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そもそもの始まりは

ある時、歯医者の受付で、白髪のお爺さんがシワっぽい手で健康保険証を差し出し、満足げに言うのを聞いた。
「こないだ忘れた保険証、今日は持ってきたよ」
診察券はと問われると、お爺さんは渋い顔をする。健康保険証を持って来た代わりに、診察券を忘れてしまったのだ。
「年寄りだからね。ひとつ覚えると、ひとつ忘れちゃうんだよ」
私は心の中で頷いた。お爺さんより、二十歳は若い私だが、同時進行で注意を向けていられるのは、三つが限度。パート先の喫茶店で、地下倉庫へ何か取りに行こうとしていて、「ついでにアレも持ってきて」とふいに声をかけられたりすると、頼まれた物は持ってきて、自分が必要だった物を忘れてしまうのだ。

そもそも、着付けをマスターせねばと思うようになった始まりは和のお稽古事、三味線のためである。

歌舞伎で使われる曲を習う長唄三味線は、歌舞伎が好きで始めたひとが多く、歌舞伎座に通うようなひとの親はだいたいが着物愛好家で、親の着物がたくさん家にある。そうでない私はスタートラインから出遅れている。

だが、他人とは比べず、できないことには目をつぶって、マイペースで続けられるのが大人のお稽古事の優れた点で、自力で着物が着られなくても、ごまかしごまかし、近頃はプロの着付師さんにお願いして、発表会のステージに上げさせて貰っていた。

けれど、年齢と共に、いっぺんにできることの数は減っていく。

発表会には普段のお稽古にはない気苦労がある。場所が変われば音が変わるし、自分が舞台に上がるまでの手順を覚えておかねばならないし、出番を待つ間、誉めたり励ましたり、他の生徒さんへの気遣いも必要だ。演奏とは別の心配事が前頭葉に溢れ、理想の音色を思い出す余裕を無くしてしまう。

そこで、私は考えた。着物の負担を減らせばいい。早起きして美容院に出向く体力を演奏に回すのだ。自分で着付けをしようと。

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