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株式会社と宗教

こんにちは、本多です。お寺の住職、大学での教鞭、それからテラエナジーの創業メンバーとして取締役をつとめています。私は小学校のとき、アメリカに住んでました。帰国子女、つまりリターニー。海外に行くことも多いのですが、日本から脱出できてノビノビできる喜びと、一方で自分の故郷はどこかなのか…嬉しさと喪失感に板ばさみになります。これまでの人生、自分なりに楽しくも、葛藤をかかえながら歩んできました。このnoteでは、そんな葛藤をできるだけ素直に言葉化しながら、自分自身が大切にしたいこと、それから経験から得られた気付きを書こうと思います。ゆっくりしたときに読んでもらえたらうれしいです。

気候ネットワークの提案

6月は株主総会のシーズンだった。テラエナジーの「ほっと資産」の寄付先団体の一つである気候ネットワークは、大手銀行の株主総会において、株主として気候変動への取り組みを促進するよう提案した。否決されたものの多くの賛同を得て、テラエナジーとしても勇気づけられた。

「株主」について、思い出すことがあった。テラエナジーの設立当初、株式会社にするかNPO法人にするか話し合ったことがあったのだ。結果的に株式会社になったが、仏教者が株を保有するということで、株式会社や組織のあり方についていろいろと勉強した。当時考えたこと、勉強したことを以下書いてみた。

株式会社はサイコパス!?

株式会社を立ち上げることになり、書斎にあったマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー番組「ザ・コーポレーション」(DVD、2006年)を見返した。この番組は、コーポレーション(株式会社)の乱立が、資本主義を促進させ、マネーゲームが始まり、結果とんでもない世の中になってしまったと酷評する。番組では、仮に株式会社を人格ある一人の人間としてみた場合、その人は<サイコパス>(精神病質者)だと結論付けている。ドキュメンタリーでは、作家のナオミ・クライン、言語学者のノーム・チョムスキー、生態学者のヴァンダナ・シヴァなどが鋭いコメントを寄せる。

この番組の面白いところは、たとえ会社が良い人の集まりだとしても、<サイコパス>の方へ向かってしまうというということだ。その理由は、会社には「永遠の寿命」が前提となっているからだという。人間はいつか寿命を終えるのに、会社はたとえ社長が亡くなっても廃業することはなく、ずっと続く可能性がある。

株式会社が「永遠の寿命」を長らえさせるエネルギー源はお金だという。多くの会社は「寿命」を長らえさせるため、お金の獲得に奔走する。ところがそれが行き過ぎた結果、いつしかお金を得ることが目的になってしまい、自然環境、労働者、社会秩序に大きな害を与えることから<サイコパス>と診断されるのだという。この記事を書くにあたって改めて番組を見直したが、今見てもなかなか見ごたえのあるドキュメンタリー番組である。

北欧の哲学者が語った組織論

僕は以前、北欧の哲学者のアルネ・ネス(1912-2009)の思想を研究していた。ネスはディープ・エコロジーの提唱者として知られる哲学者である。一方、あまり知られていないのは彼が、エコロジー以外にも経営論や組織のあり方についても語っていることだ。

ネスは、組織が目指すべきこととして、その組織が目標を達成し、この世から消えて無くなってしまうことが大事だといったことを記している。ドキッとする言葉だが、ちゃんと理由がある。彼がいわんとするのは、「組織が掲げる理念が社会に満ちあふれたとき、その会社はその必要性から解放される。そんな組織を目指しましょう」という期待を込めたメッセージなのだ。

不思議な表現だが、よくわかる。

会社は、社会に「ない」ものを満たす必要性から起業する。ただ、その「ない」が満ち足りたら、その会社は社会の必要性から解かれる。今ある多くの会社は、社会のどんな「ない」を満たそうとしているのか。また、会社が目指す「ない」を満たせば、役割を終える日が来てしかりである。

