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「コーチzero」#02概論②~バレーボールの指導を見直す「"当たり前"の落とし穴/今何がわかってきたか?」

(写真FIVB)

現在、日本国内では、バレーボールの各種資格講習や研修会がある中、どうしてもハウツー(how to)論やトゥードゥー(to do)論に終始していて、しかもそれを持ち帰ってコピー実践してもほぼその通りにならないということを通して、日本のバレーボール指導の実際に疑問を感じてきた筆者が、それら現状の講習や研修以前の、バレーボールをとらえるうえで知っておいた方がいいと感じた内容を「コーチzero」と題し記事で取り上げてみます。


提起したいのは、過去の否定ではなく、「現在起きているミスマッチ」

 このnoteでも、日本のバレーボールの練習や指導方法のアップデートや改善について提起してきました。しかし一方で、バレーボールの指導現場に身を置く者として実感するのは、練習方法や練習内容になかなかアップデートが進まない、拡散していかないもどかしさがあるということです。指導者の過去の選手時代に経験した成功体験があったり、指導キャリアにおける過去の成功体験、自信が尊敬する指導者の指導理論の継承や導入・・・いろいろあって、概念や考え方を変化させることに抵抗感を示されることも少なくありません。

 試練を与えて乗り越えさせる・・・今の自分は数々の修羅場を乗り越えて存在している・・・自分の成長は当時の指導の賜物だ・・・。
 ともすると、現代言われている新たな情報は、一見するとそれらに真っ向から対立するものが多いかもしれません。正直、現代においては間違っていたと言わざるを得ないことも多いです。
 しかし、みなさんとシェアしたいのは、みんさんの中にある貴重な経験や学びの財産を、陳腐なものであると排除したり、意味がなかったと否定したりするための論破が目的ではありません。


「教える」「教わる」・・・思考停止選手を生み出す大問題なバレーボール指導

 かくいう私は、最初からバレーボールへの見識があったわけでもなく、バレーボールのコーチングの世界に入ったときは、今よりも遥かにバレーボールへの理解も、コーチング(指導)への理解が無さすぎでした。振り返ってみると、少なからず現在もなお問題視されている指導アプローチばかりをやっていた時期もあります。以下が今は反省すべき自分がたどってきた道です。そして日本全国では、残念ながら今もなお同じような指導がなされていることが言えるのではないでしょうか?
 そして、現在になって振り返るに、今分かってきたこととの対比においては間違いであっても、自分自身が変遷してきたということを考えると試行錯誤をしてきたということも言えると思います。

アップデートされていない「古いバレーボール指導」とは?(自戒)

①(バレーボールへの知見なき)精神論、ブレイクスルー志向
 いわゆる「厳しい練習」と言われるもの。といっても本質とは大きく外れた、非科学的なオーバーワークな身体的負担の大きい練習、コンディションや戦術的ピリオダイゼーションを無視した休養のないスケジュールと長時間拘束し管理する練習、大きな声での叱責や威圧的な追及する関わり方、重いペナルティーを課す懲罰的な対処、チームとしての連帯責任を過度に問う理不尽な指導。これらを乗り越えた先に、強靭なメンタルやフィジカルが獲得されるという間違った認識が、未だに根強かったりします。

②長時間練習~「質より量」と「徹底的な反復」への信仰
 オーバーパス、アンダーパス、ディグ、レせプション、トス(セット)とスパイク、ブロック、サーブ、ゲーム・・・一つ一つの技術を向上させる。
 さらに、それぞれの技術練習の中でも、手、腕、肘、肩、足、身体の向き・・・さらに目や軸といったワードでの細かな部分的な指導が入るので、全体像がみえるまでに時間がかかるというか、いつまでも全体をとらえきれない局所的な練習が延々と続きます。
 特に初心者への指導は、本当に技術習得には時間がかかり、いわゆるバレーボールのゲームが一定レベルになるまでには、相当な時間を要します。
 しかし、どのカテゴリも年間スケジュールで大会は目白押しです。そうなっていくと、どうしても練習量の確保が不安になり、時間も日数も多く取りがちになります。
 指導者としての心理的負担ものしかかってきます。ライバルチームや他のチームも今頃は練習やゲームをしている・・・そう思ってしまうと、練習をオフにすることが怖くなったりし、余計に休養のないスケージュールになりがちです。

