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旅文通5 - 旅は何のためにするの?

 仕事の旅であっても、帰省の旅であっても、観たいものを目指す旅であっても(観たいものとは、美術館の特別展、コンサート、芝居、はたまた金環食、といったもの。わたしの旅は、これが多いかな)、そして一日中海とプールで泳ぎ、本を読み、強烈な陽射しを浴びる、三昧の旅であっても(これも多いかしら。この三昧の中には、トロピカル・カクテルを飲みまくる、というのが入るのだけどね)(陽射しは避けるべきというのが常識。気をつけようと思い始めたのは40年近くも前なのに、この歳になっても、いつもそれを忘れます)共通しているのは、帰宅する時、マンハッタンが、輝きを取り戻しているということで。

 帰るために旅をする、みたいな。輝くと言っても、ニューヨークが急に、生き生きとした、健康な都市に生まれ変わっているということではなく、むしろ、病的で荒れた島、調和のない混沌、その中に点在する珠玉のエネルギー、等々がはっきり現れて見える。それがなんとも嬉しいんですね。

 海外に初めて出たのは二十歳の時で、パリだったのだけど、朝早くから自動車のクラクションがあちこちの路上に響いて、ホテルの部屋まで立ち上ってくるのが本当に新鮮で。日本の交通マナーはとてもいいので(今もいいのでしょうか?)クラクションもみだりに鳴らしてはいけない規則もあり、皆それをちゃんと守っているので、街が静かです。

 それに日本語の音感も、他言語と比べて静かですね。口をあまり動かさず顎周辺の筋肉を弛緩させたまま喋れて伝わる言語だから。外国は、車も人も、とにかくうるさいです。
(ガンガン手のひらを押してクラクションを鳴らす。ついでに口も動かして、4文字言葉を吐き出す。声を出すときは、顔の下半分、いえ、しばしば顔全体の筋肉を動かして音を吐き出す。それが、怠け口で暮らしてきた日本人には難しいのですね。英語で喋りまくった後は、今でも口周りがとても疲れます。常に、怠けよう、今まで通りにやろう、という我知らずの意志が働くので、口の動きはどんどん小さくなっていく。緩んでいく。英語の発音を、日本語のそれで代用できる気になってしまう。そうして、日本語訛りが進んでいく、という具合。)
 そのうるさい音、日本語には少ない弾き音? 破裂音?が行き交うだけでエキゾチック。。。だった頃が懐かしい。今では、クラクションや弾き音満載の朝の空気に、「旅の最初の朝!」という興奮は全くなくなってしまいました。

 旅は、その意味でも瞑想です。もう一度「最初の一日」に戻って、あらゆる風景をセンス・オブ・ワンダーと共に見渡すために。いつもの信号機やケバブの屋台や路上を舞うゴミから啓示を受け取れる心を取り戻す手段として。

 テオさんに教わったパステル・デ・ナタもおかげさまで一つの啓示になりました。わたしにとってのそれは、リスボンの後のコインブラとポルトのものですけれど。はい、毎日いただきました。鰯と蛸も毎日でしたが。というより、鰯と蛸にたっぷり注ぐレモンジュースとエッグタルトを毎日、と言った方が正確かも。ポルトガルの巨大レモンは至る所でたわわに実っていて、食卓にはふんだんにレモンが振る舞われます。そしてレモン風味のポルトガルの味は、ポルトガルのファドの調べと完全に重なっています。

 ファドについては、何回か聴きましたが、コインブラの伝統、男声ファドが良かったです。コインブラは、世界最古の大学の一つがある街で、大学の隣には、広大な植物園、サンタ・クララ修道院(水害で今は遺跡となっている)、数々の聖堂、寺院、、、コインブラの男声ファドは、学舎での男性たちの友情、愛情、出会いと別れの熱情が中心で、女性の出番はなく、男性世界の感情の昇華のようなものが感じられ、時折、その声が聖なるものに届くような感触があるのです。

 コインブラは、リスボンと並んで再訪したい場所ですが、なんと言っても今回わたしにとって意味深かったのは、ここが、薬学が発展した場所だということでした。あちこちにメディカル・センターがあります。そして、わたしが泊まったホテルは、中世は病院だったところでした。
(ここは無人ホテルで、つまりAirB&Bのような場所でした。名前はあったかもしれないけれども、メモに残すのを忘れました。ゲストはビルの入口を開ける暗証番号だけを知らされ、中に入ったらあとは全部自分でやる。自分の部屋番号の鍵を見つけて他の宿泊客と挨拶を交わしたりロビーでひととき一緒にお茶しながら、今日は冷蔵庫に何が入っているか、朝食のアンチョビ玉子が美味いとか、そんな話をしたりします。あ、話すのは英語です。)

 ロビーには、かつて、薬といえばこれ、だった、アルコール水に香草などを漬けた薬瓶がずらりと並んでいます。
 その光景が、15年近くも前に私が鮮やかなビジョンとして見て、今でも細部まで覚えているもの、それだったのです。居並ぶ瓶の左端には、ミモザではないようなのだけど、それに似た小さな黄色い乾燥花があり、それもビジョンそのままでした。

 たまにこういうことがあるので、さほど驚きはしないけれども嬉しいのですね。中世の風景、15年前のビジョン、今まさにその前に立っているということ、、、時間の流れが完全に消滅する瞬間です。そのまま、たぶん地に足がついていなかったのでしょう、その後、陽射しの強い6月末のポルトガルに必須の麦わら帽子を、どこかに忘れてきてしまいました。
 
 ニューヨークに戻ったのは、それから一週間ほど後のことです。はい、日本から戻ってくるときとは違うニューヨークがありました。音の一つ一つが突き刺さってくるようで、しばらくわたし自身は、静かに、口数も少なく、過ごしていたように思います。


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