ほとんどすべての人がほとんど同じレベルで基本的なことを知っているような教育をどのようにして可能にしているのか」と聞かれて、面食らった。

確かに、それまでにアメリカで出会った高校生や大学生の基本的な知識のなさに、びっくりすることがあったけれど、それが「ほとんどすべての人がほとんど同じレベルで基本的なことを知っていること」が当たり前の日本で生まれ育ったからだという認識がなく、困った。

でも、今なら、その土台にアメリカなど欧米とは少し様子が違う「地域社会」があるからだと答えるかもしれない。

私は、父が営んでいた塾を再開させるのに、「寺子屋」という名前を使いたいとずっと思っていた。

それは、もともと「父の塾を再開させること」が目標だった私が「自分たち自身のSDGsを考える ③」で書いたような父の「塾の在り方への疑問」への私なりに出した答えが、明治維新以来の日本の発展を可能にしたような「地域教育」の場としての塾だったからだ。

日本の社会が、今まで(ちょっと昔まで?)世界で通用したのは、寺子屋や私塾という教育の場だけではなく、ときには、面倒なしがらみもあったのだろうけれど、当たり前のように地域で知識や知恵が大人から子どもに伝えられ、子どもたちを地域で育てる・・・その土台が日本社会にはあったからだと私は信じている。

漫画やドラマの「ばらかもん」に私が魅了されるのも、そう信じているからかもしれない。

けれど、今はそれがなくなりつつあるーというか、もうないのかもしれない。そう思うことが増えている。

そして、今思うと「ほとんどすべての人がほとんど同じレベルで基本的なことを知っているような教育」も幻だったのではないかと思うことまである。

けれど、先日の寺子屋の釣り部の様子などを見ながら、こういう年齢と経験の幅を越えて、いろいろなことを語り、教え、助け合う若者たちを見ながら、気づけば出来上がっているコミュニティに、まだまだ努力を続ける希望を与えられている。学校でできないことを補いながら、できること、すべきことをこれからもこつこつとしたいと思わせてもらっている。

それが、私がいなくなってもなんらかの形で残ってくれたら・・・という淡い期待も抱きながら・・・笑



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