③強豪チーム指導者練習メニュー(ドリル)の収集と模倣と信仰
 私も経験上、バレーボールコーチの道にゼロからスタートした時、何から始めればいいのか?何をしたらよいのかわからない苦悩がありました。ですから、指導経験が豊富な指導者や、実績が高い指導者たちが行っていることを持ち帰って実践してみたり、指導映像(当時はビデオ・・・今はDVDやネット配信動画)で紹介されているものをそのまま実践したりしていました。形式上のメニューを紙にメモとして書き、その通りに練習をさせていました。その後、年数がたつと私は逆に質問される側になることが多くなりましたが、そこでも「どんなやり方があるのですか?」、「いい練習方法ありませんか?」、「練習メニューを教えてください」というニーズが多いです。
 自分の指導を良くしたい、そしてそれによって選手やチームのレベルを上げたい、勝たせてあげたい・・・その願いは今も昔も同じです。
 しかし、私がたどり着いた答えに近いものとして、ただ単に他所からもってきて模倣しているだけではダメだということです。
 百歩譲って、全く無意味ではないとしても、少なくとも模倣元の指導やチームを超えることは不可能ですし、ひょっとすると自分のチームにはフィットせず、かえって成長に停滞や混乱をもたらすことの方が多いような気がします。
 なぜかと言えば、答えはシンプルで、「観察がないから」です。そして「選手主体になっていない」からです。つまりは、いくら他所から新しい練習を導入しても、目の前の選手やチームの実態を把握していないままやらせても、選手は主体的に学習することにはなりませんし、効果が出やすいとは考えにくいのです。

④自己啓発とスピリチュアル、メンタル依存
 私のしくじりの一つに、自分のメンタル訓練や自己啓発に「依存」していた点もあります。
 高額な費用を費やして、書籍を買いあさり、講演会や研修会、そして教材プログラムの購入などに充てていたことがあります。
 「私の場合」残念ながら、そのことでチームの劇的な勝利や自分自身の立場が劇的に変わることはありませんでした。逆に、そのことが自分自身の重荷になって、自分の調子を悪化させ先週に悪影響を与えていた側面の方が強かったように思います。
 まず、情報のインプット自体が目的化してしまい自己満足に終始していました。次に、先述同様に「選手やチームへの観察なき」自己変容ばかりを追っていました。
 そして、最もまずかったのは、「自分の努力で変えれること」と「自分の努力だけでは変えられない」ことの冷静な分析ができておらず、何をやって期待通りの結果にならず、その度に疲弊していく自分だけが最終的に残り、選手やチームには良い影響はありませんでした。
 周囲には、自己啓発やメンタルトレーニングの成功事例の情報があふれています。しかし、失敗事例は表には出てきません。成功事例について思うことは、きっと自分の実情や努力してできることの要因、自分が身を置いている現状の環境等が、そのトレーニングプログラムとフィットしている場合、うまくいったと思えるのではないかと考えています。
 自己啓発やメンタルトレーニングを否定したいわけではありません。その代わりに、自分の置かれた状況や環境、指導する選手やチームの現状や実態、自分の人間関係やライフスタイルの現状・・・そういったものを総合的に観察・分析したうえで、それでも欲する気持ちがあれば取り入れるのがいいと思います。安易に、著名度や他人の勧めや宣伝広告だけに流されない方がいいと思います。

