風向きの感覚

家を解約し、国内外をふらふらしていた頃、途中病んでいたように思う。というかずっと病んでいた気さえする。その正体はよく分からない。周りから見たら完全に順調。増収増益でメールBoxを開けば大量のメッセージが日々届き続ける。あちらは僕のことを認識していて、こちらは全部は分からない。あの頃、濁流のように届く文字の羅列を眺めていた。「なんだかなぁ」と思う瞬間が増えた。いつからそういう感情になってしまったのだろうか。

周りからみて順調でも、キラキラしてるように見えても、実態はそうでもなかったりする。まさにそんな感じだった。その乖離にだんだんと心が疲れてきて、あぁ、自分は何を求めていたんだっけ?と考える瞬間が増えた。旅をしたら変わるかなと期待していたが、何度かプチ日本横断をしてもあまり変わらなかった。自分はずっと自分で、さぁどうしようかと思うばかりだったのだ。

一時期、都内のホテルを転々としていた。今までとは違う刺激を取り入れることで何かが変わるんじゃないかと希望を抱いていた。マンダリンオリエンタルのスイート、リッツカールトンのスイート、などなど、意味不明な価格の部屋に一人で泊まり、声も音も何もしない空間でポツンと外の景色を見ていた。今日が何曜日かも、何時かもよく分からない。遠くに東京タワーとスカイツリーが見える。工事中のビルが乱立している。ちょっと上の方を見ると飛行機が飛んでいた。ほとんど雲がなくて、広い青空が続いていた。

その頃、全身をバーバリーで固めていて、ため息ばかりついていたように思う。Tシャツも、パーカーも、靴も、カバンも、所有物のほとんどがバーバリーで、もういくら使ったかもよく分からない状態。ブランドに対して特にこだわりがあるわけでもない。どうしようもなく空っぽな自分、弱くてダサくて過去を引きずってばかりの自分をハイブランドで隠したかったのだと思う。弱さと向き合うのも気力がいる。目を背け続けるのが一番ラクだったのかもしれない。

あの時期、ゲイ用のSNSアカウントもほぼ更新せず、ゲイの友人ともほぼ会っていなかったと思う。多分そういう気があまり湧かず、あと、会食だったり、付き合いでキャバクラに行ったりすることの方が多かった。キャバクラはもう全く行ってないが、当時はバカみたいに荒れた注文を繰り返し、気づいたら早朝…みたいな日々だった。書き出すとキリがない。

結局、こんな旅をしても、こんなホテルに泊まり続けても、世界の絶景を眺めても、もう彼はいないんだな、みたいに思ってしまう節もあって、どこかずっと虚無だった。資本主義攻略の先に幸せや安らぎがあるとも思っていたが、そんなものはほとんど幻想でまやかしだった。つまり僕は、好きな人と別れ、それをイマイチ完全に消化できないままで、さらには事業がうまくいって幸せが手に入ると思った矢先、それもなんだか幻想で、あぁ、自分にはもう何もないし、これからどう折り合いをつけて生きていけばいいんだろう、みたいな状態で、一言でまとめるとしたら、「もうなんかよく分からない」だった。

「もうなんかよく分からない」の状態なのに、憧れています、とか、あなたみたいなライフスタイルを手に入れたい、みたいなメールが届き続けた。自分で自分のことを成功してるとは全然思っていないし基本はダメダメだが、成功と幸福は全く別軸のところにあり、途中から反比例することも理解できた。とにかく、「もうなんかよく分からない」し、「これからどう生きていけばいいんだろう」という気持ちが大きくなっていった。

悩みも課題も特殊すぎて、誰かに相談してもあまり理解されない。屋上に露天風呂のあるホテルに泊まっていた時、ここから飛び降りたら一気にラクになれるな、とか思ってしまったりもした。そう考えたら、生きてる人としんでいく人は非常に紙一重だなと思った。境界線の上で揺らいでいる。ここじゃないどこかに行きたいのに、どこにも行けない。闇と孤独がいつでも襲ってきた。

そんな状態で、色々な折り合いや気持ちが片付かないままいざ恋愛的な関係になっても、目の前の現実・現象と真正面から向き合うこともあまりできず、やはり長くは続かなかった。自分は過去を生きていて、囚われ続けている、とも思った。こんなはずじゃなかったのに、いつから歯車が狂ってしまったのだろう、と考えてばかりで、しかもその答えもよく分からず、最終的にはアルコールや刺激的な遊びで誤魔化すことしかできなかったのだと思う。

日本をまわっている時も、世界のどこかを放浪している時も、親孝行だ〜と言って家族と海外を渡り歩いた時も、心はここにあらずの状態。幸せってなんだっけ、いつからおかしくなってしまったんだろうと、深夜、ホームレスばかりのロンドンの街を散策しながら思った。日本にいても国外にいても変わらないなら、もうどこに行けばいいのかよく分からなかった。

あれからまた時が経った。僕はどうなったかというと、もう一人でスイートルームから夜景を眺めて病み続ける、みたいなことはしなくなったし、しようとも思わなくなった。それをするなら、友人らを呼んで楽しくパーティーでもしたいなと今では思う。そう考えると、普通に周りの人や友人らに助けられている部分が大いにあると感じる。自分一人じゃ闇を乗り越えることはできなかったんじゃないかと思う。

でも、完全に闇を乗り越えたのか?と言われると分からない。少なくとも高級ホテルで病んだり、全身ハイブランドで固めて傷心したり、みたいなことは無くなった。必要以上に自分を大きく見せても仕方ないと思う。自分は自分だからだ。そういう意味では少し成長したのだと思っている。

「もうなんかよく分からない」の状態が長かったが、「少し分かるかも」になってきた。自分に足りなかったもの、自分が欲しかったもの。過去にも囚われていたが、もういいよね、終わったことだし、仕方ないもんな、と思えるようになってきた気もする。もう今を生きて、これからのことに意識を傾けるしかないのだと思う。これはロジカルでは分かっていた。でも感覚が付いていかなかった。そう、最近では徐々に感覚がようやく付いてきた感じがするのだ。あともう少し、あともう少しで整うような気がしている。これは腑に落ちるとは違う。「なんかたぶん整う気がする」みたいな。かすかな変動だけど、自分的には相当大きな一歩だと思う、これは。

利害とかも何もなくて、純粋に楽しくて笑うことが最近は増えたと思う。今の自分の感じは、当時の自分にはなかった。いや、当時の自分にもあるように装っていたが、それはリアルではなくて、実際はほとんどなかった。装うことばかり上手くなっていたように思う。

まぁ、つらいことはつらい、ダメな時はダメ、でいいとも思う。変に装ったり鎧を被るからおかしくなるのだ。その上で生きていけばいいと思う。変に曲げずに、まっすぐに。過去に囚われるとか、なんか思い出してしんどくなる時もある、とかも、完全に消えなくても別にいい気もする。その上でまぁやっていくしかないよね、今は今だもんね、と捉え直してなるべく前を向いて生きていくしかない。

変な風におかしくなっていた時期もあるが、もう今は弱さも全部認めて、もっともっと、この瞬間を、現在進行形を、ちゃんと生きていきたいと思うのだ。葛藤もする。また「もうなんかよく分からない」の状態が襲ってくるかもしれない。でも状況は確かに変わった。あの頃より今の方が精神状態は良好だし、もう少しで整いそうな感覚がある。正確にいうと完全に整うことはないんだろうけど、整いに近い状態になりそうな。状況も、風向きも変わった。過去から今にもっと動かしたい。もっと動かせる気がするのだ。本当に紙一重なところで、自分的にあともう少し。歩みは止めないでおきたい。



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