虫のみる夢 1
第一章
「なんていう静かな暮らしぶりなんだろう」
フランツ・カフカ『変身』より
1
榊(さかき)タスクはある日感情をなくした。
朝起きたら、窓から見える快晴にも、淹れたてのコーヒーにも、お気に入りの音楽にも、心が動かされなくなった。
きっかけは分からない。
その日目覚めたタスクは、いつも通りベッドに寝転んだままスマートフォンへ手を伸ばした。
もったりと雲がつまった頭で、手探りでスマホを探し当て、音楽アプリを立ち上げる。そこにはいくつかのお気に入りのリストが並んでいて、そこから今日の気分にあったひとつを選ぶ。
いつもなら、すぐにBluetoothでつながったスピーカーから音楽が流れ出し、その音に身を任せながらベッドから起き上がる。
それからしばらくゆらゆらと揺れる。どこかの民族の不思議な儀式のように。
それが、毎朝起き上がるためのささやかな儀式だ。だが、その日に限って彼は寝転んだまま考え込んだ。曲をかけようとしたが、どれを選べばいいのか分からなかった。
しばらくの間、並んだプレイリストを眺めたが、雲は頭の中にもくもくと停滞し続けていた。どれだけ眺めてみたところで光は差さず、並んだ名前のどれひとつとして選ぶだけの理由がみつからない。
そのせいで、朝一番のプレイリストを選ぶというそれだけのことがとてつもない難題になった。まるでペンギンが空を飛ぼうとするかのようだ。黒い羽根をバタバタと羽ばたかせているだけで、身体が浮き上がることもない。
わからない。いつもどうやって選んでいたんだっけ?
思い出そうとした。だが、どういうわけかまるで手掛かりがない。プレイリストを選ぶために必要な重要な判断材料のようなものが、タスクの中からすっかりとなくなっている。
自分への問いかけはすべてヤギにでも食べられてしまったようで、いまだ頭にみっしりと詰まった雲の向こうには一向に届く気配がない。分厚く垂れこめた雲はそのうち耳から漏れ出しそうなぐらいだ。
起き抜けの音楽を選ぶのに何か大切なルールがあっただろうか
もちろんそんなルールなんて、これまで考えたこともなかった。そんなことを意識するまでもなく、いつも当たり前にロックなりクラシックなりを選んでいた。
そのはずなのに、今日はどうもそれがうまくいかない。
たとえ360度ひっくり返ってみたところで、適切なプレイリストを選ぶための根拠はどこにも見つかりそうになかった。かといって、今のままベッドに寝転がって画面を見つめていても、そこに新たなヒントが浮かぶ気もしない
仕方なく起き上がっていつもやっているように体を揺らしてみることにした。
そうすることで何か選ぶためのきっかけが見つかるかもしれない。こんな感じだっただろうかと、記憶に沿って振り子のように上半身を機械的に動かす。
だが、そうやって体を動かしたところで何も変化はなかった。それどころか、その体の揺らし方さえどうも以前とは違う気がした。
そこにはこれまであったはずの何か根本的な意味がかけているようだった。まるで味のないグラノーラを噛みしめているみたいだ。パサパサとしていて、口の中の(頭の中の)水分を吸い取っていく。
今のタスクがしているのはただの機械的な反復運動で、それによって多少は血の巡りがよくなるかもしれないが、それ以上の何でもない。
だが、何かがかけている。その感覚はあったものの、だからと言ってそれが何らかの気持ち悪さや焦りにつながるということもなかった。
心は至って静かだ。気分も悪くない。
きっと大して重要なものでもないのだろう。
考えてから、タスクはおかしなことに気が付いた。そういえば、気分とはどういうものだっただろう?