それはまた消費者に対する問いかけでもある。「何が必要か」「もうすでに、何が十分か」

お互いがそこに終わりを設けないことで、コーポレーションの<サイコパス>問題が浮上する。要検討の案件である。

アメリカの宗教団体と株

株式の話題に戻そう。

株式会社と宗教ということでいうと、株式市場が成熟したアメリカでは、実は宗教団体が株を購入している。キリスト教の伝統にはじまる株購入の歴史は、アメリカの仏教教団にも波及している。

アメリカの宗教教団の多くは、保有する株の情報を公開する。どんな株を買ったか、教団内の新聞や雑誌で公開しているのである。それらに目を通すと、原発や軍事製品を製造している会社の株は保有していないとか、発展途上国の労働者を搾取するような会社の株は保有しない。あるいは、気候変動への取り組みに積極的な会社の株を保有するといった情報が見られる。

つまり、宗教団体は株をとおして単に「儲かること」を目指すのではなく、理想的な社会の姿を描こうとするのである。こうした姿勢は、宗教によるお金の使い方としてもとても参考になる。

日本では「株=悪いこと」のような印象が強い。背景には、儲けることに対する負い目があるように思う。 ただ大切なのは、儲け方よりも、使い道のように思う。

お金を使う、つまり「何かを買う」とは、株購入と似ているところがあって、その会社を応援する要素がある。その会社がたくさん儲けたら、それは社員や社会に還元すべきだし、使い道に注目することが大事だと思う。株を英訳するとstock(ストック)とは別に、share(シェア)と出てくる。シェアするのがお金の基本にある。

宗教のエネルギー源はお金?

最後に、宗教のエネルギー源ということについても考えたので、書いておきたい。

宗教組織は株式会社と同じ、政府に許可された法人組織である。つまりコーポレーションの一つといえる。そういう意味では、お寺、神社、教会などは一つの人格を保持していて、人格がある以上<サイコパス>にならないよう注意したい。また人格を持つわけだから、そのエネルギー供給源は、お金ということになる。

ところが、宗教のエネルギー源については、そうともいえない面もある。

僕が住職をつとめるお寺は、江戸時代120年間にわたって住職不在の時期があった。住職不在の頃、境内には人の背丈より高い草木が生い茂っていて、誰も寄り付かないお寺だったとの口伝えが残っている。この頃に記された地元の寺院仏閣紹介の冊子には、名前すら残っていない。ところが、江戸末期に熱心な僧侶が入寺して、廃寺を見事に再興させた。

廃業後120年経って再興する株式会社はおそらくないだろう。時代が変わればニーズが異なるからだ。同じ商品を販売するわけにはいかない。ところが宗教は、たとえキャッシュアウトして一度廃寺になっても再興する。しかも、以前と変わらないものやことを大事にする。時を経ても、変わらないことを大事にするのが宗教の基本にある。

そう考えると、宗教の主要エネルギーはお金ではなさそうだ。「人間」「人生」といった、普遍的なところに視点がある。さらには、株式会社では受け止められない人々のニーズを受け止めることが、宗教には求められているように思う。

言い換えると、会社に求められるものと宗教に求められるものは、完全に一致しないということだ。ただし、それらを引き離して独立させてしまうところに、それぞれの暴走が生まれるといえる。

今、世界では、分断、格差、気候変動の広がりとともに、その出口が見えない不安な状況が続いてる。そうしたなか宗教者は、会社との「着かず離れず」の距離を保てるか。その先に「豊かさ」や「持続可能」といったあり方が見えてくるように思う。骨の折れる作業だが、テラエナジーの活動をとおして、そうしたあり方に寄与することができればと思っている。

本多 真成(ほんだ しんじょう)
1979年生まれ。大阪八尾市の恵光寺住職(浄土真宗本願寺派)。龍谷大学大学院を修了し、私立大学の客員教授をつとめる。院生時代は「環境問題と仏教」の思想史研究。専門は宗教学。TERAEnergy取締役。

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