⑤(排他的)「正解」「唯一解」的な思い込み
(あえて批判的に言わせていただくと)いかに狭い世界なんだと思わされることがあります。
 その一因が、練習方法や指導方法、戦術などが極めて限定的で、多様性を認めない風土があります。ある一つの方法や考え方、特定の指導者の言う方法だけを「正解」とし、それ以外の方法は間違いとして否定し排除する。そして、そういった手法や考え方の選択が「人」の選別にまで及んでいることが多いです。
 特に全国大会に何度も出場させている指導者や、日本一になっているチームの指導者などが紹介しているハウツーやかたち、スタイル・・・そういったものが、「絶対正しい」として信仰されがちです。いつしか、グループやファクション、テリトリーみたいなものが形成され、相互のディスカッションが成立しなくなっていきます。情報や知見などのソースも閉鎖的で、全体のアップデートを妨害しています。ですから、国際的に見てもガラパゴス化する要因になります。

⑥やたらと「細かすぎる」指導
「親指を・・・、小指を・・・」、
「右足を・・・左足を・・・」、
「肘を・・・」、「股関節を・・・」、
「~筋が・・・」、「~腱を・・・」、
「神経が・・・」、「小脳が・・・」、、、
バレーボールの指導の世界にいると、本当によく言えば研究熱心と言えるかもしれませんが、本当に細かいところを言葉で伝えて、選手に実行させようとする指導を多く目にします。
指導者の知識として、細部にわたる原理や理屈を蓄積する(知っておく)ことは、むしろ大事なことだと思います。しかし、それを言ってやらせるというのは、果たして練習や指導方法として適切なのでしょうか?このような細かな練習ばかりに終始していると、バレーボールの性質や構造から逸脱した「木をみて森をみず」的な練習やゲームになったり、「言った通りのことはできる」選手にはなるが「言った通り以外のことが対応できない」選手になります。


なぜ「落とし穴」だと言えるのか?~伝統的な指導を見直す

今、私が日本のバレーボール指導で、私自身が過去にやってきたこと、たどってきた変遷において、かなりのものが間違いとまでは言えなくとも、必ずもそれをする必要がなかった、それをしなくても指導はできた・・・ということが明らかになってきたのです。それは時代の変化にともなう価値観の違いや、バレーボールのトップカテゴリーの技術や戦術の変遷もあるのですが、それ以上に大きな要素として挙げられるのは、
・バレーボールの性質が明らかになってきたこと(複雑系)
・バレーボールの構造が明らかになってきたこと(階層構造)

この2つなのです。
これらへの理解へ向かうだけでも、十分、バレーボールへの見方や考え方、ゲームやプレーの分析、そして指導アプローチや指導方法が大きく変わってくるのです。もっと言えば、今大きな課題の一つにもなってるアンガーマネジメントの解消にも間違いなく向かいます。

(1)要素還元からの脱却

ウォーミングアップ

キャッチボール等

対人パスドリル

コーチノックによる2MEN,3MEN等

フロアポジショニングを意識したディグ(シートレシーブ)
(※ここまでは、ネットを介さない練習がメイン)

スパイク練習

ゲーム練習

サーブ練習
(※練習最後のルーティーン的な位置づけ)

クールダウン
(※最後までブロック練習はスルーされることが多い)

昔から、このような練習を進められていることが多いようです。私も昔はそうしていました。
バレーボールのゲームの中でみられるプレー、タスクを一つずつ取り上げるスタイルの練習で、こういう練習アプローチを「要素還元的」「要素還元主義」などと呼ぶようにしています。この考え方は、ものごとをうまく要素に分解すれば、それぞれは単純な原理で動いているはずなので、そこを突き詰めれば何でも(理解)できるという考え方です。ですから、パス、ディグ、レセプション、スパイク、ブロック、サーブ・・・と一応目に見える限りでバレーボールの要素に分解し、それぞれの精度や練度を上げていけば、自然と統合された形としてバレーボールのゲームが完成していくであろうという考え方になっています。

