見出し画像

6月のこと

何もかも投げ出したくなるような
何もかも投げ出したくなるような夜、セブンでうどんと豚肉のサラダを買って帰る。適当にチンしてヒガシマルのうどんスープをお湯でといてチンしたのをそこにぶち込めば豚とレタスのうどんが完成する。うどんは大好きだけど食べすぎると腸や肌に悪いと知って、頻度を減らした。2年ほど前から私の年初の抱負は健康で、少しずつ健康になっている気がする。今年はジムに行き始めた。体を動かすとスッキリする。うどんを食べると気持ちがほっとする。今夜はヒガシマルのうどんスープがどこのコンビニにもなかったので、ほんだしでおつゆを作った。お好み焼きの記事って、ほぼほんだしの味なんだということを考えながらうどんを啜ったら、何を投げ出したかったのかもう忘れていた。ネットスーパーでヒガシマルのうどんスープをカートに入れて、そのまま眠った。

私が30歳になったら
私はどこに行ってもちょっとだけ人に馴染めないでいる。馴染めないなりにそこで仲良くなった人に「あなた浮いてるしそのことに自覚あるよね?」と言われる。嫌われているのとは少し違って、むりもしていなくて、人が3人以上集まると自分が気を使うか、周りに気を使ってもらわないとどうも上手くいられないたちらしい。昔から、そこにいると目立つ。体大きいからだと思っていた。でもきっと自分ではわからないけど、体の動かし方や視線のやり方、言葉の使い方が微妙に人からズレているのだと思う。
もうすぐ3年働いている今の店は30代の女性が多いお店で、人生で所属してきた集団の中で、初めて浮いていないと感じる。私がいいとか相手がダメとかじゃなくて、たぶん同じ世代という文脈を共有していると、私のようなものは「訳の分からない人」になってしまうけれど、世代が違えば、若者全体がそもそもお姉さん方にとって「わけのわからない存在」なので、わけわからないなりに可愛がれる、というところに収まれているのだと思う。世代や地元という文脈を共有しない相手であると初めて自分の本質的な部分を開示することができて、だから私は年上や年下の方との方が仲良くなりやすいんだなあと勝手に分析してみた。
私が30歳になったら、同世代と感覚が会ってきて同世代と仲良くできるかな、と思ってかきはじめたけれど、それはそれで無理だろうと思う。

修学旅行
tiktokを見ていたら「友達が急に素っ気なくなって、ハブられたまま修学旅行にきちゃった😭ぼっちつらい😭」と嘆く見知らぬ女子高生の動画がでてきた。友達がいないから、先生と行動しているらしかった。私は居てもたってもいられなくなって「私も7年前修学旅行でハブられたけど今めちゃくちゃ楽しいから2日だけ耐えよう!」とコメントを書き付けていた。これが老婆心と言うやつか〜まあtiktokだしいいか〜と思いながら送信した。
厳密に言うと当時の私はハブられたわけではない。友人と噛み合わなかっただけだが、あれは相手が配慮してくれたら、惨めな気持ち自体は回避出来たことだった。後にあれ悲しかった、と言っても、謝ってくれることは無かった。楽しいはずの修学旅行で、あ、あの子ハブられてるという目で見られたのは悲しかった。自分がダサくて恥ずかしくて惨めでカッコ悪い人間だって、もう知ってるから、修学旅行でくらい忘れさせて欲しかった。根に持っているというより、傷になっている。その出来事は、自分は惨めにさせられるのが何より許せないんだ、ということを私に自覚させ、人間関係を構築する上での指針になった。
その後何年かをかけて、私は人間関係から私を惨めにする人物を徹底的に追い出した。恋愛は私をカッコ悪く惨めな存在にするから、恋愛を終了させるために結婚を前提とした彼氏を探した。運良く1発でそのような男を引き当てた。
10代でしたカッコ悪くて惨めで辛くて恥ずかしい経験をたくさんしたことが、私をめちゃくちゃ強くしたので、20代になってから人生が楽しい。ぼっちがなんだとか、そんなこと気にしている人は、みんな10代後半辺りで違う進路に行ったっぽいし。その事をtiktokの向こう側で辛い修学旅行をしているあの子に伝えたかった。性格が悪くてひねくれていて寂しがり屋で仲間を欲しがっていた10代の私に伝えられないから、代わりにあの子伝えたかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?