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卒業生インタビュー(鈴木くん)

料理の世界に入ろうと思ったきっかけは、ラーメンという異色の動機。調理師専門学校に通うことを検討していながら、最後は専門学校とは対極の環境にある島食の寺子屋への入塾を決めた鈴木くん。敢えてギャップに身を置きながら、島食の寺子屋ならではの成長を感じたよう。

最後の卒業制作は、生産者や関わって下さった方々へのお礼のお弁当。試作を繰り返したお弁当を、お世話になった方々に渡しおえた後に、鈴木くんに卒業インタビューをとりました。(聞き手:受入コーディネーター 恒光)

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まずは1年間お疲れ様でした!ひとまず、今の気持ちを聞かせて下さい。

実は島外での就活から帰ってきてから、卒業までの時間をどう過ごすのか、自分の中で定まっていなくて、このままどうやって終わっていいのかわからない気持ちだったんです。

でも、卒業制作が始まって、自分で考えて料理してみて、生産者さんのところに届けてみたり、そしてそれに対する声も返ってきて。

あと、考えているものが実際に形にしていくことに、全部自分でたずさわってみて。1年前の自分と比べてみて、できるようになったことが見える形になったというか。自分の思ったものを表現してみたり、そういうことが、本当に比べ物にならないくらいにできるようになったなと思います。

1年前のちょうどこの時期に来たときは、鯛とブロッコリーとほうれん草を直売所で買ってみて、焼くだけとか煮るだけしかできなくて、本当に酷い出来のものだったと思うんですけど(笑)

そういう状態からを振り返ってみても、ある種アウトプットとか形にするという意味においては、そういった力がついたというのは、本当にすごく実感として湧いたなと思いますし、それがすごく嬉しいということが、純粋な率直な今の気持ちです。

他にも思うことは沢山ありますけど、表現できることが増えたりとか、それこそ寺子屋が大事にしてきたことを表現して形にすることができたのは、ひとつ自分のなかで形にすることができたという意味で、やってみて本当に良かったです。

鈴木君は、どちらかというと調理師専門学校で論理的に料理を学びたい気持ちがありながら、敢えて自分の志向とは真逆の環境に身を置いてみたんだよね。敢えてそうすることで、得るものと、そしてギャップに当然悩まされることも多々あったと思うんだけど。調理師専門学校に行っていたら、どんな自分になっていたんだろうね?


想像の話でしかないですし、まだ上手く言葉には出来ていないんですけど。
「料理」だけを学んでいたら、料理をするうえで大切なこととか、どういう想いでそれを作るのかとか、向き合い方そのもの、とか。もっと大前提そのものの土台が、まだできないまま、小手先で自分の技術を上げていたんじゃないかなという感覚。たぶんやっているだけじゃ気付かないことって沢山あるんだろうなと思っています。

寺子屋を選んでみて、どう違った?

食材を作っている人のそばで過ごす時間がすごく多かったので、食材に対する考え方とか向き合い方が、頭で分かっているというのと、実際の感覚として分かっているというのは、全然違うと感じました。

「自分の身に染みて」わかるというか。
まだ分かる過程にいると思うんですけど、そういったことに触れてこれたことが、料理人を仕事にしていくうえで、すごく違った部分だろうなと。
たぶん、普通の学校に行って普通に料理の勉強していたら、自分の今の感覚とか考え方ではない。たぶん、もっと右脳寄り?というんですかね?(笑)
合理的に良い食材を仕入れてとか、それを自分の中で良いと思うものをつくったり。それって、気付かないまま続けていたら怖いことだなと思います。

そう思えるきっかけを教えてくれるかな?

宮崎さんのところに行ったことが一つ。
自分が頭で考えているほど、”本当の意味で”生産者の想いとか、食材そのものの扱い方とか、っていうのを自分ができているつもりになっていたんですけど。

それが本当はできていなかったというのを気付くタイミングとしてあって。
例えば、茄子の皮を剥いてそれを全部捨ててしまっていたんですけど、そういう皮も美味しいから焼いて食べるとか。食材をその辺に置きっぱなしにしている自分に気付くことがあったり。
本当に自分の「行動」まで腹に落ちていなかったことに気付くというか。

食材を作っている方に、直に会ってそばにいて、学ぶことはやっぱりすごく多かったです。宮崎さんのところでの2週間というのが、自分にとって本当にターニングポイントというか、腹に落ちる経験ができたなと思います。

すみません、抽象的すぎて(笑)

寺子屋での1年間で節目はあった?

