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なななななな、なななな。

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ままならぬ感情や個性を持て余す歯車たち。 ないならないで手持ち無沙汰、あったらあったで持て余す。 激しく、時に凪ぐ“感情”について描いた掌編、短編集。
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2021年2月の記事一覧

猫とローストビーフ

猫とローストビーフ

 秋になり、夜が肌寒くなってきた頃だった。
 ちょうどローストビーフの仕込みをしている時に、猫が訪れた。
 キッチンにある窓から、部屋の中を覗き込んでいる。
 何をしているのだろうと見ていると、何をするでもなく座っている。少しだけ眠そうだ。
 鉄のフライパンに牛脂を溶かして、室温に戻して、塩と黒胡椒をふった牛もも肉の表面を一分ずつ丁寧に焼いていた。その匂いにつられてやってきたのだろうか。
 不思議

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トンネル ―国境(くにざかい)であること―

トンネル ―国境(くにざかい)であること―

 私は長い間列車に揺られることになった。
 飛行機で向かう方が早い気がするが、目的地は空港からとても離れていて、結局電車とそう変わらない――下手するとそれ以上の――時間がかかる可能性もある。
 半分仕事、半分私的な旅行気分で、駅弁など選んで購入し、席についてから穏やかな気持ちで車窓を眺めていた。
 景色は全体的に山吹色で、枯れた畑や米を収穫した枯れ草の後が延々と続いていた。
 気まぐれのように大き

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桐生のこと

桐生のこと

 葬式に出た。
 クラスメイトだった桐生つかさの葬式だ。
 参列した生徒はみんな全員制服を着て、黒いリボンを胸につけている。
 親族らしい中年の男女があちこちにかたまり、ヒソヒソと細い声で話し合っている。
 話の内容に興味はないけど、葬式に来て何をそんなに喋ることがあるのだろうと思う。
 クラスメイトの女子はすすり泣いている奴もいて、ハンカチをくしゃくしゃに握りしめている。
 その女子を慰めるよう

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彼女という痣

彼女という痣

 その子には痣(あざ)があった。
 顔の左半分を覆うように、青い大きな痣。
 生まれつきのものだろうか、それは誰も彼女に聞いたことはなかった。
 痣に興味をもって調べてみたら、それは太田(おおた)母斑(ぼはん)というものだということがわかった。
 顔面にできる母斑で、メラノサイトが皮膚の深い場所にできるせいで、青痣のように見えるものらしい。
 でも僕はあえて〝痣〟と呼ぶことにする。その方が彼女にぴ

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満月と傷と猫

満月と傷と猫

 満月の夜だった。

 夜は好きだ。
 静かだし、人は少ないし、空気も綺麗な気がする。
 子供の頃、田舎の祖父母の家にいった時のような星空は見えないけど、満月はまん丸くて明るい。
 電灯がない道だってほんのりと銀色に輝いているように思える。
 満月になると犯罪率が上がる、なんて噂も聞いたことがある。
 どこまで信用できるかよくわからないけど、まん丸の輝く月を見ていたら、なんとなくそんな気持ちになる

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