しかし、バレーボールは「複雑系」であるというとらえ直しが最近進んでいます。単純なパーツの組み合わせによって成立しているのではなく、多くの要素がそれぞれ複雑に絡む関係性をもち、しかもそれぞれの要素が相互作用や相乗効果みたいなものを発生させていくシステムだというものです。この時点で、バレーボールは「要素還元」というアプローチは限りなく適切ではないということが言えるわけです。

では、旧来の練習方法とも言える、要素還元的な練習から、どのようにアップデートすべきか。ここでは詳細を述べるのはまた別の機会にしたいと思います。ですが、少しだけ挙げておくと、
・ゲームライク(タスクゲーム)
・スモールサイドゲーム
・ゲーム系の練習のフィードバックとしての短時間のタスク練習

ということが、これから必要なバレーボール練習だと言えます。
指導者による手取り足取りの、そして細部にわたってああだこうだと言葉で伝えたとおりにやらせることは現実的ではないわけです。

(2)言語化の限界を肯定化する

野球の打撃の神様と称される、川上哲治氏のこの言葉は有名です。
しかし、当然のことながら、ボールが止まるということは物理的に自然の法則上あり得ません。そして、誰しもが川上さんのように一定のレベルになったらそうなるか?というとそうではありません。
このように、熟達したプレーヤーや修練の末たどりついたその選手本人の境地や悟りみたいな世界観や感覚というものがあります。
そして、そういう方々が発する言葉(言語化)が、そのまま「指導内容」となっていしまっていることが多いです。トップカテゴリーの選手や選手経験のある方々のバレーボール教室や、動画サイトで紹介されている練習紹介や解説などは、そういったものに依っているものが多いです。

〔オーバーハンドパスの指導で耳にする指導(言葉)〕

・「(足首、膝、手首の)バネを使え」、
・「膝を使え」
・「手の中にボールを入れて」
・「手首のスナップを速くする」
・「ボールを持つ時間を短くしていく」
・「おでこの前で」
・「三角形の窓をつくって」
・「右軸で」、「右眼で」
・「レフトにつま先を向けて」
・「ボールを小指から入れて親指から送り出す」
・・・etc

指導者は、オーバーハンドパス(セット)の練習での指導は、こんな言葉を選手に言っていることが経験上多いです。「多い」というのは、どのカテゴリーの指導者からも聞かれますし、日本全国各地でも聞かれるからです。いつから、こんな指導言語が広まったかのかはわかりません。しかし、こういった指導に共通するのは、非常に感覚的なものであるということです。実際に言われた通りにやろうとしても、その言葉は難解に聞こえ、実行が難しいです。

人間の運動学習、運動の習得において、

・伝わることと伝わらないこと
・見える化していいことと、見える化しなくていいこと
・言葉にしていいことと、言葉にしなくていいこと
・「※これはあくまでも個人の感想(感覚)です」を肯定し唯一解はなく個人による多様性がある

こういったことは、指導する側がシェアしておかねばならないことです。なんでもかんでも言語化できるものではない、言語で伝えることには限界があるということも私たちは知っておかねばならないのです。


(3)暗黙知の習得=答えは本人が見つける

指導者の考える指導や練習において、そして選手自身の理解や運動の習得において、言語による指導=「言った通りにやらせる」ということが万能な指導方法でしょうか?そんなはずがありません。
それなのに、「何回言えばわかるんだ!!」みたいな高圧的な指導を繰り返すのはなぜでしょうか?それは、あまりにも言語に依存し過ぎた指導をしようとしているからです。言語に頼った指導者からの関わりになっているからです。

・「そうする」から「そうなっていく」へ
・「させる」から「していく」へ
・「言われる」→「考える」→「創造・構築する」へ
・訓練から試行錯誤へ
・練習から探索そして探究へ

「アスリートセンタード」、「プレーヤーズファースト」という言葉が言われて久しいですが、まだまだ私たちはその本質に近づいていないことが多いように感じます。
ただ単に褒めたり、プラスの言葉を返してやればいいわけではありません。
ただ単に見守り(傍観)したり、任せる(放任)していればいいわけではありません。

