放送後記 『ちゃぶ台のラジオ』 #3
こんなご近所さんが!
オープニングもだいぶ板についてきた。
(咳払いとか鼻水啜る音とかスミマセンw)〆切カブリ真っ只中で、ほぼぶっつけ本番状態ながら様になったか。
そんな中で「緊張しない」とサラリと言う、大いに進行を助けてくれたゲストは ことり堂 店主の 笹原 朝子 さん。
ある地元の方のインスタ投稿から「かなり近所ぢゃん!?」と小躍りしながら行ってみたその狭いスペース。三月夜 チラシを置いてもらおうと押しかけ、雑談が弾みに弾み、とんとん拍子で出てくれることに。後日、打ち合わせと称して僕のアトリエにも来てもらった。
ナイス文科省!
昨今「デザイン認知がないよねぇ....」な話をすると最後は教育の話に行き着くのは周知(少なくとも僕の周りでは)のとおり。
まぁ大概「教育が... 」って話になる。僕らが子供の頃なんかは音楽の授業ではいわゆる「合唱ソング」やクラシック以外学ぶべきではない、そんな圧力がなんとなくあった。9月頭にこんなニュースを知って『今の文科省にしてはなかなかやるぢゃねぇか !?』と。ギリ「夏の終わり」ということで選曲。
「夏休みの終わっちゃうなぁ... 」なんてしんみりする頃に必ず聴きたくなる楽曲。そんな人は少なくないのでは?
僕らが子供の頃の音楽の授業といえば、合唱コンクールの課題曲やクラシックを「歌わされて聞かされて」TVやラジオで聞こえるヒット曲なんかはまずあり得ないような感じ。デザイン・アートもそう思うけど「これ知ってる」みたいな入口を用意する... 大いに結構だと思う。
からの今月のプレイリスト。
朝子と書いて「ともこ」。 僕も実は「フジハラ」です。
見出しのとおりで、家の電話に「アサコさんいますか?」というか言わないかで、詐欺電話を見抜けたりするのだとか ... w
(余談だけど僕も「フジハラ」である。銀行口座がカナ入力だった時代は、バイト先の給料が振り込まれないのはおろか「口座番号間違ってるんじゃないの?」などとこっちが怒られる始末。その時9割方先方が「フジワラ」入力... なんて話をお試し初回でもしている。まぁ今はそんなことないけど...)
プロフを紹介しようにも、いい意味で「箇条書きできるような」経歴がない。たぶん順を追って話を膨らませるのが良い。そのへんが小さな失敗を繰り返してきた中で、少しづつ掴めるようになった感触がある。
母方が代々東久留米の人。ご自身の幼・小・中も東久留米。生粋の地元っ子である。市外の高校を卒業後、ブリヂストン(小平)に入社するも、
「とにかく描く仕事がしたい」との一心で(専門の)学歴も伝手もキャリアもないままにデザイン業への転職を決意。母にもしこたま怒られ失敗もまた数知れずだが、5年ほどキャリアを積んだ頃。時代はバブル全盛期だったこともあり、いいタイミングで独立に成功。
たぶんここで聞くべきは、今の世代にはもはや馴染みのない(僕もいい歳だけどほぼ知らない)「紙版下」時代の話と「とにかく恥をかいた」といったあたりの話か?いちばん楽しかった仕事は装丁やパンフレットなど、とのこと。大きい取引先は英國屋・スターツなど。
「活版」「手描き」「暗室」「反転」などの用語が飛び交う。
不況と Mac と結婚と...
