見出し画像

イン・システムがあるからアウト・オブ・システムがある(当たり前)

(写真FIVB)


情報の共有は重要である

バレーボールは、複数人で構成するチームで行うスポーツです。ですから、チーム内でのディシプリン(規律)やガイドライン(指針)といった、メンバーの共通理解や自己組織化を図られるような仕組みが必要になってきます。
自チームのプレー、そして対戦相手のプレー、それぞれ予測がしにくい不確実な(ある程度は限定できるが)状況が続き、試合展開や局面の推移も複雑多岐にわたります。プレーや場面、ゲームの展開は、事後の完全再現が困難なものが多いです。
そういった不確実性の連続である、バレーボールのゲーム(試合)を自チームが少しでも有利に進むよう、これまで様々な取組や努力がなされてきました。そして時代とともに、テクノロジーの進化に伴って、様々なことが解明され、可視化してきたものあります。「データー」の活用というのもその最たるものです。

バレーボールのゲーム(試合)は何を目指して遂行するのか?

そのチームの現状把握から、現時点で自分たちが実行できる最適な戦い方・・・オフェンスやディフェンスの闘い方を設定しておくことが必要です。
同時に、対戦相手チームの分析をして、少しでも試合を対等にまたはそれを上回って有利に試合運びができるためのオフェンスやディフェンスを設定(システムの構築)する必要があります。
こういったものの判断期基準、チーム内の共通理解の指標として「ゲームモデル」というものが設定されます。
そしてその「ゲームモデル」を実現させるために、必要なより具体的な方法を「プレー指針」として設定し、チーム内で共有、全員がそれをできるようにしておきます。

これら「ゲームモデル」や「プレー指針」には、絶対的な正解があるわけではありません。
そのチームのレベルや実態などに即した、現状でできうるものでなければ意味がないですし、その設定が対戦相手チームの特性や特徴にマッチし、その戦いに自チームが少しでも有効かつ優位性を発揮できるものになれなければ意味がありません。

戦況の分析や判断材料

自チームや対戦相手チームのスコア(得点)の推移や、タスクの決定率や出現率、効果率、球速や打点高などのパフォーマンスなどから、ゲーム中の優勢・劣勢の試合展開を推し量ることができます。それに加えて、どんなプレーをしているのかその状況やプレー内容の具体を照らし合わせることで、ゲーム展開やプレーをある程度評価できるようになり、自チームや対戦相手チームの分析資料ともなります。
重要なことは、チームという複数人で構成される「集団」の中で、その情報や評価が「共有」され「共通理解」が図られるということ。個々人の主観でその意味合いが異なるのではなく、チームの構成人員全員で一致した情報共有がなされ、共通理解がなされることが前提とならなければいけません。

事後の修正や対策の判断材料

分析や評価が一致した理解で共有されたら、そこで止まることなく、その後の修正や対策に反映する作業が欠かせません。
「ゲームモデル」とそれに基づいたタスクガイドラインである「プレー指針」で分析や評価の判断基準を設定し、さらには情報技術の活用で数値化や可視化されたものは、フィードバックや分析におけるリソースとしては有益なものとなります。

しかし、バレーボールという競技は、集団による闘争の側面があり、データーとしてはじき出された数値に従ってさえいればよいというものでもありません

そのためにも、例えば、
・複雑系
・非線形
・カオス
・自己組織化
・暗黙知の獲得

などのような、バレーボールの根底を成す特性や性質を知っておく必要があります。
これにより、単なるデーターの数値に従うだけでもなければ、ベンチからの指示にすべて従うものでもないということがわかってきます。ですから、1ラリーごとに、1つの得点ごとに、1セットごとに・・・コート上の選手たちが主体的にゲームの局面や展開を見極めなければいけません。

「イン・システム」を定義すれば、そこに「アウト・オブ・システム」が定義される

バレーボールのゲームを分析、評価するために、近年よく聞かれる言葉が、
「イン・システム」
「アウト・オブ・システム」

というものがあります。オフェンス(攻撃・アタック)をする側の状態を表すものとされています。

・イン・システム
ゲームに臨むにあたり、チームとして設定しているオフェンスシステムを機能させることができる状態。セッターがオフェンスの選択を積極的に行える状態。
・アウト・オブ・システム
チームとして設定していたオフェンスシステムを機能させることができない状態。セッターによるオフェンスの選択がネガティブに限定されたもの、またはセッターがセットできず十分なアタックが難しい状態。

