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中瀬大橋【千葉県長生郡】

千葉県長生郡長生村にある中瀬大橋に行ってきました。
長生と書いて長生(ちょうせい)と読むんですね。
千葉県で唯一の村だそうです。

中瀬大橋は石井亀吉さんという地元の網元さんが作った橋だそうです。
現在架かっている橋は当時のものではないらしいのですが、その橋も老朽化で今は渡れなくなっています。


生涯を漁場にかけた一人の男「石井亀吉」の執念によってかけられたのが中瀬大橋です。亀吉さんは明治31年館山の漁師の家に生まれ、長生村で家庭を持ち製材工場を開き繁盛しましたが、亀吉さんの海への思いは断ち切れず戦後網元をはじめました。
当時浜に出るには幸治川を渡る伝馬船「はしけ船」に頼るほか無く、大変不便でした。亀吉さんの思いはやがて100メートルにもおよぶ木造橋として実現したのです。巾2.4メートルの橋ではありましたが、その頃機械無しに砂の川底に杭を打つ作業は大変な困難を伴いました。
しかし、橋のおかげでてんびん棒を肩に魚を運ぶ漁師達が行き交い、対岸では牛車をひいた業者が取引する賑やかな光景は毎日のように繰り広げられたといいます。
その後橋は架け替えられましたが、往時の一人の男の執念が語り継がれている橋です。

長生村ホームページより

九十九里ICを降りたら県道30号を南にずっとまっすぐ走ります。
ハッピー・サイエンス・ユニバーシティの看板が見えたら左折するとすぐ中瀬大橋です。

ここを左折。


こちらが中瀬大橋。
幸治川に架かる100mほどの橋です。


この川の先がすぐ海となっています。


橋脚は何本か朽ちちゃってます。


今は撤去されてますが2019年くらいまでは手すりもついていたみたいです。


まるごとe ちば 千葉県観光物産情報ホームページより

ちなみにこちらが手すりがあった頃の写真。


橋の作りはボルトで木材を繋いでいて男の手仕事感があります。
橋の架け替えの際も地元の人たちで作ったんでしょうかね。
石井亀吉さんが作った初代の橋はどんな橋だったんでしょうか。


1961〜69年
1974〜78年
1979〜83年
2011年

航空写真で確認してみたところ1961〜69年は現在の位置より南に架かっています。1974〜78年も若干今の位置と違うかなって感じ。1979〜83年は現在の位置と同じですね。
亀吉さんは戦後網元をはじめてから作った橋なので1961〜69年のものが初代の橋なんでしょうか?


無いものは作っちゃおう!の精神で橋を作ってしまった亀吉さん。
そういう心意気いいですよねー。
朽ちてなくなってしまう前に気になる方は行ってみて下さい。





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