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『若さ』は武器ではない。

「おいくつですか?」

誰かとはじめましての挨拶を交わしたとき。次に続けていく会話として、年齢の質問というのは、定番だろう。どこにいても、いつになっても、だいたいこの質問を耳にする。

わたしもついつい、聞いてしまっているなと思う。これを聞いたところで、めちゃくちゃ話を広げられる自信があるわけではないし、鉄板のネタを持っているわけでもない。

それなのに定番と質問として、ついつい人に聞いてしまうのだ。

ロンドンに来てから、1ヶ月半ほどがたった。
外に出ない日がほとんどだし、日本にいたときと変わらず、引きこもり生活をベースにお届けしているロンドン生活なのだけど、英語を話せるようになりたくて、海外の人と話す機会も、積極的に作ろうと奮闘している。

こっちに来てから、まだ数日のころだっただろうか。日本人の友だちとランチをしていたときのことだった。

これから海外の友だちをたくさん作りたいと夢見ているわたしに、その子は、こう教えてくれた。

「こっちって、年齢の質問はタブーだから。気をつけてね。」

そうなのだ。日本では、定番中の定番である『年齢の質問』。しかし海外では、タブーとされている質問の一つだ

「年齢を聞けなくて、何を聞けばいいんだろう?」

初めはそう感じたのだが、実際に現地の人と話をしてみて、タブーになっている理由はすぐにわかった。

何が好きなの? 
何を考えているの? 
何を思っているの?

こちらの人は、こういった質問ばかりをしてくる。好みや思考、その人自身を構成しているアイデンティティに関することばかり、聞いてくるのだ。

そして、思った。『年齢』の質問がタブーなのではない。そんなことには、そもそも興味がないのだと。

ちなみに年齢のほかにも、肌の色や、容姿に関わる質問もタブーだ。「その服、イケてるね!」など、身につけているものに関しての意見・感想であれば言っても問題ないが、年齢や容姿、その人のパーソナリティに繋がるものに関しては、質問をしてはいけない。

合わせて考えてみると、さらに納得がいく。彼らは、外的な要因で変化してしまうようなことには、興味がない。人の頭から、心から生まれてきたことにこそ興味があり、大事にしているのだ。

そう考えてみると、恋愛においても、仕事においても、日本人は常に、年齢を気にしているように思う。若さこそ正義だという考えを感じることが、とても多い。

しかし、どうだ。わたしたちが気にしてやまない『年齢』は、海外に出れば、まったくもって意味をなさない。

若さが武器なのではない。
アイデンティティこそ、武器だ。

年齢がまったくもって武器にならない状況になったとき、わたしたちは果たして、戦っていけるのだろうか。

年齢を重ねていくことに恐怖を覚えるのではなく、アイデンティティが育っていないことにこそ、恐怖を覚えるべきなのでしょうね。

育て、わたしのアイデンティティ。

ってことに関して、他にも気づいたことがあったので、記事にしています。こちらも合わせて読んでみて下さい。
結構、大きな発見でした。わたし的に。

ほな、また。

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