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好きは一番の才能

暖かく、北海道にしては珍しく穏やかな今日、私は迷っていた。そう、この某大手メーカーの軽くて薄くて暖かいと噂のダウンだが、ベストを買うか、ジャケットを買うか…
袖があるかないかは大きな違いだ。もう暖かくなってきているしベストでもいい気がする、がしかし天気予報ではまだ気温がマイナスになる日もあるという。しかもこのダウンシリーズ、今日はセールの日らしい。見ると破格の値段だ。これなら来年も使えるしいっそ両方買ってしまおうか…

その後10分悩んだ私であった。

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そんな私は今、大学に入学して2回目の春休みである。大泉洋が司会の紅白歌合戦を見てもう2ヶ月が経ったと思うと驚きを隠せない。年末や年始には「今年一年の振り返り」「今年やりたいこと」のようなnoteをよく目にしたが、私は頭の中にとどめるに終わってしまっていた。今日は私が今思う、”自分にとって大切なこと”を書き留めていきたいと思う

想像力

私が日々大切にしているもの、それが”想像力”である。

中学2年生の時、長期休みの課題で読書感想文があった。そのときに読んだのが重松清さんの「ゼツメツ少年」だ。この話では何度も「大切なのは想像力」というフレーズが出てくる。

その力強いフレーズが6年経った今でも私の中に残っている。

イジメや戦争やカップルのすれ違いに至るまで、想像力だけで解決できるものでは到底ないが、想像力はある程度不可欠なものではないかと思う。

相手の立場に立って考え、自分が相手ならどう思うか、相手は今何を思っているか、想像することが大切なのではないかと思う。

想像力が世界をほんの少し優しくできたらいいなと思う。

旅をすること

今までの私のnoteを読んだことがある人ならわかると思うが、旅もまた私にとって大切だ。

理由は単純。好きだからだ。なぜ好きなのかはよくわからない。そこで出会う人、土地、ものに興味があるのかも知れない。まだ行ったことがないところに行くのが純粋に好きなのかも知れない。

好きな理由はよくわからないが私はこれからも私が好きなを大切にしようと思っている。これには理由がある。高校の時、化学の先生がくれた言葉が忘れられないからだ。

好きは一番の才能

高校2年生の時、「教師を辞め研究職に転職する」と言った化学の先生がいた。その先生が離任式で放った言葉だ。

その先生は本当は研究職に就きたかったが、安牌をとって教師になった。だが、やはり諦めきれず思い切って転職することにしたと言っていた。自分の”好き”を追い求めている先生だからこそその言葉に重みを感じた。

先生は「自分が好きだと思えることもあるし、どうやっても好きになれないこともある。それは人によって違う。だから、好きだと思える時点でそれは才能だと思う。」と言った。

それを聞いたとき、無条件に好きと思えることは何だろうと必死に考えたことを覚えている。そして行き着いたのが旅だった。見たことがない綺麗な景色の写真を見たとき、世界一周の話を聞いたとき、紀行文を読んだとき、まるで自分がそこに行ったかのように感じ、なんとも言えない高揚感で全身が満たされ、自分も旅に行きたい!!!この目で見たい!!!と言う気持ちでいっぱいになる。

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でも、本当に自分は旅が好きなのか、わからなくなるときもある。そんなときは世界一周に関する本を読むことにしてる。そうすると何回でも自然とあの高揚感がやってくる。そして、何回でもやっぱり自分は旅が好きなのだなあと感じるのだ。

コロナが流行り、海外に行くのが難しくなってしまったため、行ける範囲で国内を旅している。もちろん、感染対策はしっかりと行う。

旅をするにあたって、私は大切にしていることがもう1つある。

お金を使うこと

お金がなくては旅はできない。当たり前だ。だが、貧乏大学生の私にとってお金を使うことは勇気のいることでもある。



本筋からそれてしまうかも知れないが、ここで少しだけお金の話をしたいと思う。



大学に入学して経済格差を目の当たりにした、という人は多いと思う。実際、そういう記事も何度も読んだし、私もその1人だ。

高校までは制服や校則によりそういった格差はある程度見えないようになっていると思う。それが大学で一気に明るみに出る様な感じがする。どんな服を着るか、どこに住むか、どこでバイトするか、またはしないか、など自分で決めることが高校と比べて圧倒的に多くなるのだ。

人によって価値観は違うし、大学に行っている時点で旅に行っている時点で貧乏ではない、と思う人もいるかも知れない。でも、本当にそうかなと思ってしまう。

入学したばかりで、まだバイトもままならず大学に通い慣れるので精一杯だった頃、本当にお金がなかった。高校はバイトが禁止で貯金なんてものはなく、気がついたら次にお金が入るまであと2週間で手元にあるのは500円少々…ということもあった。毎日単価が比較的安い根菜でカレーを作った。肉は単価が高く余裕ができるまで2ヶ月ほど買うことができなかった。必死に一食分の食費を計算しながら生きた。一日が長かった。

(今はバイトの収入も安定し、ひとまず一食分の食費も計算しなくても良くなったし、スーパーで気軽に肉を買える生活を送っている。)

1度こういうことを経験すると人間臆病になってしまうものだ。生活、特に食を脅かされると人間はとてつもないストレスを感じるらしい。私はお金を使わずに貯金することばかり考えてしまうようになっていた。たしかに、減る一方の預金通帳を見るのは何にも例えがたい侘しさを感じる。

でも、私はお金を使いたいと思う。それはまたまたある人の言葉が忘れられないからだ。

お金はただの紙だから、経験に変えていきたい

これは女優の石田ゆり子さんが某テレビ番組で、パリで靴を選びながら言っていた言葉だ。とても印象的で、記憶に残っている人も多いのではないかと思う。

私はお金を使うとき、特に大きな金額を使うとき、この言葉を思い出す。旅に行くとき、飛行機のチケットを取ろうかどうか迷ったとき、この言葉を思い出す度、今持っていてもただの数字だと思わせてくれる。そして、この言葉は毎度そっと私の背中を押してくれる。

2020年の秋、カメラを買った。自分史上最大の買い物でかなり高価なものだった。でも、後悔はしていない。ずっと欲しいと思っていたものだし、カメラを買うということはそのカメラを持ったとき撮りたいと思うものや自分の感性、それにまつわる経験を買う、ということだと思ったからだ。カメラを買うとそれまで”雑草”だったものも”道ばたで生きる可憐な植物”になるから不思議だ。

旅に行って、カメラを買って、お金で買える経験というのは案外たくさんあるものだと気がついた。そして、その経験がきっとこれからの人生をより豊かに楽しいものにするのだろう。

だから私はこれからもお金を使っていきたい。

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10分後…

そうだ、こんな言葉もあったなあと思いだした。

このダウンが一体どんな経験を運んでくるのか、旅のお供にしているところをひとしきり想像した私は、この言葉にかこつけて両方買うことを決意した。

この言葉を都合良く使ってしまう自分もまた自分なのだ。

旅の資金にさせていただきます!