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重ならない

 人は、一人の世界と向き合って生きている。言い知れぬ不安と虚無感を持ちながら、それでも他者に何かを求め、裏切られ少し大きくなった期待を殺される。その期待は殺されるごとに大きなハードルとなって現れる。だから、それを越えた時恋をするのかもしれない。でも、そんな大きなハードルを完璧に越えられるものなどいない。そして形而上との別れを知るまでにどれほどの苦しみが伴っていたことだろうか。なぜ、分かってもらえない。分かる者など居ないのか。俺だけが違うのか?出来るのは傷を舐めてあげるくらいなのだろうか?もっと先の景色を見せてくれる者に出会い、広げたとしてもどんどん期待が大きくなっていく。どこかで休む必要があるのだろう。あまりに嫌なことに目を向け過ぎたのかもしれない。人は、幸福を手に入れることはできない。一過性の興奮に身を委ねその時に向けて進むのか。しかし全ての概念は劇場の上で繰り広げられた優しい嘘なのかもしれない。世界を捉えるのはやめにしてこの世界を受け入れ苦しみを話すしかないのだろうか。そうすれば容易く理解されるだろう。意味を持たせる期待の形は持続していくが、少し見えるものが多ければこのまやかしに気づかない者など居ないだろう。少しだけ進もう。転んでも痛くない程度に。病気になって苦しまない程度に。自分は救われなくとも、他者に夢を見せれば、他者にその先を見せれば、何か面白いことをしてくれるかもしれない。考えて出来ることなどそのくらいだ。その人の、今の命の形が自分と重なってしまったらどれだけつまらないだろうか。後輩や幼子に対する物や、純朴な美しさを見出し、対等な関係を捨て去ることが出来るのだろうか。いや、違うのだ。多かれ少なかれ、一人の世界は多様性に満ちて、可能性に満ちている。無理矢理相手の世界を美しいとは思わなくても良い。今のあなたと関係を築いている。これだけでどれだけ素晴らしいことが起きているのだろうか。期待し過ぎているのか。その期待を持たないことなどありえないだろう。一人の世界においては嘘は暴かれる。そしてその嘘は何重にも張り巡らされた優しい嘘で、少しづつ曝け出していく物はつまらない物が多い。だが、期待して、また、劇場の登場人物とあなたを比べて、その人自身を見つめられないより、今のあなたが私にそう振る舞いたいと思って振る舞うそのコードを私は受け入れようと思う。そしてたまに私の心と重なるような、そんな一面を見たいのだ。

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