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【アメリカ生活】ダイバーシティとは自分にも人にもレッテルを貼らないことだ

アメリカに来て、感じること。

  • 人の意見を求めるが、干渉はしない

  • 自由は認められているが、空気を読むという文化はある

  • 仕事は関係性に依存している

一方で、自分を俯瞰的に見ると、こんな感じ。

  • コミュニケーションは取れているつもりだが、英語が下手

  • アジア人が少ないエリアに住んでいるため、人種的に圧倒的なマイノリティ

社会的に弱者である。

別に、差別があるとか待遇が悪いとかそうゆうことではない(仕事は日本の会社から出向という大前提がある)。

それでも、感じずにはいられないこのマイノリティ感。

結局、マイノリティというのは被害妄想が誇大化する。
例えば、レストランでサービスを受けようとしたときに、期待よりも丁寧な対応でなかったとする。

それは、そもそも誰であっても高いサービスを得られない店(店員)だったかもしれないし、英語力の不足によりリクエストが伝わらなかっただけかもしれない。
しかし、感情の底に「日本人だから?」というものもなくはない。

こういう被害感なのだ。
私が日本に住んでいたとき、あからさまに外国人に悪い対応をした記憶はない。ただ、外国人と認識はしていた。
被害妄想は、きっとそういう自分の考えの鏡なのだろう。
自分にも人にもレッテルを貼ってきた生き方に気づく。

したがって、何かのカテゴリに括っている限りはダイバーシティ&インクルージョンは為せないんだろうと気づく。

女性の活躍を支援しても、外国人の枠や制度を設けても、括っている限りは、不満を感じたときに「もしかして…」という被害感は消えない。

そういうものを感じさせないコミュニケーションを探していきたいと、心から。

※画像はノウチさんより拝借しました。ありがとうございます。

Have a nice day.

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