ざっくり言えば、一般的には、そのゲームにおいて、自チームが「イン・システム」のオフェンスができている状態を維持させることで、ゲームを優位に進めることができる可能性が高まるのかもしれません。

しかし、バレーボールは、「ミスがあることが前提」の競技です。

「イン・シシテム」が達成できない ⇒ 「アウト・オブ・システム」という定義付けのみをチーム内で共有することには、個人的には意義を感じません。
「アウト・オブ・システム」という状態は、オフェンス遂行が不可能であることと同義ということにはならないのではないでしょうか?

「想定外」を「想定」しておけばイン・システム?

分類や区分、定義や規定化などというものは、人為的につくりだされたものですから、バレーボールのような複雑系の様相を呈するものをすべて説明しきれるものではないわけです。
そして、何がイン・システムで、何がアウト・オブ・システムなのか・・・。こういったものも、白黒の区別をはっきりさせることは困難です。
人為的なものであり、その定義には明確な線引きはない。そう考えると、私はもっとフレキシブルな用い方をした方がいいと考えます。

広い意味での「イン・システム」
種々の局面ごとに、遂行すべきプレーを想定し、ポジティブな選択としてオフェンスに持ち込んでいる状態。セッターが、その時点の状況判断によって、得点を奪いにいくためのアタックを積極的な意図をもって選択している状態。
狭い意味での「イン・システム」
チームで共有している「プレー指針」を含めた「ゲームモデル」の遂行が達成されており、オフェンスの選択肢が十分に確保されている状態。

仮に、そのチームがアウト・オブ・システムになったとしても、アタックによって得点することは可能です。その可能性の芽を摘んではいけません。

私だけかもしれませんが、何かイン/アウトの定義づけによって、アウト・オブ・システムに、すごくネガティブな思考が働きやすいのではないかと感じています。
特に、コート上でゲームしている選手たちの思考やマインドの中で、イン・システムか?アウト・オブ・システムか?の区分けは必要なのでしょうか?

セッターへの返球がAパスでなくなった段階で、カウンターマインドがやや低下し、自チームで設定されているゲームモデルの遂行が完全なものでなくなった段階でさらにオフェンスの意識が消極的なものとなり、最後は相手チームのディフェンスの想定内に陥いり、結果的に自チームのオフェンスの機能不全になる。
過度な「イン・システム」への要求によって、ちょっとしたエラーやミスも選手たちの大きなストレスにつながっていくことを懸念しています。
Aパス 決定率高いのは 、Aパス自体に有能性があるということよりも、Aパス以外でのオフェンスの想定や練習してないからなのだと考えます。

セッターへの返球がAパスでなくても、ポジショニングやテンポを修正することで、オフェンスの数的優位を生み出すことは可能です。
仮に、セッターがセット(トス)することができなくても、他の選手のセットやハイセットから、力強いスパイクにつなげることも十分可能です。
BパスやCパスであったとしても、セッター以外の選手がセットしたとしても、安易にアウト・オブ・システムとせず、最後までできうる最大の攻撃を模索していくことが、得点につながるのだと思います。


選手にはいかなる局面もプレーもネガティブな心理をもってほしくない

例えば、「スパイカーの数的優位」をゲームモデルの要素の一つに設定するとします。
仮にセッターに予定通りのAパスが入り、スパイカーも複数人が攻撃態勢に入れる状態であれば、イン・システムになるのでしょう。
他方、レセプションやディグが乱されて、選択肢がOHへのハイセットからのスパイク一つになったとします。さらにはスパイクにもちこむことができず、ダウンボールでの返球しかできなかったとします。こうなれば、アウト・オブ・システムと評価されるのかもしれません。

目的と手段を間違わない

ここで、おさえなければならないのは、何が大事なことであるか?何が目的であるか?ということだと思います。
それは、その時点で出来得るオフェンス(攻撃方法)によって、1点の得点を獲るということだと思います。
ですから、システムがどの程度予定通りのものを遂行できたか?ばかりに意識を置くことがどのくらい有益なのかと思うわけです。
Aパスが入らず、複数人のスパイカーがサイン通りの攻撃参加ができにくいシチュエーション。または、セッターがセットすることができず、他の選手によるハイセットをスパイクするシチュエーション。いずれも、必ずしもイン・システムと言い難い状況なのかもしれません。
しかしながら、その状況さえも想定の範囲内とし、入念に準備し対策をし、最終的にチームが焦ることなく、しっかりとスパイクに持ち込み、カウンターマインドをポジティブに働かせて得点を獲りにいくことができれば、そこにはシステムの良し悪しの評価がどの程度必要なのでしょうか

