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【雑記】求められる説明責任~M-1審査員で毎年起こる議論から得たもの~

若干時期を外してしまいましたが、年末に行われるM-1では優勝者と並んで、いや、もはやそれ以上に「審査員の審査」が行われますよね。
これが興行になっているし、こういったディベートも一興なので、個人的には楽しいのですが、あまり過激に個人を批判するのは・・ね。

ちょっと考察しました。
長文になってしまいましので、お好きなポイントだけでもご一読下さい。

なぜこんなに審査員の審査が行われるのか?

構造として、3点。

1 審査員が一流の芸能人であること

ダウンタウン松本氏をはじめとした”超”一流芸能人たち。
自ずと期待も高まるし、その人たちの影響力が計り知れない。

2 対象が「お笑い」で評価の敷居が低いこと

これが、美術品とかだったら、まぁそんなもんかなぁとか受け入れてしまう気もしますね。まあそもそもその場合、視聴率が低くて話題にならないのですが。

3 全ての点数が公開されること

考察しやすいですよね。かつ数名の評価が同時に公開されるので、点数によっては目立ちやすい、つまり異常性を指摘しやすい構造ですね。

反対の例

同じように、一つのものを評価するというパターンとして、例えば、「なんでも鑑定団の評価額」がありますね。
あれは、上記3点の真逆です。
1)鑑定士は、殆ど知らない人です(唯一、中島誠之助ぐらいは他の番組でも見ますかね)。
2)鑑定品は大体美術品とか、マニアックなおもちゃとか評価の敷居が高い(素人は価値の評価がしづらい)ものですよね。まあ、だから鑑定してもらうわけですが。
3)Open the price!で表示される価格は一つで、何人か並んでいる鑑定士がそれぞれどんな評価をしたのか分からないですね(そもそも、あれはジャンルに応じて誰か一人が評価しているのか、ある程度専門性が重なっていて、議論の末に出した結論なのかすらも不明)。

従って、仮にえーー!というようなPriceがOpenされても、

まあそういうもんなのかな
(価値が分からんし、状態もリアルで見てないから分からんし)

で終わります。

改めて、人気商売は大変です。

まず、こんな構造なので、盛り上がるし議論になり易い。

では、我々はに何を期待しているのか?

審査員に対して、何が議論のネタなのか?

既に、それなりの数の方が解析してくれていますが、
山田邦子さんも上沼さんも最終結果に大きな影響を及ぼす様な点数はつけていない
というのが私なりの解析です。
もちろん、個人的な好みと思われる点数が反映されており、それが他の審査員と異なる場面もありましたが(2022であれば、カベポスター、真空ジェシカなど)、それは審査員の特権なので、別に良いでしょう。

仮に、一人の意見で大きく最終結果が変わってしまうのであれば、その審査方法自体が問題でしょう。
常々思っているのですが、M-1は各審査員の持ち点が100点満点です。
近年の傾向は凡そ75~100点ぐらいの範囲で評価されます。
ここに、例えば誰かが0点をつけてしまうと、おそらく最終3組には残れないでしょう。
(700点満点が600点満点の状態になります。ちなみに22年の最下位でも616点)

この審査方法はどうなのかな?といつも思っているのですが、ここは審査員の常識に委ねられているようです。
過去には立川談志や紳助が50点をつけたことがありましたが、幸か不幸か、仮にそれがなくても彼らは最終に残れる点ではありませんでした。

こういった評価をする場合には、取り決めとして、点数範囲は大体10~15点にしてください、などと事前に取り決める必要があると思います。
事実は分かりませんが、少なくとも2015年の再開以来、ほとんどの方が15点以内の範囲に収めていますね(一番レンジが小さいのは2020年の上沼さんで3点)。
本当は偏差値的に点数を分配しないといけないと思いますが、まあここは運用でなんとかなっています。

つまり、この解析から、彼らがつけている点数自体が(本質的に)論じられている訳ではない、と思っています。
もちろん、発端はその点数が目立ったことです。

視聴者は何を求めているのか?

逆に評価されているのは誰でしょう?
YouTubeを見ても、私の感想としても、ナイツ塙、大吉先生なんかは好感が持たれている印象です。

解析してみると、山田邦子さんよりも大吉さんの方が、他の審査員と異なる傾向で点数をつけているにもかかわらず
塙氏は、初登場(審査員として)の2018年は、その年で最も広いレンジの16点としているにもかかわらず(最高:霜降り明星98点、最低:ゆにばーす82点)。

二人がやっていることは、「点数をつけた根拠を説明している」んですよね(ここ2年ぐらいの塙氏はちょっと解説が減りましたが)。

例えば、
「持ち時間に対して時間が短かった」
「ネタの構成として変化がなかった」など。

視聴者は、審査権も審査実力もないので、「いや、時間超過ならまだしも短くて笑いを取ったならいいじゃん」と思うかもしれないですが、大吉さんの評価基準として「持ち時間」という項目がそれなりのウエイトであったなら仕方ない(仕方ないというか納得する)、という感情ですね。

現代って、調べればある程度の情報が得られますよね。
だから我々は根拠を求めている。
ただし、その軸や配分は権利のある人が決めて良い、という世論と思います。

だから、上沼さんも「ミキが好き」とかじゃなくて、
山田さんも「点数低くしちゃってゴメンね」とかじゃなくて、
単純に根拠を説明すれば良いだけだと思うんですよね。
私は絶対これは譲れない!とか。

過去には談志が「下ネタ嫌いなんだ」と言ってスピードワゴンに50点を付けましたね。
我々が期待していることってある種そういうことなんだろうな、と。

一方で、昔から活躍されている方にとっては、
そうやって根拠を全部人前でベラベラ話すってのは粋じゃないんだろうな、と感じます。
この点数で察してよ、と。
どうしたら良いかなんて知らないけど、点数低いよ、と。

この辺でしょうね。

こんな風潮を日頃、仕事をしていても感じます。

この続きはまた次回。

Have a good day!



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