気分という言葉を心の中で繰り返してみたが、そこには何の重みもつながりもなかった。その言葉は新手のビジネス用語と同じぐらいに軽薄でつるつるで無関係に響いた。
待てよ何を寝ぼけてるんだ、と考え直す。
気分がわからないなんて。
もちろん、タスクがその言葉を知らないはずはなかった。毎日のように当たり前に使っていた言葉だ。
だが、まるその言葉の抱える意味が自分の実感ととつながらない。「き」と「ぶ」と「ん」の文字が頭の中で三つに分解してユラユラと漂っている。
きっとまだ寝ぼけているんだ、とタスクは判断した。
とりあえず頭の働きをよくするために目を閉じて深呼吸する。
それからもう一度自問自答する。
さて、僕は今、どんな気分なのだろう
なぞなぞの答えは意識の裏側に
ずっと気づかれなかった黴のようにこびり付いている
どうしたらいい?
どれだけ問いかけても、胸の奥からの返事はなかった。ひょっとして、問い方が間違っているのかもしれない。あるいは聞く相手を間違えているのだろうか。ではどう問えばいいのか、誰に問えばいいのか、考えれば考えるほど分からなくなった。
改めてベッドに腰掛けて、なんとなく窓から見える空を眺めた。一人の時にでも身だしなみに気を遣うタスクにしては珍しく、寝癖もそのままにしばらくそうしていた。
今日は雲がない。朝らしい、少し白く霞がかった空。のっぺりとして平坦に見える景色は、今のタスクの気持ちをそのまま切り取ったかのようだった。
それをしばらくじっと見つめてから、ふと考えついた。
そうだ、きっと疲れているのだ。
原稿の締め切りが続いたせいで、一種の虚脱状態にあるのだ。そう思って、今日一日は休もうと再びベッドに寝転がった。どうも意識がぼんやりとして、まるで耳や鼻まで麻痺したようだ。
何か身体的な不調だろうか。例えば風邪のひき始めとか、寝不足とか、過労とか、よくあることだ。どれもあり得ることのように思えたが、それでいてどれも全く関係のないようにも思えた。
目を閉じると、ぼんやりとした朝日の残像が目の奥を緑色で埋め尽くす。それから、チカチカとした光が漂った。しばらくそうしていたが、目の前があまりに賑やかすぎて一向に眠くなる気配はなかった。
眠りは訪れない
パーティーはまだ続いている
緑色の夢がはじまる
何度か寝返りを打ってから、目を閉じているのを諦めた。改めて考えると、そこまで疲れているということもなさそうだ。過労や寝不足ではないのかもしれない。もしそうなら、もっと精神的な何らかの障害なのだろうか。考えても分かりそうにないので、調べてみることにした。
タスクはのっそりとベッドから降りて、ワーキングチェアに座った。デスクの真ん中に置いてある仕事用のノートパソコンを開いて電源を入れて待つ。そう時間をかけず、見慣れた芝生が背景のデスクトップ画面が現れる。
ブラウザを立ち上げたところで、彼の手が再び止まった。
一体何から検索すればいいのだろう。
タスクは、しばらく考えを巡らせた。
例えば、こんなのはどうだろう。
――プレイリストが選べない――
いや、そんなことを検索してもどこにも辿り着けない。
もっと基本的なところから始めるべきだ。
――気分とは――
とりあえず、そう打ち込んでみると、すぐに次のような文章が見つかった。
《気分の用語解説 ― 全般的な身体組織の機能に依存する比較的軽度の感情状態。健康状態と密接に関連するが、快ないし不快な様々な心理的原因によっても大きく影響される……》
ますます分からなくなった。
この文章によれば、彼は毎朝の起きがけに〈全般的な身体組織の機能に依存する比較的軽度の感情状態〉によって、適切なプレイリストを選んでいたらしい。雲だらけの頭で、ずいぶんとややこしいことを考えていたようだ。
そのような調子で、ニュースや医療機関のウェブや、SNSで情報を集めた。匿名の巨大掲示板も見てみた。だが、今の状況に当てはまるような情報はなかった。