オフェンス・システムの評価は、あくまでも手段であって、それ自体がバレーボールのゲームの目的ではない。そう思います。

今あるリソース、今できることで、最善を尽くす

特に私は、育成年代(アンダーカテゴリー)とも言われる、小中高校生のバレーボール現場にいて、彼らのゲームを数多みていると、余計に、イン・システム/アウト・オブ・システムなどと言ってられない状況でのゲームがほとんどです。
未発達段階の彼らに対し、仮に「イン・システム」をどう定義付けることができるのか?中学生初心者チームを預かる私だったら、
・「相手」(ネット方向)を向いて誰かがアタックしよう
・ジャンプをしてアタックをしよう

ぐらいの設定から始めるかもしれません。これができれば、イン・システムという設定です。
ただ、このカテゴリーで強豪とされるチームの傾向で少なくないのは、やはり「イン・システム」を限定的に設定し、与えられたパターンの反復によって、限定的なパターンをより多く維持できているチームです。現場で言われるところの「ミスの少ないバレー」ということになるでしょうか。
そしてこれが行き過ぎた結果が、「過度のパターン化」現象です。そして、この多くは指導者によって求められるパターンを遂行できる選手だけがセレクトされ、「選択と集中」がはじまっていき、早期の選抜特化問題へとつながってしまうわけです。これでは、底辺拡大とか普及とか育成の実現にはなりません。複雑系の性質をもつバレーボールの本質からだんだん逸れていってしまうことになります。

バレーボールを初めてプレーする人々が、いきなり私たちが知っているバレーボールのエキサイティングなラリーを実現できるのは無理があります。そのような初期段階で、指導者が過度に評価を下すことによって、選手はいろんな縛りや拘束の中でゲームをしなければならなくなります。
まずは、自分たちの現状で、できるベストなオフェンスをその都度チャレンジ、トライしていく試行錯誤が必要だと考えます。


中学・高校生などのアンダーカテゴリーではあえて言わなくていいと思う派

アンダーカテゴリーのバレーボール、そもそもバレーボールを始めたばかりのグラスルーツ的な世界では、「イン・システム」などと言ってられないわけです。むしろ、コーチ(指導者)の設定を間違うと「アウト・オブ・システム」だらけになってしまうことになります。
「イン・システム」レベルや難易度、解像度を下げた設定が必要です。
システムについて規定すれば、その成否の線引きが始まります。そしてその成否や線引きに対して意識が働いていきます。
選手たちには、指導者が求めるものが上手くったか?失敗だったか?ばかりに気を取られるのではなく、
「どうやって1点をとるか?」にもっと集中して、自分(たち)の創造力と協働性を思い切り発揮してゲームをしてもらいたいです。
だから、私は、小中高校生とゲームをする際には、イン・システム/アウト・オブ・システムなどと言うことはありません。

「イン・システム」は指導者の評価材料として自身にとどめておく

私は、チームでの選手との共通理解において、ゲームモデルやその遂行のためのプレー指針の確認で十分だと考えます。選手たちにイン・システムとは何か?どの程度イン・システムだったか?などは敢えて伝えなくてもいいのかなと思っています。伝えなくてもいいというか、それくらいは選手たちも感じ取っているはずです。
しかし、指導者目線で考えた時、プレーをしているコート上の選手たちが気付きにくい客観的な視点や情報も必要です。そういう意味では、データー等も参考にした評価というのは、ゲーム展開の傾向や強み弱みの把握にとっては必要になってきます。
やはり、選手目線で考えると、プレー中にはイン・システムとかアウト・オブ・システムの区分けはあまりなくてもいいと思います。
選手の主観・・・瞬間的な判断力や創造性、メンタリティー的な要素と、コーチングスタッフの客観性・・・データーやそれに基づく評価とが、常に交錯しディスカッションがなされて合意として意思決定となる。こういった営みが大事なんだろうと思います。