ん-、節目かぁ。自分の中での寺子屋の捉え方が何回か変化していて。
最初は本当に分からないことが多かったですよ(笑) 
「どうなんだろうなぁ」みたいな。

どれだけ技術が伸びるのかとか、自分が最終的にどのようになっているのか、は正直そんなにイメージが湧いていなくて。
日々色んな現場に行ったりとか、山の中に入ったりとか、包丁触ってずっと大根剥いてとか、そういう中で見つけていくものだろうなと思い始めて。

最初の2、3ヵ月は、とにかく慣れるというか、右も左も分からない状況から入って、で実践が始まって怒涛の追われる日々に入り。

寺子屋の捉え方が、在学中に変わっていったんだね。どのように学んでいくことに決めたの?

実践授業が落ち着いたくらいのタイミングで、自分が料理人になるうえで、「技術」という面と、自分がお店に入って働くとなった時のための、そういう経験であったりとか、自分が将来お客様に対峙したときに振る舞う力とか。「実践」を通して掴んだ学びと。

あとは、その「美味しさ」というとこ。素材そのものをどう活かしていくのか。もう少しいうと理論からも美味しさを追究していくみたいな、

その三つの軸で、「寺子屋で学ぶことを作っていこう」って実践が終わったころ位に決めました。

「技術」「実践」「美味しさ」という軸なんだ。

その軸を意識し始めてから、どういったことがもっとできるのか?とか、どういう風に過ごしたら残りの時間が自分にとって、もっと良いものになるのだろうか?とか。という風に考えが変化していって。

勿論、寺子屋の環境的にできることできないことあるけれど、「こういった環境のなかでなにをしていったいいのか」と捉えていきました。

実際に宮崎さんのところに行ってみたりとか、外で食べる機会を増やしたりとか、自分の時間の使い方であったりとか、寺子屋の捉え方というのが定まったのが、実践が終わったあたりのタイミングでした。その辺りから、色々腑に落ちたりとか、学びが深まったりとかというのは増えていったなと。

離島キッチン海士での実践授業は大変だった?

キャッチアップが大変でした。
やったことのないことが多い中で、緊張感もすごくあって。
自分の技術が追い付いていないなかで、これ失敗したらどうしようとか。
やっぱそういうことはすごく考えるので。まあ、それは当たり前ですけど(笑) 

すごく不安だったし、プレッシャーにもなったし。でも、それはすごく良い経験じゃないですか。だって、料理の現場に入ったらやっぱそういう場所なので。

ただ、やっぱ、その先のお客様のことを考える意識のレベルは、もっと上げて向き合えたら、もっと良かったなと思います。でもそれに気付けたのも良いことですし、次にお店で働くときに、もっとそこを意識してとか、一個一個丁寧にとか、っていうのをやりたいなぁと。

寺子屋で、もがいた経験はあるかな?

うーん、けっこうマイペースかもしれないです(笑)
割り切って「やれることはやろう」とか。

これは自分の良くないところかもしれないですけど、「変えられること」と「変えられないこと」とか、自分で枠を作っちゃうので。「変えられる」ところは変えようとするけど、自分が働きかけて変わらないとか難しいと思った時に、なんか割り切っちゃってしまう時期は何度かありました。なんかもっと、「こうやりたいんです!」って周りを巻き込んで動かしていくとか、そういうのができたかもしれないですね。

もっと、寺子屋でやり切りたかったことある?

素材の活かし方を学んでいくうえで、食材のテーマを決めてみるとか。
例えば、懐石料理にするのであれば、「なんでそういう風にするのか」とか。そういった部分もつきつめて、一緒に作っていくとか。

ただなんとなく、わからないまま料理とか作って日々を過ごすんじゃなくて、「一個一個のなんでそうするのか?」とか、料理をするにあたって素材のこういうところを活かしてみたいんだとか。
そういうところまで突き詰めて、作ったり考えたりするところは、もっとやり切りたかったです。

そういったことを繰り返していくことで、自分の感覚が形作られていくというか。作ったものを届けて、声が返ってきたりとか。反応を頂けて、やって良かったなと思うことがあったりとか。料理を作ってからの反応のような、いったりきたりの相互的なコミュニケーションとか。そういう形で学ぶ機会がもっとあったら、良いなと思いました。

今なら料理で誰を一番喜ばせたい?

