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最新刊を読んでいない人が勧める村上春樹

 昨日は村上春樹の引用から入ったが、今日はインタビュー記事の引用から入ってみる。実はまだ「騎士団長殺し」は読んでいないのでヘビーなファンとは言えなくなってしまったかもしれないけれど、すごく好きな作家の一人である。
 文章読めばわかるよと言う向きもあるかもしれないが、その通りです。

 僕の学生時代には、まだハルキスト叩きがすこーしだけ残っていたが、今はほとんど聞かない気がする。例のノーベル賞騒ぎがそうさせたのか、日本文学の旗手という感じになっているようで、なんというか夕日の感がある。
 僕は80年代半ば生まれなので、そこまで激しい春樹叩きは知らない。が、それでも実家でとっていた毎日新聞の書評でくそみそに叩かれているのをみたことがある。
 ほとんどただの悪口というか、なんなら「小説はうまいがそれだけでいいのか」というような内容だった。これって好きな子をいじめちゃう小学生男子のそれとじゃんと思った記憶がある。
 好きの反対は無関心という言葉があるように、当時の春およびハルキスト叩きには嫉妬の成分が多く含まれていたように思う。あとまあ女性の気持ちを逆なでするところはたしかにある。ミソジニーとかそういうことではなくて、なんであんなに女がすっと寄ってくんねん的な。理想化された部分がきにいらないというのはわかる。これもミソジニーの一種なのだろうか。
 

 翻って、今大学生くらいの本当に年若い人と話すと、あんまり読まれていないように感じる。叩きがひと段落しているということは旬を過ぎてしまっているということもあるのだろう。それも仕方ないのだろう。御大は御歳70歳(!)である。
 

 僕みたいなものが偉そうに評論するのは憚られるけれども、春樹文学を実生活に役立てる方向で考えると、即物的なものとみなすと、やはりビールとサンドウィッチの旨さがかなり上がるのではないかと思う。
 ご本人もどこかで「ビールが飲みたくなったとか、パスタが食べたくなったとか言われることがあるけれど、そういう実際的な効果があるというのは嬉しいですね」と言っていたはずである。
 もっともこれは春樹批判者への皮肉という側面もあっただろうけれど。

 そうでない方向で考えると、僕が感じるのは「大事なことは自分の足元を掘り進めること」「自分の中にあるものこそ大事」というようなメッセージである。
 そのための重要なモチーフが「井戸掘り」なのだと思う。

 毎日決まったペースで、自分の中に入っていく。
そうやって書かれた小説が、世界中に届いている。

これってなかなか希望がありますよね。

どうでしょう。読みたくなりました?

とりあえず、騎士団長殺し読もう。

 


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