「全員がセッター」またはそれに同等の能力を有するとすれば

・プレー中は、ミスかどうかの判断評価で拘束され過ぎず、まずは、現時点でできる最善のオフェンスの発揮にチャレンジし続けること。
・どんな形であれ、アタックまでもちこむこと。
・できれば、アタックは消極的ではない、ハイパフォーマンスなスパイクにすること。
こういったことを大事にして、指導者と選手の間で設定されたオフェンス・システムの成否については、ゲーム中の客観的な分析材料や事後のフィードバックの材料として用いればいい。
さらに言えば、接待されたオフェンスをパターンとして落とし込むことに終始せず、最終的な目的である、アタック決定にどんな形であれ持ち込むことが重要である。
そう考えていくと、やはりいわゆる「育成」という言葉で考えれば、スキルのオールラウンドな習得は重要になるわけです。全員がセッターになり得て、全員がスパイカーになり得る。これは、何も理想論ではなく、アンダーカテゴリーで実践しなければいけない要素だと考えます。

今回の、「イン・システム」/「アウト・オブ・システム」の議論は、それらを情報として活用する段階より手前の、アンダーカテゴリーでの取り組むべき課題をも浮き彫りにするのではないかと考えます。


言語(用語)を使うことが目的化していないか?

私は、以前書いた記事で、プレーや戦術のアップデートにおいては、用いる言語(用語)のアップデートであると書きました。用いる用語によっては、見え方や感じ方が変わるなど思考に大きな影響を与えます。

複雑系の性質をもつバレーボールにおいては、様々な場面における「規定化」というのは慎重に考えたいと思っています。なぜなら、規定化が選手の思考やパフォーマンスに何らかの拘束や膠着をもたらすことにもなりかねず、一歩間違うとチームの自己組織化を機能不全に追い込む可能性すらはらんでいると考えるからです。
これは何も、「インシステム/アウトオブシステム」という定義を否定したいのではありません。これに限らず、バレーボールにおける人間の思考にどのような影響を与えるのか。私たちは常に注視していくことが求められるのではないかということを、改めて再確認したいという考えをもっています。

「目的」と「手段」を間違ってはいけません。

「インシステム/アウトオブシステム」が、最近用いられ論じられているから、自分たちもその用語を使おうとするとき、
・それらの用語を用いている背景や意味
・それらの用語を用いるのはなぜか?
・それらの用語を用いることで指導やチームのパフォーマンスにどのような効果が期待できるのか?

こういったことに、少なくとも指導者は明確なロジックをもってコーチングやチームづくりにあたらないと、単なる自己満足的指導になるどころか、自分のチームの実態にそぐわないプランやそれによる質の低下を招いてしまう懸念があると思います。

「正確でスピードのある速いバレー」
かつての日本のバレーボールは、これを現代風な表現でいえば、「ゲームモデル」的に設定していました。
この場合(その時代)の、「イン・システム」は、

・セッターにAパスが入る確率を上げ
・あらかじめ規定された複数のオフェンス・パターンを機能させ
・相手のブロックがターゲットを絞る切らないうちにアタックする
など

ということに主眼を置き、この状態ができるだけ多く出現するよう、ひたすらパターン・プラクティスによって精度を上げる努力をしてきたわけです。
しかし、ブロック戦術の変化、サーブ戦術の高度化、バックアタックの標準装備に始まったオフェンスの数的優位・質的優位の追求・・・など。
かつての日本のバレーボールが標榜した「日本型イン・システム」は、ことごとく封じられ、立ち行かなくなったわけです。

当時その時に、話題となったのが、「世界と同じことをすれば勝てるのか?」というものでした。
バレーボールの特性や性質を考えた時、今になって当時の議論を思い出すと、それは「同じことをするか/違うオリジナリティでいくか」という発想がそもそも違っていたのかもしれません。
当時の世界のバレーボールの潮流に乗れず勝てなくなり始めた頃に、当時でいう「イン・システム」が、継続する中での発展性が見込めるのか?見込めなかったとしたら、「アウト・オブ・システム」の中で何を強化していくか。さらには、当初の「イン・システム」の設定自体を変更する必要があるのか?そういった分析や考察がなされることで、「ゲームモデル」や「プレー指針」などのアップデートが可能になったのかもしれません。


(2024年)