ん-、難しい質問ですね。
自分の中では、まず鞍谷先生です。
やっぱりお世話になってきたし、沢山のことを教わってきたなかで、学んできたこと感じてきたことを作って、形にして届けてみたいです。

学んできたことを先生に披露する、知ってもらう。
だから、今回も最後に弁当を届けられて良かったです。
まだ食べてもらったあとの反応を頂けてないですけど(笑)

あとは、ムラーさんとか宮崎さんとか、食材を作って下さっている方々。
本当に使いたいと思って仕入れさせて頂いたので。

本当に使いたい感覚って、どんな感覚?

それは一緒に過ごした時間もあると思います。
あと、自分はすごくシンプルなんですけど、「美味しい」と思ったんですよね。大豆とか酵素玄米とか岩海苔とか。

「美味しいものはどういうものか」って難しい話なんですけど、でもやっぱり他のものと違って圧倒的に美味しいんですよね。なんというか食材の表情が豊かというか。
普通に商店で人参買って齧ってみても、そんなに人参を感じなかったりとか。逆にムラーさんの人参を齧った時に、ハーブみたいにとても香りが強くてとか、土の香りがしてとか。
そういうなんか食材の良さというか、それって作っているひとのこだわりであったり想いとか、全部のっけての食材だと思うんですけど、やっぱ実際に触れてみてとか食べてみて、普通のものと違うというか、そして本当にこれが良いものだって自分で思えること。

そして、それを自分で料理して他の人にも伝えたい。
形に出来るっていうのが、やっぱり料理人の良いところだと思うし、これって自己満足なところもあるかもしれないですけど、とても素敵なことだと思います。

今回のお弁当も「宮崎さんの酵素玄米、これが使いたい!」とか、そういうことが結構あって。そういうものがある中で料理をすると、すごく楽しいというか。

自分のこだわりを、はっきりと言えるっていいよね。

美味しいお店があったりとか、自分が本当に良いなって思うものは、人に薦めたくなるんです。良いと思ったお店にひとを連れて行ったりとか。本質的に自分はそういうのが好きで。

自分が良いと思ったものとか感動したものとか、心が豊かになったものとか。そういうのを広げて伝えて、届いて欲しいし、それを作った人が報われてほしいしっていう、なんかそういう循環の手助けを料理をとおしてできたら、それはすごく幸せなことだなと思って、料理の世界に入ろうと思ったところもあるので。

ただ、それを伝える表現力とか技術力がないと、それがどれだけ良いものであっても、つぶしちゃう可能性もあるし、伝えきれてないなとか、思ったとおりにいかないなってこともありますし、そういう意味でも技術であったりとか、活かし方をもっともっと磨いていきたいです。

なんで料理を始めようと思ったんだっけ?

ひとつは、つくったものに触れてとか、心が豊かになったり幸せになる瞬間が結構あって、それは自分にとっては一個はラーメンだったんですけど。麦苗のラーメンを初めて食べた時に、「なんて美味しいんだ」と。本当にただ美味しいだけじゃなくて、作り手の想いもそうだし、なんというか体に染みるというか。「本当に美味しいな」って。それこそ中東さんのところもそうなんですけど。

つくったものに触れて、人の心が動くって本当にすごいことだなって。
もともと自分はものをつくることとか、なにかを作って表現するということに「憧れ」というか、そういうことをずっとしたいなと思ってきていて、でも本格的にやったことはなくて。

あったとしても、学校の文化祭くらい。
ハワイで食べたマラサダっていうドーナツが本当に美味しかったんで、それを出したいって言って。生地から作って、自分の部屋を工場みたいにしちゃったり。根本的にそういうのが好きな自分がいて。
そしたら、たまたまハワイの方が学祭にいらっしゃっていて、食べてもらったら「すごい」「美味しい」みたいな。ここでマラサダに出会えるなんて思わなかったって言ってもらえて。それがすごく嬉しくて、それは記憶に残っています。

原体験みたいなものがあったんだね。

仕事は人事をやっていたんですけど、人事って直接なにかをするというよりかは、なにかをやる為の環境や仕組みを裏方で支えて作ったりとか。最初は、そういうことをやってみようと思ったんですけど、段々ともっと自分が直接ものづくりにたずさわりたいって悩む時期があって。

