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ChatGPTなどAIの進化によって先生の役割は大きく変わっていると聞きました。どう変わったのですか。

インターネット前と後で大きく変わった

教師の役割は、長く「生徒に知識を与えること」でした。たとえば国語なら国語、数学なら数学に関して、教師は生徒よりずっとたくさんの知識を持っていて、それを与えるのがもっとも大きな仕事だったのです。

ところが、インターネットの登場によって、ここが大きく変わりました。
たとえばGoogleを使って検索すれば、ヘタに先生に聞くよりも、ずっと深い知識が手に入ります。教師を通す必要はまるでありませんし、ハッキリいえば、教師は「いなくてもいい」存在になってしまったのです。

この傾向は、スマートフォンが普及することによって、より強いものになりました。誰もが簡単に知識にアクセスできるようになったからです。

ネット時代の教師の役割

教師は以前のような「知識の保持者」の代表的存在ではなくなりました。

では、まったく不要になったのでしょうか? 
自分はそうではないと考えています。

インターネットにあふれる知識というのは、多くの場合、カリキュラムの形を成していません。
なにかを順を追って説明するようにはなっていませんし、こちらがどのレベルにあろうと、一方的に知識を渡すことしかできません。相手に合わせる形で提示することができないのです。
相手を知り、相手に必要なものを提示すること。それがあたらしい教師の役割です。

また、知識はそのままでは楽しくないことも多いのですが、場合によってはエンタテインメント性をとりいれることによって、おもしろく、受けいれやすいものにすることもできます。

いわば、知識の媒介者、アダプターとなることが、新時代の教師の役割です。

TENTOはそれを十分に果たせるよう、努力をしてきました。

AIが変える先生の役割

以前、小学校に出張講義に行ったとき、小学5年生の生徒たちを前にデモンストレーションをおこないました。ChatGPTにこうたずねたのです。

「赤毛のアンの読書感想文を小学生風に書いてください」

ChatGPTはみごとに要求に答えてみせ、子どもたちとその場にいらっしゃった担任の先生を驚かせてくれましたが、じつはここには、上で述べた「あたらしい教師の役割」を失わせるものがひそんでいます。

ChatGPTやBardなどの会話型AIサービスは、こちらの状態に応じた回答を用意することが可能です。上の例では「小学生風に」になっていますが、「老人のために」とか、「理系の人向けに」とか、無数のケースが考えられるでしょう。

下のリンクには、ADHDであるために記事の読解に苦しんでいた人が、ChatGPTのおかげで理解することができた、という事例が紹介されています。

AIには、かつて「あたらしい教師の役割」として考えた「相手の状況に応じて答えを用意する」能力が備わっているのです。

では、それ以外に教師が提供できるものとはなんだろう?

日々進化するAIテクノロジーを見つつ、それを考えています。
                                           (TENTO代表 竹林暁)

                           


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