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5月「繋がる」

 新たな出会いに毎日幸せを感じた4月。たくさんの“初めて”を繰り返した。それは2か月を過ぎた今も同じ。次々と出会う人、自然、食材、文化に、新鮮な感動をもらい続けている。

5月に出会った島の植物

2か月間の生活の中で、繰り返し関わりをもつことも増えている。積み重ねることで、点と点に散らばっていたことに繋がりを感じるようになった。
 
 人のこと、自然のこと、食材のこと、自分のこと。繋がることで気付くこと、繋がることで味わえることがある。

【人と繋がる】

 引っ越して2か月。これが本土のどこかだとしたら、隣に住む人に挨拶をする程度の関わりだろう。

 島で出会った人のことを思い浮かべてみる。始めは「◯◯でお世話になった方」「◯◯の時いた方」と、何とか記憶し、頭の整理に追われていた。それが今では何人もの顔と名前を覚えているし、既にたくさんの思い出がある。どこかで会えば挨拶だけでなく、ちょっとおしゃべりする。名前を呼べるし、呼んでもらえる。一緒に運動をしたり、家におじゃましてご飯をごちそうになったりもする。

 当たり前のように受け入れてもらえて、自然にその場にいられる。出会ってすぐにこんなことある?と自分の置かれた状況がたまに信じられないときがある。底なしなのではと思うほどに懐が深く、そして温かい人たちとの繋がりが、私の生活の中に生まれた。

【食べる人に繋がる】

 5月の授業は魚。とにかく魚。朝から夕方まで、ひたすら包丁を握り続ける。鯵と鯛に始まり、平政、鰤、シマメ、飛魚、鰹、鯖、クロヤ、イサキ、皮剥、スズキ、アカバ、サゴシ、メッキなど。たくさんの種類に出会い、数え切れないほど捌いた。

船から水揚げされたばかりの魚を仕入れる

 始めは自分たちの捌いた魚がどこに行くのかも分からなかったが、届けられる場所で働く人から話を聞く機会があった。

「調理のとき使いやすくて助かる」
「小さい子もよく魚を食べてくれる」
「骨がたくさんある飛魚も、骨が残っていない」

 うれしい言葉だった。時間に追われたり、たくさんの量に疲れてきたりしたとき、そんな言葉や相手の顔を思い浮かべる。もっと上手に、どんなに多くても丁寧に、喜んでもらえるものを。繋がりが見えたことは、私の頑張る力になっている。

毎日のように捌くたくさんの魚

 漁をする人がいる。捌く人がいる。調理する人がいる。食材はバトンのよう。姿を変えながら、食べる人へと繋がる。

【次の自分に繋がる】

 2か月間の寺子屋での学びで、自分の変化を感じるようになった。成長や課題が分かって、日々目標が更新されている。

 最初は研げているか分からなかった包丁も、今は「刃先の方は研げているけれど、下の方はまだだな」と砥ぎ具合が分かる。

・1キロ以上の真鯛はどれか
・160g〜180gの鯵はどれか
・平政なのか鰤なのか
・魬なのか丸子なのか鰤なのか
 始めはさっぱり分からなかったことが、分かるようになってきた。まだハズレも多いけれど。

 魚を捌くことについては、思うことがたくさんある。寺子屋で捌く魚は本当にとれたてだから、目はきらきら光っているし、体はつやつや。まだ動いている魚もいる。口や胃の中には魚やイカが入っていたり、卵を持っていたりする。包丁を入れれば真っ赤な血が流れ、身の震えが伝わることもある。
 
 さっきまで海で泳ぎ、生きていた魚たち。そしてこれからも生きようとしていた。そんな命をいただくのに、うまく捌くことができない自分が情けなくて悔しい。いつになったらできるのだろうと焦る。
 
 捌くのに失敗しても、その原因が自分で分からない。その度に先生に聞いて、“どうして失敗したか”や、“こうすると上手くいく”を教えてもらう。教えてもらったことをやっているつもりなのに、同じ失敗をする。頭で分かっても、包丁の動きに繋がっていない。
 
 上達していることはある。でも、それ以上に課題がある。日々生まれる課題に向き合い続けて、いただいた命を大切に、最大限に活かせるようになりたい。

 何でもやらせてもらえる。たくさん失敗させてもらえる。何度も教えてもらえる。そんな寺子屋にどっぷり浸かって、たくさん成長したい。

 うれしい日も、悔しい日も、次の自分に繋がっている。いろんな日があるけれど、毎日幸せなことに変わりはない。

6月の目標
小さな目標をたくさんもつ。

(文:島食の寺子屋生徒 小松)