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遠島の視点

1221年、承久の乱に敗れた後鳥羽上皇は、島食の寺子屋がある現中之島(海士町)へと、流刑に処され、京に戻りたいと切望しながらも、それが叶うことなく、この地で十九年の期間を過ごされました。

 後鳥羽上皇は和歌に精通しており、新古今和歌集の編纂を通じたことで名が知られております。新古今の時代の和歌は、耽美的で、技巧に優れた歌が多く、後鳥羽上皇もその例に漏れず、優美な歌を詠まれていました。

新古今和歌集の中から一例を挙げると、

桜咲く遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬ色かな

桜の咲く遠山の眺めは、山鳥のしだり尾のように長い長い一日中眺めていても、飽きることのない優美さであることだ(筆者訳)

春の桜の優美さが格調高く表現された一首です。百人一首でも有名な柿本人麿の歌である、「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」という和歌の一部を拝借する、本歌取りという技法も使われており、新古今らしい耽美な歌に仕上がっています。

一方で海士の地に流された後鳥羽上皇は、和歌を読み続け、後に遠島御百首という形で自身の歌をまとめますが、歌の響きの優美さは残しつつも、より痛切で、より素朴な風景を詠む歌が増えました。同じく春の歌を一例に挙げると、

春雨に山田の畦(くろ)をゆく賎(しづ)が蓑ふきかえす暮れぞさびしき

春に吹く雨嵐が、山の田んぼの畦道を歩く農夫の蓑をひっくり返している、そんな夕暮れの風景が物悲しい(筆者訳)

格式の高い調べは相変わらずですが、京にいた頃には詠むことのなかった、農村の風景という題材が使われており、また、島流しに遭った自身の境遇から生まれてくるような、痛々しい悲しみが風景に重ねられるようで、きっと遠流にあった境遇でなければ詠めなかった歌だと思います。

 このように、島に来る前と後では、まるっきり自分の立場、目線が変わってしまった後鳥羽上皇は、自身が最も力を入れていた和歌の作品に、その変化が大きく表れました。京にくる前の上皇の和歌は、和歌が大好きで詠みたくて仕方がない、というような印象を受けましたが、島に流されてからの和歌は、詠まずにはやっていられない、というような、切実な想いが感じられるようで、私にとってはこちらの方が心打たれるようです。

 今となっては、海士町は魅力のある土地となり、私も後鳥羽上皇のように罪人としてこの地を訪れたのではなく、自らの意志でこの島にて時を過ごしているわけですが、やはり街で暮らしていた、大学生活を送っていた自分と、島で暮らす、和食を学ぶ自分では、大きく目線が変わったことを実感します。

 最近は、ちょっとした課外活動として、毎週先生にお弁当を作るようになりました。街で暮らしていた頃も自分用のお弁当を作ることはありましたが、他人にお弁当をつくるという経験は、自分の目線を大きく変えるもののように思います。

 特に意識するようになったのが、お弁当の盛り付けです。自分のために作る分には、味さえよければ満足なのですが、人に振る舞うとなるとなったとき、初めて彩りというものを考えるようになりました。盛り付けの基本となる五色(赤、青、黄、白、黒)を揃えるために、直売所を右往左往してみたり、散歩中、足りない色を補うために、あしらいに使える植物がないものかと、脇道に目が行くようになったり。一つのお弁当を作り上げるために、色のことを考えるようになったのは、こちらに来て新しく手に入れた視点でした。

 また、お弁当を食べていただいた先生からのフィードバックは、大半がおかずの盛り付け方になるのですが、これがとても奥が深く、感銘を受けるばかりです。最後まで飽きずに食べてもらえるように、味の淡いものは手前、濃いものは奥に配置する、見た目に圧迫感がないように、奥に高さが出るように盛り付ける、など、おかずの位置、高さ、向きの一つ一つに、相手への思い遣りが込められており、その難しさを痛感するばかりです。

 自分のための料理から他人のための料理へ。視点が変わると、視界に映る風景のピントも、頭の中で巡らせる思考も変わってきます。授業を受けながら、家で本を読みながら、お風呂に入りながら、釣りをしに堤防へ歩きながら、次のお弁当はどうやって赤色を取り入れようか?この料理はどんな味付けにしてどこに配置しようか?そんなことをぐるぐるあたまの中で巡らせながら、ぼんやりと辺りを見回してみると、視界に浮かび上がるものは自ずと決まってきます。後鳥羽上皇も、忸怩たる思いで過ごされた島での生活では、きっと自ずから詠むべき歌が導かれたのでしょう。来年には、私のお弁当はどんなところに辿り着いているのでしょうか。

参考
小沢正夫・松田成穂・峯村文人校訂・訳『古今和歌集・新古今和歌集』(小学館、2008年)
小原幹雄『遠島御百首注釈』(隠岐神社社務所、1983年)
中尾彰男『不遇の中の詩心 新古今代表歌人の「百首」』(さんこう社、2010年)

(文:島食の寺子屋生徒 岩﨑)