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だし巻き奮闘記、きいろの日々

たまごを溶いて、出汁と薄口しょうゆを混ぜあわせる。 
よく油をならした巻き鍋を火にかけて卵液を流し入れると、ジュッとおいしく焼けそうな音がする。 
泡はすばやくつぶし、鍋を絶えず動かしながら均等に火をあてる。 
全体の色が変わってきたら、鍋を上下に振って奥から手前に、一気に巻いていく。 
何度かくり返して巻きすにとり、形をととのえる。 
形が落ちついてから巻きすをひらけば、きれいなだし巻きができている……のが理想だけど、途中で鍋にくっついてぼろぼろになったり、やぶれたところから出汁がもれたり。 
あーあ、とがっかりすることもしょっちゅう。 
3人で暮らすシェアハウスの食卓に、それぞれがたまご15個分ずつ練習したきいろいカタマリがならぶ。朝昼晩と、みんなでせっせと食べている。 
先生は、たまごを7つも使うような大きくて重たい巻き鍋で軽々と巻く。 
できあがった見た目のうつくしさも口当たりも、わたしのそれとは全然ちがう。 
誰よりスクランブルエッグだったわたしのだし巻きも形になってはきたけれど、まだまだ。 
 

 だし巻きをたくさん練習した9月は、いろんな黄色が印象的な1か月だった。 たまご色に、蜜で煮た栗とさつまいもの色。 離島キッチンのあと、みんなで拾った銀杏の実の色。 ずっとやってみたかった草木染めを、ひとまわりほど年の離れた初々しさがかわいい先生に教わって、玉ねぎの皮で染めたからし色。 春に植え継ぎをお手伝いした田んぼの、収穫期を迎えた稲の黄金色。 まだ小さかった苗を一つひとつ手で植えた日のことはこんなにも鮮やかにおぼえているのに、もう4か月も経っている。 立派に穂をつけてそよぐ稲を前に、持ち前のマイペースを悪化させながら悠々といちばん後ろを歩いている自分の成長度合いを思ってしまう。   校舎の桜の木は葉を落としはじめた。 空が高くて、肌をなでるさらりとした風がとても心地いい。 生まれて初めてキンモクセイの香る秋を過ごせるのがうれしくて、どこまでも歩いていけそうな気分。 北海道で感じていたのとはちがう季節の速さと、慌ただしく過ぎていく日々に遅れまいとするのはたまに苦しいけれど、前より上手に息継ぎできるようになったかな、と思う。  


 

寺子屋での一年間も、あと半分。 この島で和食を学びながら、磨かれているのは料理の腕だけじゃないはず。 息を吸っているだけで楽しい大好きな季節を、来年はどこで迎えているだろう。 

(文:島食の寺子屋生徒 佐野)