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【愛の不時着】 ユン・セリのカッコよさ

走るユン・セリ

正直、最初はユン・セリのことをわがままな社長だなあ、と思った。
ワーカホリックで部下をこき使うし、切羽詰まっていて余裕がなさそう。
こんな上司の元で働くのは大変だろうなと思っていた、北朝鮮に不時着するまでは。

北朝鮮に不時着した直後から、ソン・イェジン演じるユン・セリは走って走って走りまくる。
私は走る姿が様になる俳優が好きなので、ソン・イェジンの疾走するシーンに見入ってしまった。

ユン・セリにしてみれば、北の兵士が追いかけてくるわ、南に帰りたいわで、走るしかない。しかし、リ・ジョンヒョクとその部下、第五中隊の四人の兵士たちにしてみれば、方向を間違えたユン・セリ(リ・ジョンヒョクは南への帰り道を教えたのに、ユン・セリはあえて逆の方向を選択した)を止めようとしただけ。

その辺の勘違いから生まれるドタバタが面白く、加えて地雷を飛び越え、兵士の放った銃弾もよけて、走って走りまくるユン・セリがとても爽快。
このドラマ、第一話からこんなに面白くていいのか?と思った。


足の速いユン・セリ。
加えて、ユン・セリは笑いも取れる。
「私は地雷の専門家だ」
と自慢げに言いながら、地雷を踏んでしまうリ・ジョンヒョクに対し、
「あのー、専門家でも地雷を踏むものなんですか?」
と嫌味を言ったり、逃げ去る前に
「顔は私のタイプよ。統一したらまた会いたいわ」
と言ったりする、粋な女性。

北朝鮮に不時着するという予想もつかない災難に逢いながら、何とか見逃してもらおうとリ・ジョンヒョクを言葉巧みに懐柔しようとするし、チャーミングな冗談も言う。
ピンチの時こそ力を発揮するタイプなのか。
ユン・セリはただのわがままな若社長ではなかった。


面白い女は理想

ユン・セリは賢い上に笑いも取れる、面白い女である。
北朝鮮が舞台の前半では、ユン・セリはリ・ジョンヒョクとその部下の第五中隊の兵士たち(特にピョ・チス)と漫才のような会話が繰り広げられる。

ユン・セリとリ・ジョンヒョクに関しては、漫才の「ボケとツッコミ」で言うと、リ・ジョンヒョクがボケ(天然)でユン・セリがツッコミ。

賢くて仕事ができる上に、面白い女というのは理想ではないだろうか。
人を笑わせるのは意外と難しい。
客観的な視点がないと駄目だし、何より心の余裕がないとできないので、面白い人間には器の大きさを感じる。
自分のことを振り返ってみても、賢くも仕事ができなくても、せめて面白い女になれたら、と思う。

なぜ『愛の不時着』に、韓国が舞台の後半部分が必要だったか

ところでこのドラマ、ユン・セリが南に帰るところで終わると思っていた私は、南が舞台となる後半が始まった時「あれ?この先もドラマが続くのか」と不思議に思った。
(韓国ドラマを見たのが初めてで、全16話という長さがいたって普通であることを知らなかったせいもある。)

だがドラマを見終わってみて、前半と後半、リ・ジョンヒョクのホームである北と、ユン・セリのホームである南、ほぼ半々に舞台を設けたことに、二人が対等であることを示す意味があったのだとわかった。

南ではユン・セリがリ・ジョンヒョクを助ける。
後から南に来たリ・ジョンヒョクの部下の兵士たちに対しても、ユン・セリはできる限りのことをする。
自分の家に泊めてやりご馳走し、好きなものを買いに行かせ、チェ・ジウの熱狂的ファンであるキム・ジュモクにはチェ・ジウとの食事会に招待する。
北でお世話になったことへのお礼として、窮地を救ってくれた彼らに対する信頼と愛情の証として。

このユン・セリの「恩返し」は、恋愛に限定されない、普遍的なものだと思う。
「恩返し」などと言うと、「日本昔ばなし」みたいで少々古臭い。助けてもらった人にお礼をするのは、ごく当たり前のことのはず。そんな当たり前のことを私たちは忘れてしまっているから、南でのユン・セリの行動がカッコよくて素敵に見えるのかもしれない。

リ・ジョンヒョクの利他性(【愛の不時着】 リ・ジョンヒョクの愛は尊い)といい、ユン・セリの恩返しといい、『愛の不時着』は恋愛ドラマでありながら、恋愛に限定されない、普遍的な人の感情を描いているんだなあとつくづく思う。

南に帰ってからのユン・セリの自己を顧みない行動は、明らかにリ・ジョンヒョクの影響を受けている。不時着前のユン・セリはビジネス一辺倒だったから、ずい分な変わりようだ。
リ・ジョンヒョクの意思を引き継いだかのようなユン・セリの無償の愛を描くために、後半は必要だったのだと思う。

もしユン・セリが普通の会社員だったら

時々ふと思うのは、ユン・セリがなぜ金持ちである必要があったのか、ということ。

財閥令嬢のヒロインの方がドラマティックではあるものの、「自立した女性」という設定なら、ユン・セリが普通の会社員であってもおかしくない。

だがユン・セリは財閥令嬢といっても、親から独立し自ら事業を立ち上げ成功させた人物である。
南が舞台となる後半で、ユン・セリがリ・ジョンヒョクをはじめ、友情をはぐぐんだ第五中隊の兵士たちを匿い、助けられるのは彼女が金持ちで、親や他人のお金ではなく自分の意思で自由にお金を使える立場にあるからだ。

ユン・セリのような桁違いのお金持ちでないと、人助けができないという意味ではない。
ただ、リ・ジョンヒョク一人ならともかく、第五中隊の四人と、耳野郎ことチョン・マンボク、計六人が南に来てしまった。

ソウル市内は家賃が高そうだし、三十代一人暮らしの会社員ならせいぜい1LDKか2DKくらいの間取りのマンションだろう。そこに六人を泊めるとなるとぎゅうぎゅうになり、向こうが気を遣いそうだ。

かといってホテルに泊まってもらうのも、北から来た彼らを匿うにはよほどセキュリティーがしっかりしているホテルでないととダメで、費用がかかりそう。
貯金を切り崩してまでホテル代を捻出したことをリ・ジョンヒョクたちが知ったら、これまた彼らを悩ませるだろう。
まだ何も解決してないのに、「だめだ、早く北に帰ろう」となってしまうかもしれない。

そう考えると、ユン・セリがお金持ちで良かった。

最後にどうでもいい話かもしれないが、私観では本当のお金持ちは「寄付する人」だと思っている。もしくはボランティアなどの社会貢献を行う人。

お金や物を持っているだけでなく、心に余裕が持てる人。
世界を客観的に俯瞰できる人。
そういう人なら、世の中の不平等や差別に心を痛めないわけがないから。

最終話でユン・セリは音楽財団を設立した。低所得者の子どもを支援する音楽教育財団ということだ。
社会貢献はお金持ちの証、と思っている私には、ユン・セリがこれまで以上に立派な経営者になったんだなあと思われた。

また、音楽財団を設立したのはユン・セリの個人的な目的がある。
年に一度スイスでリ・ジョンヒョクに会うためだ。
個人的な目的と、自分の会社の目的(セリズ・チョイスが取り組むSDGs)と両方ある。
そういうユン・セリの合理的なところが、いいなあと思う。

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