恋愛に破れて、育児に疲れて、仕事の、家庭のストレスで、と様々な理由で無感動になってしまったという言葉は、あちこちにあった。
世の中には、実に様々な理由で心を病んでしまう人々がいるらしい。そしてその症状も、驚くほど多種多様のバリエーションがある。だが、どれもがタスクの症状とは食い違っているようだった。
彼の場合、心が病むというよりも、その心そのものが、ふいにどこかへいなくなってしまったようだった。
ちょっと休暇に行ってくるよ、そんな感じで。温かい国の白いビーチで、日光浴をしながら甘ったるいカクテルを飲んでいるに違いない。きっとスマホの電源も切ってあるから、連絡をとろうにもつかまえることができない。
あらゆる情報をシャットアウトしてリゾートを満喫する相手にいくら手紙を送ったところで、返事が来るはずもない。
だからといって、そういったことが苦痛というわけでもなかった。なにせ、自分が今苦痛を感じているのか、という問いかけにさえ答えは返ってこないのだから。
いっそ質問掲示板で聞いてみようかとも考えたが、どのように切り出せばいいのか思いつかず、結局やめた。
とにかく、探せば探すほど、自分が一体何を探すべきなのか、それさえも分からなくなっていく。
ネット上のSNSやコメント欄では、当たり前のように皆が〝気分〟を謳歌していた。怒っていたり、喜んでいたり、楽しんでいたり、悲しんでいたり。あるいは一定の距離をとるふりをして、なんとかそれらの雑多な感情に巻き込まれないようにしていたりだ。
そこには様々な気分や感情が渦巻いている
ぐるぐる
ぐるぐる
潮の満ち引きがすれ違うように
渦巻いている
だがそれは理科室のフラスコの中身のように
ただそこで渦巻いている
どれだけ観察したところで
その渦の中はガラスの向こうにしかない
タスクはうまく想像することができなかった。人間が犬の嗅覚をどれだけ想像したところで、それがどんな匂いで感じ方をしているのか知ることができないように。
今の彼は、気分どころか、その存在の記憶までが淡く透ける和紙のように不確かなものになりつつあるようだった。
ひと通り検索しても埒があかなかったので、諦めていつものようにニュースに目を通すことにした。
ニュースの内容は相変わらず、汚職とか飢餓のこととか、通りすがりの男がナイフで切りつけたとか、今日は快晴とか、何が美味しいとか、そんなものばかりだ。とりわけタスクの気を引くような記事はない。もっとも、そもそもその気がいなくなっているのだから、それを記事のせいばかりにするのは失礼かもしれない。
テーブルに頬杖をついて、パソコンの壁紙を眺めた。地平線の向こうまで、青々とした芝生が続く景色。空の色と組み合わさって、とても鮮やかな、良く言えば爽やかな、悪く言えば何の特徴もない風景。
何故この背景を選んだのだろう。
以前の自分なら、こんなことにも簡単に答えられたのだろうか。考えてみたところで、分かるはずもない。結局のところ、タスクにとってもはやそんなことはどうでもいい過去の出来事のように思えた。
もしこの時点で感情があれば、もっと必死になって原因を探っていたのかもしれない。だが今の榊タスクには、結局のところそのことに対する悲しみも、焦りも、ましてや好奇心もなかった。むしろ心はどこまでも落ち着いている。
いや、何も感じていなかったという方が正確かもしれない。胸の奥底に強力な麻酔でも打たれたみたいに、触れようとしても感触がない。そこにとびきり太い針を刺しても、今なら何も感じないだろう。もっとも、あくまでもたとえの話だ。
試しに頬をつねってみたら、痛みはあった。なるほど、感覚と感情は別のものらしい。タスクは「ふん」と声に出してみたが、その声はすぐにどこかテーブルの向こうへ転がり落ちていった。
それから手の任せるままにスケジュールを開いた彼は、次なる問題に直面した。
さて、何をしよう。
いや、何をすべきだろう?
