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善意の殻を被った言葉

生きていたら、善意の殻を被った言葉を投げかけられることは避けて通れない。

そう痛感したのが、部活を辞めるときだった。

競技年数が長かったことや、名門校であったこともあってか、同級生や先輩からLINEや電話をたくさんもらった。
それ自体は感謝すべきことなのだろう。
ただ、彼らの言葉を聞いた結果、疲弊していた心はさらに擦り減った。

彼らの第一声は決まって、「辞めるなよ」であった。
部活を辞める理由を聞くこともなく、自分が言いたいことだけを言う。
それが良いことだと疑うこともなく。
それが善意の押し売りだと気付くこともなく。

辞めたい人に対して、辞めるなよとだけ言うのは、死にたい人に対して死ぬなよと言い、生の素晴らしさを語ることと同程度に意味を成さない。

彼らの言葉は、結果として、部活を辞めるという私の決心を固くしただけだった。

善意とは、それ自体は素晴らしいものだ。
だが、それと同時に、善意は人を傷つける可能性を包含している。

だからこそ善意を取り扱うには細心の注意が欠かせない。

私が持つ善意は、善意の殻を被った何かに変化していないだろうか。

毎日そう問いかける必要があるのだと私は思う。


#日記 #エッセイ #ひとりごと #日常 #部活 #善意の殻  

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