大事なことは、人間一人一人「みな違う」という多様性を前提に、その学び方や習得のプロセスも違う、自分たちに起きている現象や状況に対しても感じ取り方や受け取り方も違う。そう考えていくと、画一的なハウツーやドリルでは解決しませんし、ましてや指導者の発する言葉などで万人に指導が通じるものではないのは明白です。

「暗黙知」や「身体知」という、本人でしかわからない世界の中で、本人だけが主体的に習得に向かってアクセスできる質的、量的なアプローチやプロセス、メンタリティを保障してあげなければなりません。


(4)バレーボールの性質や構造の理解とおさえが必須

コーチ(指導者)は、自身が受けた指導内容や成功体験、自身がもつプレー感覚を言語化して他者にやらせようとしても、その通りにはなりません。バレーボールの技術やスキルの習得には、他者からの言語による伝達には限界があり、本人の試行錯誤による暗黙知獲得、そしてチームとして実行するゲームの展開はコート上の選手の主体性に委ねられます。
 しかし一方では、コーチ(指導者)は自分の指導を実行する上では、言語(言葉)による情報伝達が多くなりがちです。その結果いつの間にか精神論に偏ったり、叱咤ばかりになっている場合も少なくありません。
 こういった課題に対処するためには、バレーボールの性質や構造を理解しておくことが重要です。

これら少しずつ明らかになってきたバレーボールの性質や構造(階層構造)は、何も私が最初から生み出したものではありません。私も、このような考え方に触れた時、最初はその理解や重要性に気付くまでに時間がかかりました。何も初見で理解できなくても大丈夫です。大事なことは、これらの情報をシェアしながら、理解を深めるために相互のディスカッションを促進していくことだと思います。

 これで、何が良いのかというと、圧倒的にバレーボールの練習やゲームにおける指導者の精神的負荷や消耗が軽減されるということです。
 これまで、どうしても言語に依存し、根拠のあることないことをすべてをリアクションコーチしていたものが、観察や対話に時間とエネルギーを使うことができます。失敗を肯定的好意的にも受け取ることができるようになります。
 今まで、言わなくてもいいことを言っていた、言っていたことが構造的に欠陥のある内容だった、言っていたことがバレーボールの構造や性質に反するものだった・・・。そういったことにたくさん気付いていくと思います。


(5)選手の試行錯誤を広げるためにフォーカスは外に

「肘を・・・せよ」、「股関節を・・・せよ」、「膝を使え」、「手首を使え」、「力を抜け」・・・バレーボールの指導現場でも、実に多くの場面で見られる、言語による局所解的な指導、細かすぎて伝わらない指導。
 では、コーチ(指導者)は何をすればいいのか?言葉で伝えてはいけないのか?そんなことはありません。
 明らかになってきたことは、(すべてに当てはまるとは限らないが)

・極力本人(選手)には、プレーする際には、自分の身体の局所的な部分の操作に注意を向けない。
・否定的な課題に注意を向けない。
(例)「~しないように」
・良いイメージ(自分の成功体験やモデルになる映像など)をもちながら
・振り返りを行い、本人の自分なりの言語化をうながす
・プレーする際の、いろんな条件や環境設定を変え、その都度振り返りを行う。
(場の質、広さ、距離、道具の負荷、難易度など)
など

これらのために、コーチ(指導者)は、目の前で起きていることに、いちいちリアクションコーチを入れるのではなく、

・本人(選手)が主体的に試行錯誤ができているか?という視点で観察する。
・良いと思えることは、即座に評価やフィードバックを返す。
・プレー中は介入しない
(言わない)。プレー後に質問や投げかけをして、本人(選手)からの言葉を引き出す。
・選手に自己評価や自己分析を促す。
・選手がよりよいパフォーマンスをつかめるような環境設定を工夫する。

など

ここでも重要なのは、コーチ(指導者)のハウツーを押し付けていないことが前提となります。コーチは、身体の動かし方使い方には言及せず、設定した状況の中でのパフォーマンスや状態を観察し、ひたすら選手に問うていくコミュニケーションを積み重ねていきます。そして、その中で選手が見つけた「いい感じ」が正解となっていきます。正解は、人によって違うのは当然のことです。