「自分が楽しい」とか「熱をもって取り組めるもの」っというので、料理に着目して。まあ、わからなかったんですけどね、料理なんてやったことなかったので(笑)

そんな時に、本当にたまたま島食の寺子屋を見つけて。
それこそ辻調理師専門学校の説明会とか行っていた時期で、正直なところ「調理師専門学校だと、お金かかりすぎるなー」ってところもあって(笑)

あと、料理っていう自分が触れたことのない世界に、いちから飛び込んでやってみるとなった時に、「どういう環境に行ったらいいんだろう」って考えていたんですけど。

寺子屋の生徒募集に書いていたことで、自然の中に入ってとか、生産者の方と関わってとか、そういう中で料理人になるうえでの原点というか礎を作っていくような場所っていうのを見て、「それって、今の自分にとってとても必要なことなんじゃいかな」って、直感的ですけど、そう思って。

いま、思えば直感だけで来ましたね(笑)

来島見学で島に着いた時には、もう入塾を決めていたもんね(笑)
寺子屋に入って一年後どうなるかっていう想像もしないで来てたよ。でも、不安とかなかったのかな?一気に畠違いだし。


そうですね(笑)
こんな遅くからスタートするなかで、厳しい道になると分かっていたなかで、大丈夫なのだろうかとか。でも、それはやるだけじゃないですか、正直。それは自分の決めの問題というか。

あとは、周りの人ですね。
チャレンジすることというか、踏み出すことに対して、「やめときなよ」とか「なんでそんなことするの?」って人が、幸い自分の周りにはあまりいなくて。
すごく背中を押してくれたりとか、「いいね」って純粋に言ってくれる人が多くて。それが大きかったかもしれないですね。

就活はどのように進めたの?

自分の行ってみたいお店を探すので精一杯で。
でも、そんな中でご縁があったり、お声がけいただいたお店があって、最初に働ける場所ができたのがあるので、まずはそこで働き始めるといったところです。

就活をする時は、直接オーナーさんと話したりするの?

まずはご飯を食べにいくところからですね。
そこから、ちょっとずつ、お店のひととか大将とかに話したりってところはありますけど。
けっこう「同業の方ですか?」って聞かれたりしました、ひとりでお店に行ったりすると(笑) 

お店の人に島食の寺子屋のことを話してみて、どんなリアクションが多かった?

料理をしている人からすると、純粋に羨ましいみたいです。
環境が羨ましい、っていうような反応が多かったです。

色んなお店に行ってみて思ったのは、素材と向き合って料理をしているお店にいくと、まず「隠岐」っていう場所を聞いただけで良いなって言われたり。あそこ、やっぱ良いよねって。

逆に反応が鈍いのは、そういう環境に触れてこなかったであろう人たち。「そういうのが活きてくるのは、もっと先かもね~。まずは技術でしょ?」とか。

最後にこれからの生徒に一言お願いします。

んー、難しいですね。
それぞれ入ってくる理由とか、どういう想いで入学するかが違うと思いますし。それこそ寺子屋に求めるものも、ひとりひとり違うかもしれませんし。

なんだろう。やっぱり環境そのものは恵まれているじゃないですか、どう考えても。

それをどう活かすか次第かなとは思っていて。でも、活かし方がわからなくなるタイミングって、きっとあると思うんですよ。目の前のことでいっぱいいっぱいだったりとか、やることが沢山降ってきたりとか。

そういうタイミングに、自分がなんで入ったのか、どういうことを学びたいのかっていう初心の部分と、その中でどういう選択肢があるのかっていうのを、色々と頼ってみたり、ひとに聞いてみたり巻き込んだり。

一個ずつ進めていくと、たぶん見えてくることとか、やるべきこととかが出てくる感じ。

けっこう融通きく環境じゃないですか、なんだかんだ(笑)

なので、できることをどんどん決めて、周りを巻き込んでやっていくと、たぶん一年後に変わっていると思う。受け身だと本当にもったいない場所だと思う。

初心のところを振り返りつつ、迷った時とかアップダウンのダウンの時とかに、できる選択肢を時には校舎以外の場所にも目を向けて求めてみたりとか。海士町でできることに全力で取り組んでみると良い時間になるんじゃないかなと思います。

ありがとうございました。そして、一年間お疲れ様でした!
新天地でも頑張って下さい!

※2021年3月14日にインタビュー

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