業界自体が割と長いこと「ブラック」だったが(未だにそういう側面はあるようだけど...)w、紙版下時代の非効率たるや... 今 Macでやってる作業は手作業で、瞼が開かなくなるくらいスプレーのりまみれになったり、終電に間に合わずに布団代わりに段ボールで寝たなんてのはよくある話で... ただ良いか悪いは別として、その口ぶりはちょっと楽しそうw
しかし時は流れいわゆるバブルは崩壊へ。現場は急速に Mac 導入へと移行。時代の流れに乗って押し寄せてきた DTP周りの操作などを「覚える」と言うひと工程が、どうしても苦痛で仕方なかったのだという。「国語脳」なのを強制的に「数学脳」に矯正されるような圧力を感じるのだと。
個人的には彼女が感じたほどの圧力を Macから感じない。ヤツは PC のくせにどこか人間味があると思っている(少なくとも Windows よりは圧倒的に愛嬌がある)。いまの apple製品を見ればその実感も湧くと思う。
ただ、DTP 黎明期ならば分からない話ではない。ちょうど結婚前だったことも手伝って、スパッと現場を離れてしまったのだそうだ。
環境が変わっても変わらないこと
そういえば僕も社会人になったばかりの頃からPCそのものに「得意」意識はほぼなく、実際同世代の人たちが現場に飛び込んでいくタイミングより少し遅れて Mac に触っても、結局しばらくの間「どこから手をつけて良いかわからない」状態だった。
そうこうしていることはちに「何かカタチにしなければ...」と焦ったり悩んだり.... 結局「下手でも自分の手で描く」という手段しか見出せなかったなという始まりだった。手がかりも目標もないままアプリを覚えようとした時、まるで辞書を1ページ目から捲って読破するような途方のなさを感じた。
それでも必要に迫られて Illustrator を手探りで覚えようとした時に気づいたことがある。困るのは「分からないこと」ではなくて「どんなビジュアルを形にしたいのか?」が描けていないことだった。今になっても知らないことはたくさんある。ただ「どうしたいか?」が明確になれば「どこを覚えれば良いか?」も自ずと明確になってくる。
「Adobe 系できます = デザインできます」では決してない。
笹原さんはズバリMacを使えない。でも自分が「伝えたい」とするモノやコトが確かにあって、それを自覚している。どんなに制作環境が変わっても、自分(たち)は何者なのか?何を言いたいのか?何をしたいのか?それは何のためなのか?視覚を通じてメッセージを「伝える」というのは変わらない。たとえそれが他人にとっては「どうでもいいこと」であったとしても。
みんなちがってみんないい ≠ 私は私
それで「ことり堂」ってどんな場所?
何にも囚われず、可愛いもの好きなもの、来るたびに違うものがある場所。
+ 自分で描くイラストのコンセプト + 生涯コンセプトでもある「I am me.」
それは直訳して「私は私!」というような強い意思表示とは少し違っていて
「みんなちがってみんないい」「そのままでいいんだよ」というニュアンスを落とし込んでいく... そんな作品(や商品)が所狭しと溢れている自分とそこで出会った人との城。
そのタイミングでどっさりメールが届く。クリエイターではない方からのものばかりのようだ(本来それ自体はどっちでもいいのだけど... クリエイターの友人ばかりというのはよくある話かなと)「周りが応援したくなる」人なのが窺える。数的にも番組史上最高なのは間違いない。
皮膚や目の色で何がわかる?
リクエストには THE BLUE HEARTS の「青空」を選んでくれた。
改めて名曲だなと。※上のプレイリストにないのはブルーハーツはいまだにサブスク解禁してないのだとか(こういうトコもさすが!)
生まれた所や皮膚や目の色で
いったいこの僕の 何がわかるというのだろう
この一節に尽きる!との選曲理由。「ことり堂」のあり方にもリンクする。
制作年には 89年とある。当時僕は小学生だ。今でこそ当たり前に「多様性」と叫ばれるようになりながらも、依然として到底そこには及ばない現実...