(6)「束縛的な反復」から「バリアビリティの練習」へ

私は近年「教え魔」と「教わり魔」という表現をよく用います。

・「教え魔」
=指導者が一方的に方法ややり方を伝える。言語に依存した指導。選手のプレーにいちいち評価を言う(リアクションコーチ)など、伝達過多な状態。

・「教わり魔」
=選手が、受動的で指示待ちになり、言われたこと以外は行動を起こしにくい主体性の極めて弱い状態。いつしか、言葉をかけられないと練習した実感をもてなくなり、やり方や解決方法を提示されないと満足できない状態になり、本人の試行錯誤による学習は起きにくい。

この「教え魔」と「教わり魔」は、表裏一体の関係にあるようにも思えます。選手がひとたび「教え魔」に出会ってしまい多くの時間を費やすと「教わり魔」を量産してしまいます。そして「教わり魔癖」を身に付けてしまうと、カテゴリーが変わったり、環境が変わったり、出会う指導者が変わると、一気に適応しにくくなってしまいます。

さらに、バレーボールの従来の練習では、「画一的な練習」や「型にはめる練習」が主流となっていました。ボールをとる位置、姿勢、スイング、ステップ・・・などなど、個性や個別の実態を考慮しない指導が多かったです。
それによって起きてきた弊害が、(指導されたこと)「それいがいの対処ができない」ということです。
例えば、「正面で取れ」ばかりを求められてきた選手は、身体の横側でのボール処理やスライディングやスプロールなど態勢を崩したボール処理ができません。このような現象が、さまざまな技術で弊害となっています。

このように、選手との関わり方、方法、指導内容・・・あらゆる面において、「多様性」を確保することは、バレーボール指導の大きな課題となっています。



バレーボール指導者も「リテラシー」が足りていない

ひと昔前ですと、まさに百聞は一見にしかずで、現地にいかなければ必要な情報が手に入らない時代がありました。しかし近年の情報通信技術の発達においては、どんな人でも手元の端末機器を用いて、欲しい情報に簡単にアクセスすることができます。
逆に、課題となってきているのは、どうやって情報が得られるか?以上に、正しい情報を手に入れているのか?ということです。いわゆる情報のリテラシーが求められているということです。

今や、文字情報だけではなく、映像にも簡単にアクセスできます。ですから受け取ることができる情報量としては、大変膨大なものとなります。SNSでは膨大な映像発信がなされており、バレーボールに関しても試合映像はもちろんのこと、練習法やハウツー紹介の映像もあふれています。

・もちろん発信するのは自由

・もちろん取り入れるのも自由

しかし、私が懸念しているのは、自由の中で、その情報の正しさに疑問符がつくものが少なくないということです。仮に間違った情報があったとして、その情報を受信する側が盲目的に取り入れたら、それはかなりの損害になると思います。

やはり、ここでも「教え魔」と「教わり魔」の関係性が生じています。
伝えては、善意で、自分のもつ経験を多くの人に提供しようと思われているはずです。多くの人々に提供しようと思われる方ですから、多くの方はそれなりのキャリアや実績など自負のある方であるとも思います。
一方で、受け手は、著名な方々が発信する情報であれば、価値があるものだと自動的に思いがちです。ですから、疑うことなく取り入れようとする傾向が強まります。

やはりここでも、「バレーボールとは何か?」という思考が必要になってきます。バレーボールの性質や構造を意識しておくことで、技術論や指導法の情報にアクセスしたときに、「はたしてそれは適正なのか?」という情報へのチェックも必要です。受信する側には、「クリティカルシンキング」も必要です。これもまた「試行錯誤」です。



指導する自分の過去の経験や成功体験はどう解釈すればよいのか?

