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名付け親のこと

「人が一人死ぬというのは、どんな事情があるにせよ大変なことなんだよ。この世界に穴がひとつぽっかり開いてしまうわけだから。それに対して私たちは正しく敬意を払わなくちゃならない。そうしないと穴はうまく塞がらなくなってしまう」

村上春樹『1Q84』より

昔読んだ、村上春樹の本に書いてあった。
 
ハルキスト、と呼ばれるほど彼の本を全て読んでいるわけではない。しかし、この人の本を読むと、その時の自分が必要としている文章に出会い、ハッとすることが多々ある。
 
冒頭の文章は、自分の大切な人がこの世界からいなくなる度に思い出す言葉となった。
 
 

 
「あら、あなたまたそのどろぼうみたいなの持って」
 
そう言って笑ったのは、元上司であった。
どろぼうみたいなの、とは、私が気に入って持ち歩いていた唐草模様のかばんのことである。
会うたびに言われるので、面白くなって、noteを始めたときにも名前を「唐草」とした。
 



彼女と初めて会ったのは、採用面接のときだ。
私は面接を受ける側の人間で、彼女は面接官だった。
ショートヘアの似合う、立ち姿の美しい人。
 
入社後、彼女が直属の上司となった。
本来は、私より少し年上の人が担当する予定だったが、体調を崩していたようで、しばらく彼女が私をみてくれることになったのだ。
 
仕事に対しては、大変に厳しい人だった。周りの先輩たちからは、私が逃げ出すんじゃないかと心配されたのを覚えている。
逃げ出さなかったが、ご飯の量は増えた。


一方で、昼食時などに顔を合わせると、一人で食べている私の隣に来て、ああでもないこうでもないと面白い話をしてくれた。
 
親子ほど年齢は違ったが、妙に馬が合った。
もっとも、東京育ちのお嬢様で、高島屋を「私の庭」と呼ぶ彼女と、田舎育ちのがさつで、入社初日に間違えたまま堂々と男子トイレに入るような私とは、見た目も性格もまるで違うのだけれど。
 
共通点といえば、方向音痴なことだけだった。
彼女の方向音痴レベルは私よりひどく、東京育ちだというのに一緒に電車に乗ると必ず行き先とは逆方向の電車に乗っていた。それに気づかず一緒に違う電車に乗る私も私で、周りの先輩たちからは、「あの二人は一緒に出掛けさせるな!」と言われていたと後で聞いた。
 

私がスペインに行くと言った時、社内での風あたりが強くなった。「いいよな、女は。俺らそんなことできねーし、やりたくても」と言う人、突然口を聞かなくなった人、挨拶はするが、よそよそしくなる人もいた。そんなとき、そんなもん気にするな、行ってこい、行ってこいと応援してくれた人は彼女だった。スペインにいる私に在宅でできる仕事をくれたのも、彼女であった。
 
 
それから数年後、彼女は退職した。
これからは友達としてよろしく、と連絡をもらった。
 


その後、私はエルサレムに引っ越した。
 
しばらくして体調を崩した私を心配し、エルサレムくんだりまで顔を見にきてくれたのも彼女だった。
 

「長い人生、こんなときもあらーな、でいいのよ」
 
と言って、けたけたと笑った。

彼女自身が闘病中にもかかわらず、彼女の周りにはいつも笑顔があった。
 
 
エルサレムからスペインへと移り、バナナと卵とおかゆで過ごしていた私に、蕎麦のおいしさを教えてくれたのも彼女であった。
 
いつしか、「唐草さん」は「唐草ちゃん」に変わった。
 

日本に帰る度、彼女の庭である高島屋を案内してもらった。歌舞伎を見に行き、笑いヨガに連れていかれ、彼女の個展を手伝い、日暮里を歩き、目黒のさんま祭に行き、二子玉川で買い物をした。どこに行っても、決まって最後はカフェに入ってとりとめのない話を何時間もした。いつもの散歩コースにあった蔦屋では、お勧めの本を教えてもらった。書道の楽しさと自由さも彼女から教わった。私が経験した、数えきれないほどの楽しいことの空間には、彼女がいる。
 

人生、今が一番楽しいのだと言う彼女は、退職してからの行動がすごかった。
 
海外に留学し、エルサレムどころかスペインにも遊びに来てくれ、個展を開き、ある分野でいくつも賞をとっていた。とにかく、いつだって全力で生きていた。
 
闘病中であると聞かなければ、誰も彼女がある治療を受けていることなどわからなかった。
 
 

今年に入って、だいぶん調子が悪い、と連絡があった。
落ち着いたら自分から連絡するから、それまで待ってほしい、と書いてあった。
 
居ても立っても居られなかったが、彼女の気持ちを尊重し、連絡を待った。
 
別の先輩が「まだ、あなたに連絡することができないと言っているから」と、代わりに状況を教えてくれた。

その先輩は、人間関係には距離感が大切なこと、無理強いはしないこと、会っても会わなくてもこちらが気にかけていることは彼女に届いていることを忘れるなと言った。


しかし、私の元上司は、私が途方に暮れているときに、体調が万全でないのに何も言わずにエルサレムまで来た人である。日本でクリニックを探そうとしたら、既に見つけてくれており、あなただけだと何をやらかすかわからないからと一緒に来てくれた人である。親のことでぐちゃぐちゃになっていた私に、気持ちの逃げ場を作ってくれた人である。とにかく、笑うのよ、と教えてくれた人である。ああ、あなたにぎゅっとしてもらうと元気が出る、と言ってくれた人である。その彼女と私の間にどこまでの距離感があるんだろうか。