30年以上も前からそんなメッセージを歌っていたこと、そしてそこから何かを感じ取った人が数多くいたという事実。いまも尚残る違和感は当時から「おかしなこと」で、でもそこに異を唱える大人が少なかったのか力が及ばなかったのか... もう「そういう時代だったから」なんて言葉で片付けてないけない。
僕もその一人自覚するが、アイデアを出せる、なんか人と違う、違和感を口にする、とかで半ば一方的に周囲から「変わり者」認定され、居場所が狭くなった経験のある人がクリエイターには比較的多いと推察する。その感覚と「クライアントは分かってくれない」という感覚がよく似ていると感じる。同時にそういう「無自覚な分断」が教育現場から生まれてしまってはいないか... ということも。
【選書】1回 「断定」 してみる意味。
今月の書籍。
目次を一部拝借。 ※注)Amazon でも公式に出されてます。
はじめにルールを突きつける。実はデザインに絶対的な正解などないのだけど「ある程度」の正解の一例を『正解』と、一方でありがちなダサデザインを『不正解』と断定している。
残念ながら巷には「ホントはやりたくないけど作らされた」「そもそも目的を考えていない」「ルールなんてクソ喰らえ」といったマインドのまま作られたチラシや冊子で溢れている。
専門性があるため学ぶ機会が少ないのは否めないが、そもそも知る機会も、普通教育の中での「考える」機会が絶対的に少ない。極め付けは学校の授業を通じて「美術嫌い」な人を量産してしまっている。そこを取り除く必要があるように思う。とはいえ時間がない。この本の良いところは「あえて白黒はっきりさせている」ところではないだろうか。
それが何であれ物事には基本がある。いわゆる「応用」はそのあとだ。予めある正解を求めることに慣れた、なおかつクリエイティブの対局のタイプの人が揃いがちであろう公務員の人に対してなら尚「一旦言い切る」ことによる安心感は心強いはず。目指すのは「誰もを惹きつける感動的なデザイン」でなく「最低限伝わる、みっともなくないデザイン」と言って良い。
ついでに一瞬でデザインを台無しにする「創英角ポップ体」も全力で否定させていただいた。(笑... 個人的には世の中から撲滅したいとさえ思う)
東久留米市役所に寄贈したいくらい。
原曲はバブル全盛期
実は番組にカバー曲が多めなのにも理由がある。もともとスカ/レゲエ/ロックステディに偏ってはいるがこれは好みで、それ以上に「同じ素材でも料理の仕方で見た目も味も全然変わるでしょ?」というメッセージを込めてみたかったりする。この傾向はおそらく今後も続くと思う。
(ホントにギリまでメールが来るんですね。スゴイ!)
久保田 利伸 「You were mine(KUBOJAH Ver.)」
生活に密着してるが故に...
エンディング前にもさらにメール「市内でオススメのカフェはどこ?」と。ことり堂最寄りの「もっく」さんと「TOKYO COFFEE」さんとご回答。
(それにしても今回はメールが多かった。ホントにありがとうございます)
そして必ず聞く質問を。
『デザインはみんなのもの』を伝えることを一つのミッションとしていますが、笹原さん的にそれを言葉にするとしたら?
デザインってみんなのもので、実は生活に密着してるが故にみんな気付かない。お弁当をキレイに盛り付けるにも、そこにある。子供の洋服をちょっと直すにしても、そこにある。誰にとってもホントは無関係ではない。
「表面を飾る」という側面だけで見ちゃうとどうしても「メンドクサイ」「時間がない」で片付いてしまうけど「何を思う」「何をしたい」「自分はこういう人だ」という自覚がなかったとしても、ない人っていないはずで、丁寧に掘り起こせば必ずある。いつも同じ話になってしまうけど、そこのところを刺激する番組でありたいと思う。
【次回予告】
『ちゃぶ台のラジオ』 〜 みんなのデザイン
10/18(月) 21:00 〜 ゲスト:萩原 修 さん
( 株式会社 シュウヘンカ 共同代表 / つくし文具店 店主 ほか)
多摩エリアのクリエイターの間では結構な有名人!? 実は『ちゃぶ台相談室』のお客様第1号(!)「まち」や「くらし」にデザインを浸透させるには?を悩み抜いて行動に移し、今なおモヤモヤし続けながら数々のアクションを起こしている大先輩。必聴です!
最後10秒くらい余ったのでこんな告知もさせていただきましたw(見てね)
ことり堂のインスタはコチラ。その「らしさ」を感じてください☆
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