昭和期~平成期にかけてのバレーボール指導と、令和期に入ってから明らかになってきたとの間には、たくさんの差異が見られます。世の中、時代と共に変わっていくのは自然のことではありますが、バレーボールの現場にいると、なかなかディスカッションやコミュニケーションが難しいと感じることが多いです。

(1)自己否定ではなくアップデートと進化

自分が過去に受けた指導や取り組んだ練習法と、近年明らかになってきたことが違っても、過去の財産を否定するものではありません。自分の思考を否定するものでもありません。ディスカッションやコミュニケーションをする場合は、これまでの自分にはない新しい情報だったとしても恐れる必要はありません。時が移ろう、時代が進むということは、それ自体が「変化」といっても過言ではないと思っています。ですから、変化は必然です。変わることを恐れて否定するべきではありません。アップデートは学びの姿であると思います。

(2)「オープンソース化」することで最終的には自分の利益にも

自分がもつノウハウや情報が他者に知られることで不利になるということはどの程度あるでしょうか?相手をだまし隠すことで得られる利益は一時的にはあるかも知れません。しかし、行きつくところこの情報化が進んでいる時代において、知識や戦術を隠しきれるとは思いません。それなのに、いつまでも狭い世界の中で隠し合いをし互いをけん制し合っていては、アップデートされた情報がいつまでもシェアされず、拡散と浸透が進まないわけです。
これが、日本のバレーボールの進化を止めていた大きな要因の一つだと思います。
情報の公開は、時には批判を受けることも、批判を受けることの方が多いかもしれません。しかしその批判も、大局的にみれば「ディスカッション」の大事な要素です。それなしに、ディスカッションが深まることもなければ、そこから生まれる新たな有益な価値の創造には至らないです。
(だから私は無償で書き続けています)


(3)指導者としての不安や苛立ちにどう「付き合っていく」か

このブログ(note)でも、長年日本のバレーボールのアンダーカテゴリー(小中高校バレー)の課題について意見してきました。その中の一つに、トーナメント性中心の日本一を争うための年間の過密な大会スケジュール、そしてそこから生じている、勝利至上主義と揶揄される行き過ぎた子供(選手)へのアプローチです。

マクロ(一般論)な視点で考えれば、勝利至上主義として言われているオーバーワークや指導者の理不尽な振る舞いなどは、許されるものではないということは、誰でも言えることだと思います。
一方で、ミクロ(現実の具体)のスケールになると、コーチ(指導者)は毎日「勝つこと」への要求を背負うことになります。保護者からの強いニーズやプレッシャー、そしてコーチ間でもマウントの取り合いが熾烈です。こういったコーチ(指導者)の抱えるストレスや疲弊感は、周辺の人が論じる以上にかなりハードで苦しいものです。

勝つことへの不安、勝てなかった場合の不安、さまざまな人間関係・・・こういったものは、消えることはないのだと思います。私たちができることは、こういったストレスやプレッシャーと「どう上手に向き合うか?」ということではないでしょうか?そして、それを実現するためには、学び続ける、学び合う、試行錯誤を協働する・・・つまり進化を求め続けなければいけないということです。


(4)他人から言われる前に、自分から情報にアクセスしてみる

私のオススメは、他者からダメ出しされて押し付けられる前に、自分から変わる道を選ぶということです。そうそれば、過去の自分の思考や価値観さえもがらりと変えることができます。
情報リテラシーやファクトチェックももちろん必要になってきます。ですから余計に多くの人とつながり、多様な知見に触れることが必要です。昔は書籍やビデオの購入くらいしか情報の入手ツールはありませんでしたが、今はインターネットを介したサイトやSNS、動画やオンラインミーティングでの交流も容易にできます。


以上、ホントはリアルな現場の指導者講習でやってほしい内容を、願望を込めてお伝えしている「コーチzero」。#02は、日本のバレーボール指導者の中で今もなお信じられている「当たり前」も、今大きくアップデートしはじめている、アップデートしなければいけないという内容をまとめてみました。

(2023年)