今日は休日で、彼には特に大きな予定はなかった。トラブルがあっても問題がないという意味では、いいニュースだった。だが、取り急ぎやるべきことがないという意味では悪いニュースでもあった。
さて、どうしたものか。
しばらく考えても、思いつくことがなく、ひとまずキッチンで湯を沸かすことにした。起きたらコーヒーを淹れて、それを飲みながらメールやニュースをチェックする、それが日課だったからだ。
湯を沸かしている間に、手挽きのコーヒーミルにコーヒー豆をひと匙入れて、取っ手をくるくると回す。コーヒー豆を挽くコリコリという感触と共に、香りが立ち上がる。軽く焦げるような匂いと、僅かな甘さ、鼻腔に感じる微かな刺激。
とはいえ、それが何らかの感慨をもたらすかというと、そんなことはなかった。むしろ、何故自分がこれを好き好んで飲んでいたのか、今となっては分からない。
覚醒のため? 気分転換のため? 美味しいから? 毎朝のように飲んでいたコーヒーについて考えてみて、今となってはただ苦いだけの飲み物なのだから夢中になって求めるほどのものではない、と気づく。
いつもなら意識のスイッチを入れるための儀式的な作業だったが、今はとにかく機械的にこなしてコーヒーをドリップすると、コーヒーカップを持ってワーキングチェアに戻った。
そのままコーヒーをすすり、ふと天井を見上げてみた。タスクは煙草を吸わない。だから壁紙は引っ越してきた時のまま、真っ白だ。その白い天井は、今は僅かな凹凸に光を反射して、淡いクリーム色に染まっている。
「ふう」
もう一度溜息をついてみたが、やはり何かが変わることもなかった。苦いコーヒーは苦いままだし、クリーム色に見える壁紙はクリーム色のままだ。こうして考えてみると、うまく溜息をつくのもなかなか難しいのかもしれない。
何をしようにもきっかけをつかめず、なんとはなしにテレビをつけると、朝日が見える窓を背景に四人家族(らしい)が大笑いしていた。
家族は真っ白なシーツが敷かれたベッドに寝転がっており、ベッドマットのCMだということが、わざとらしい言い回しで表現される。
ウフフ
パパおはよう
おはようママ
アハハ
よく眠れたね
目覚めがいいね
ウフフ
よく眠ったね
アハハ
いい子たちね
いい子たちだね
ウフフ
アハハ
それは、とても不自然な光景だった。
家族全員で起き抜けに大笑いするなんて、何かよほどのことでもあったのだろうか。それともタスクが知らないだけで、世の中には起き抜けに家族揃って大笑いするような家庭があるのかもしれない。
それについてしばらく考えてみたが、やがて考えるのをやめた。起き抜けに大笑いしようが大泣きしようがそれは所詮他人のことで、自分がどうなることでもない。そんなことを考えたところで、今の事態が進展するとも思えなかった。
そういえば、昨日は以前納品した原稿の修正依頼がきて少し落ち込んでいた気がする。あの時、どうしてそんなに落ち込んだのだろう。原稿の修正依頼なんて珍しくないし、特別に時間的に厳しかったわけでもなく、すぐに書き直して原稿をメールに添付し、さらに夜食を食べる余裕すらあったはずなのに。
昨日の自分が、まるで他人のようだった。分かっていたようで、実のところ何も分からない。
心はとても平坦だ。しっかりと存在はしていて、真っ白で、無機質だ。感情のように揺れ動く危なげな状態がないというのは、考えようによってはすこぶる健康なことかもしれない。
問題がないのであれば、これ以上考える必要はない。プレイリストが選べなかったからといって、何がどうなるというのか。
タスクの当座の問題として、特に仕事がなく予定もない今日一日をどう過ごすかというものがあった。記憶をたぐってみると、こういう日には大抵一人でギャラリーか美術館に行くか映画館へ行くようにしていた。
二十代後半の独身男にしては、少々大人しすぎる過ごし方かもしれない。だが、仕事となると取材であちこち飛び回るか、執筆でこもりきりになるかなので、休日には外に出てゆっくり何かを見る、それから夕飯は少し奮発して外食するというシンプルな行為をそれなりに気に入っていた。
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