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お寺の生活に学ぶ、電気とのつき合い方

こんにちは、本多です。お寺の住職、大学での教鞭、それからテラエナジーの創業メンバーとして取締役をつとめています。僕は小学校のとき、海外に住んでました。noteでは、日常で感じたことや考えたことをできるだけ素直に言葉化したいと思います。ゆっくりしたときに読んでもらえたらうれしいです。

電気の卸価格

日本の電気の卸値(おろしね)は毎日HPでチェックすることができる。毎朝10時半ごろ、翌日の卸価格が公開される。

卸価格にプラス数円の手数料を乗せて支払う方法を「市場連動価格(しじょうれんどうかかく)」という。テラエナジーでは、電気料金を「市場連動プラン」か「固定単価プラン」のどちらかを選ぶことができる。

「市場連動プラン」は卸値に直結した支払い方法なので、卸価格が安い時は「固定単価プラン」の半分くらいになる。一方、高くなる時は「固定単価プラン」の倍以上に膨れ上がる。

「固定単価プラン」は、使用電気量に対し、掛け率が一律のプランである。卸価格が安いときはテラエナジーに利益があり、高い時は会社がそれをかぶる仕組みである。昨年冬、世界でも稀な卸価格の高騰が日本でも起こった。多くの会社が顧客に負担を掛けない(電気代をかぶる)仕組みを採用していたなか、卸価格の高騰によって新電力会社は経済的な負担を受けることになり、大きな新電力会社をはじめいくつかの電力会社が倒産した。

昨年の高騰はテラエナジーにとっても今後の計画を狂わせる、そうとう大きなダメージだった。ところが今年の冬も卸価格はじわじわ高騰している。昨年ほどではないが、かなり厳しい。

資源をとりあう世界

僕のお寺は「市場連動プラン」を採用している。

気候が落ち着いている4月~6月と9月~11月、電気の卸価格は平均の半分程度にとどまる。価格が低いため、結果電気料金は安くなる。ところが暑い日や寒い日の卸価格は高騰する。なぜ高くなるのかといえば、作る電気の量に対して使う量が上回るからだ。また天気に左右される生鮮食品の生産と同じように、電気の卸価格も気候に応じて上がったり下がったりする。

暑い日よりも寒い日、つまり夏よりも冬の方が高騰する傾向にある。なぜなら夏は日照時間が長いのでソーラーパネルなどの自然エネルギーは活躍するが、冬場は雪や氷の影響、さらには日照時間が短いなどあって自然エネルギーへの依存度が低下するのだ。

日本の現在の状況では、太陽光に偏重していて、風力発電や小水力、バイオマス発電の普及が遅れている。結果、石炭石油などの輸入品に頼らざるを得なくなる。しかも寒い時期、石炭石油は世界で取り合いになるため、日本にまで貨物船がやってこないということもある。無くなるかもしれないという不安がさらに卸価格の高騰を招く。

上下する卸価格を見ていると、毎日当たり前のように電気が使える環境が逆に不自然に思えてくる。力技で不自然なことを自然のように見せかけているようにさえ感じる。電気があたりまえのようにあるものと、どこか勘違いしていた自分に気が付く。

お寺の生活は自然依存型

話は変わるが、お寺での生活は自然環境依存型だ。今年の冬も寒い。ただ、どれだけ寒くてもお寺全体を暖めることなどできない。建物が大きいのでそんなことをしようものなら巨大なエアコンが何台も必要だ。

建物における熱の48%は窓から逃げてゆく。だから窓を二重窓にすることがお勧めだ。とはいっても、建物が大きいお寺にとってそれは現実的ではない。コストがかかりすぎる。さらにいえば、そもそもお寺は木造が多く、柱ベースで建てられている。だから隙間風だらけである。壁があるだけマシで、場所によっては窓一枚あることが感動的だったりもする。マンションのような形のお寺は別として、多くのお寺は形状からしても熱効率にふさわしい立体ではない。

そんなところで何十年も生活していると寒さ暑さばかりが身に染みる。一方、意外な発見もある。自然環境に身体や心が馴染んでくるのだ。

寒い日の朝、外に出てお寺の門を開ける。開門後玄関に戻ってくると、そこもそうとう寒いはずだが、外よりはあきらかに暖かく感じる。実際玄関は外より1~2度暖かい。わずかな温度差なのに、暖かさを感じ取ったときの感動は一入(ひとしお)である。寒いことは不快なはずなのに、わずかな温度差に張り詰めていた気持ちが緩む。

真夏の暑さもひどいものである。そんなときは、滝の絵の掛け軸や涼しげな詩を詠んだ短冊を掛ける。それらを目にすることで、暑さの中にひと時の涼しさが生まれる。さらには、身体の作法も寒さ暑さに馴染むうえで重要になる。

他にも自然環境への依存ということで苦労するのは境内の掃除である。広い境内を清潔に保つため掃除は欠かせない。ところがひとたび雨が降りだすと、境内の掃除はできなくなる。雨が降りだしたら、予定を変更して違うことを始める。天気の良し悪しについて、誰かを憎んでも仕方ない。そこで次にやることをさっさと見つけて始める。そういうことが当たり前の生活になってゆく。無駄な抵抗はしない。

お寺での日々は自然環境に依存しまくりの生活である。自然に自分の身体を委ねながらも、自分なりの豊かさを見つける歩みでもあるのだ。

電気と上手くつき合いたい

日本の電源構成は、まだまだ自然エネルギー重視ではない。自然エネルギー率をもっと上げていく必要があると思う。それはまた自然に依存する生活になることでもある。自然エネルギーを中心とした電源であっても、こちら側の発想と工夫との組み合わせによって、生活の仕方が模索されてしかりだと思っている。

そのうえで市場連動に目を向けると、それは自然環境負荷の構図だなと感じる。自然に負荷をかけているとき電気の卸価格は高騰し、そうでないときは低い。高騰しているときはどこか不自然な状態になっていることのあらわれでもある。みんなが電気不足に困っている時でもあるので自分は使う量を調整する。限界を受け入れて、自分にできる工夫を講じるのだ。

もちろん、命にかかわる現場や生活に不可欠なものやサービスを受け渡しする現場においてこの発想ではとおらない。個人的には、お年寄りや子育ての世帯には固定単価プランをおすすめしている。

一方、自分の足元をみると、お寺での生活は自然に依存せざるを得ない環境なので、先の発想に傾斜せざるをえない。雨が降れば外での作業はできなくなるし、寒ければ暖かさに敏感になる身体センサーを養わざるをえない。寒さ暑さを感じることのない生活環境を作り上げるよりも、自己を知る機縁と捉える方がはるかに長期的にみて現実的なのだ。自然環境から独立したような振る舞いが、ここ(お寺)ではどうあがいてもできない。

若い頃はお寺の建築構造が不便で嫌と思っていたが、長年生活しているとここは何かを教えてくれる宝庫に変わってくる。いろんなことに気づかされる。

今冬も電力の高騰が懸念される。日本の電力市場の構造は課題山積だが、それは同時に自分のあり方を見つめなおすチャンスでもあると僕は受けとっている。電気と上手くつきあう方法の糸口が、足元にあるように思う。

本多 真成(ほんだ しんじょう)
1979年生まれ。大阪八尾市の恵光寺住職(浄土真宗本願寺派)。龍谷大学大学院を修了し、私立大学の客員教授をつとめる。院生時代は「環境問題と仏教」の思想史研究。専門は宗教学。TERAEnergy取締役。

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