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第10話 人の居場所作り、責任と役割


コンセプトという空虚な言葉

先日、NHK「最後の講義」で建築家 伊東豊雄さんの公開講義を受ける機会に恵まれました。若い未来の建築家たちに丁寧にお話しされる伊東さんの姿に心打たれ、また感じいることがたくさんある中、コンセプトという言葉について触れるお話があり、私はハッと気付かされる思いがしました。

いつからか、あれは美しい建築だということを、人はあまり言わなくなった。コンセプトという言葉で、建築を語るようになった。それは、都市の理屈で建築を考えているからではないかと思います。

伊東豊雄 「美しい建築に人は集まる」 
平凡社 のこす言葉 から

店舗を作る時にコンセプトをつくることで、実は楽をしている自分に気づきました。コンセプトを立てて何かを作るということは、エンターテーメントというかテーマパークというか、コンセプトという仮面を被って何かをつくりだしているフリをしているに過ぎないのではないか、と感じ始めました。


人が集まる場所をつくる本質的な理由

それでも何故、人が集まる場所を作りたいと思うのか。これは、第4話にも書きましたように、私は教え教わるということが好きだからなのに加え、もう少し深い理由があるようです。それは、日本人には、人が集まり曖昧模糊とした事柄や人それぞれの個性を受け入れ、消化してさらに新しい物事を生み出す力、寛容さの様なものがあるという事に、私が不思議な魅力を感じて始めたということです。

文明がどうやってできたのか。それぞれの文明の内容は違うのですが、共通点があります。その共通点とは、正典、つまり大事な本があるのことです。大事な本をみんなで読むということが文明の本質です。しかし、日本にはその様な本はありません。日本人は、周囲の人を観察し、周囲の人と同じように行動するという原理があるからです。

橋爪大三郎 宗教で読み解く「世界の文明」 (全9話) より



写生文

伊東豊雄さんは「子ども建築塾」を開いて子どもたちの夢を育てていらっしゃいます。私も…というのは大変におこがましい言い方ですが、子どもが吸い込まれるように何かを見つめる眼差しが好きです。また、ご年輩方の穏やかな包み込むような温かい目にも憧れます。

大人が子供を見るように、 両親が子供に対するような心持ちで、 どこか愛情も持って対象を包み込む姿勢で文章を書くことが写生文の極意である。

柄谷行人 「夏目漱石について」22:40あたり

地域や他者に対して、何か自分がしなければならないことに対し、愛情を持って素直に行動する。教育には、夏目漱石のいう写生文に対する想いと同じものが大事なのではないかと私は考えます。


「型」と自由を伝える役割

「型」は先人たちの、ご先祖様たちの知恵の塊です。これを受け継ぎ次世代に繋いでいくことが、自分に適した役割だとここ数年感じています。知恵を身につけることで、一人ひとりが独立した意識を持って自由に生きることができる様にと思い、地域社会の一部の歯車になるべく、愛情と責任を持って空間を作りたいと思う、今日この頃です。

引用ばかりになり、失礼いたしました。
最後に、貴重な受講機会をくださった長澤さんに感謝を申し上げます。