同時に、自分の会いたいが自己満足であってはいけない。会って彼女の顔を見て自分がほっとするのか、何もできないという罪悪感が消えるのか。ときには何もせずそっと見守ることも大事であるのもわかっている。自分だったらこういうとき、何を望むだろうか。
何度も自問自答したことであった。今も答えは出ていない。


夏に日本に帰ったとき、高島屋に何度も足を運んだ。私にはあまり用事のないデパートだったが、あの場所に行くと、彼女がそこら中にいる。彼女と一緒に行くお店をひとつずつまわった。彼女とよく行くカフェの前を通った。彼女のおすすめのお茶を買った。彼女に会ったら話したいことがいっぱいあるなあ、と思った。
 

あるとき、彼女から久しぶりに連絡がきた。
 
会いに来てほしいこと、日にちが決まったら連絡するようなことが書かれていた。
 
行くに決まっているじゃないかと思いながら、大人しく連絡を待った。
メッセージは音声入力らしかった。常日頃あんなに言葉にうるさい彼女が書いたと思えないほど、助詞がめちゃくちゃであった。
 

それから数日後、私はまた高島屋にいた。
  
彼女が見たら吹き出しそうな私の変顔の写真にメッセージを添えたものを印刷しようと、FUJIFILMの機械と格闘していた。クロワッサンのぬいぐるみも買った。なによこれ、と笑ってもらうのが目的であった。

 
そんなとき、唐草模様のかばんが震えた。
 
着信履歴を見ると、彼女であった。
 

びっくりして、すぐにかけ直す。
 

「明日から緩和ケア病棟に入るの。会いたいから来て」
 

一年振りに聞いた彼女の声だった。
 
やっと声が聞けた、やっと声が聞けた!
行きます、行きます、行きますと、しつこいぐらいに繰り返した。
 
電話口の横で、彼女のお姉さんが明るい声で言った。

唐草ちゃん、来てちょうだい! 賑やかにしてやってちょうだい!

初めて話すお姉さんが「唐草ちゃん」と私を呼ぶのを聞いて、鼻の奥がつーんとした。
 

当日は、いろんな理由から、ワークパンツに白Tシャツという『G.I.ジェーン』さながらの恰好で病院に向かった。
 
やっと会えたわ、ああよかったわあ、と言う彼女に、それはこっちの台詞であると何度も言った。ベッド脇に座ると、それじゃ顔がちゃんと見えない、もっと正面に来て座って!と厳しい指示があった。さすが、元上司である。
G.I.ジェーンについては、いつもなら、あなたやめてよそんな恰好、と言う彼女が、「変じゃないよ」と褒めるものだから背中がこそばゆかった。
 
何でもないことをたくさん話し、うとうとし始めた彼女を起こさないように病室を出た。次に来るときまで、クロワッサンが私ですからと、ぬいぐるみをたくしてきた。
 
病室を出る少し前、大好きです、と言うと、しばらくして、私も大好きよ、と返ってきた。

病院からは富士山が見えた。
 
 ◆

スペインに着いてしばらくして、先輩がメールで知らせてくれた。
彼女はもういないんだ、ということを。
 
 
「小さいことではくよくよするのに、大きい問題が起こると逆に肝が据わっているのよね、あなた。頼もしいわあ」
 
 
褒められなれてない私に、たくさんの温かい言葉をかけてくれたのも彼女であった。
でも、私は全然肝など据わっていないのである。
その証拠に、今の私は気持ち落ち着かずで、仕事も全く手についていない。

 


私という人間は、人との縁に本当に恵まれている。

それは昔、祖母とした「もし、おばあちゃんがいなくなっても、私のことずっと見ててな」に対する「ずっと見てたる。あんたが大嫌いな幽霊にも会わんようにしてあげるから」の約束が効いているのだと思う。
 
私のおばあちゃんは最強である。だから、20年ほど前にこの世界からはいなくなった今も、姿形を変えて、元上司だったり、以前書いたへっちゃらのおじさんだったり、いろんな人になってその時その時必要なメッセージを私に伝えてくれているように思う。

 

数日前、元上司のお姉さんから便りが届いた。

棺には、私の変顔の写真とクロワッサンを入れたという。
これで、あの子も寂しがらないからと書いてあった。
 
 

「人が一人死ぬというのは、どんな事情があるにせよ大変なことなんだよ。この世界に穴がひとつぽっかり開いてしまうわけだから。それに対して私たちは正しく敬意を払わなくちゃならない。そうしないと穴はうまく塞がらなくなってしまう」


 
小説は、その後、次のような台詞が続く。
 


「穴を開けっぱなしにしてはおけない」
 
「その穴から誰かが落ちてしまうかもしれないから」
 


 
ぽっかりの穴は、もう少しだけ開いたままに。
 

今の家のリビングには、彼女が書いてくれた書が飾ってある。
こんな大きなものどうやって持って行くんですか、と笑ったのが懐かしい。
 

白い紙一面に勢いよく書かれたその文字は、毎朝リビングに入ると、そうだ、そうだと、私を笑顔にさせてくれる。そして、変顔にも。

 


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