就活の今時と変わり者の自分

大学生の3年の3月、周囲はリクナビやマイナビとかでプレエントリーという項目やインターンをやっきになってしてます。私はそんな中で、一人ぼーっと時間が過ぎていくのを感じています。

昔から他者と相容れない事が多く、自身の感覚で生きていくには世界は違い過ぎるので、多少理性で押さえ込んで、自分をコレは社会的に必要なプロセスだと信じ込ませて生きてきました。

しかし、いざ就活の時期となって思い立ったのは、自分が今後の人生をその抑制の元で生きていく事なのか?その不安と虚しみでした。

小さな時から、人とは違う子だと言われて育ってきて、自分もそれは理解していながらも他者よりも我慢の幅が広過ぎるが故に大抵のことは無視して生きてこれましたが、今後の人生をその無視や我慢を続ける事が正解なのか?何か困った事があっても生きていける自信はあれど、その生き方は子供の頃に言われた人とは違うと同義なのか?また、そんなにも人と違うのであれば、その才覚を持って特殊な業種に挑戦してみても良いのでは?と、そんな自問自答を2月中はずっと考えてました。

私は自身の人生の中で、自信を害する存在に多く出会って来ました。主体性の無く不安定な人や自分の行動に責任持てない人や自分は傷つきたく無いけど平気で他者を痛ぶる自称被害者など、今後こう言った人は自分の人生で腐る程出てくると思います。そして、彼らと同じ会社や仕事をしよう物なら、今まで通り私に被害が及びます。今後は社会的責任も付き纏うが故に被害の度合いは今までの物とは比較にならないだろうと考えます。そこで、自身に振りかかる火の粉を今から払おうと思えば、普通に就活してたらダメだなと考えました。

私は今後の人生を自分の物とし、自分らしく、自分の為に送るには……そこで止まり、確信的な答えはまだ出せていません。

抽象的には、地域おこし協力隊ってのになろうとか色々考えは有ります。

しかし、今まで自身を理性的に抑えてきたが故に、その選択は新卒という日本におけるトップレベルの強いカードを棄てる事になるという不安も残ります。理性が先行して、思いの外その一歩や覚悟を決めれないで居ます。

今回ここに書いたのは、コロナ禍以上に自身の都合で就活との向き合い方を変えた人間が今後どうなるのかを客観視する為にと、そしてその後の自分がコレを見た時にどう思うのかという書き置きに過ぎません。長々と身のない話だったとは思います。次いつ書くかすら分かりませんがコレを持って締めとさせて頂きます。

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