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タカアシガニを見てゐしは

水族館(アカリウム)にタカアシガニを見てゐしはいつか誰かの子を生む器(うつは)

坂井修一の短歌だ。
俵万智の“ あなたと読む恋の歌百首 ”にも選ばれた歌だ。

深い海の底で生きるタカアシガニ。
日の光を浴びることなく、それゆえ進化することもなく形を変えずにいる。実のところは知らないけれど、そんな感じの妙な生き物。その妙さは神秘的とも言えるだろうか。
水族館で薄暗い照明に演出されたそれは、自分が何万年も前の海の底に沈み込んだような気持ちにさせる。

そんなタカアシガニの水槽は、切ない恋の舞台にあまりに合う。

静かな時の流れの中で、彼女への想いが仄暗い水底をゆっくりと漂っている。

その想いが日の目を見ないことを彼は知っている。
目の前の彼女を、いつか僕でない誰かの子を産む器と表現するだなんて、なんと苦しいことだろう。
恋人たちのスポットで同じ時を過ごしながらも、共に生きる未来は決してないと彼は分かっている。きっとこのデートも、恋人同士としてのデートではないのだろう。彼の意識が彼女に注がれているのに対し、彼女はタカアシガニに圧倒され、あくまでも意識はそちらに向いている。

かなわない想い、双方向にならなかった想いは、進化を遂げることなく真空パックされる。

恋人になればふたりでいるからこそ出会う新たな気持ちや現実を知り、一方的だった頃の恋心は消え去り忘れ去られてゆく。

彼はその後きっと新しい人に出会い、家庭を持ち、妻や子どもと幸せに暮らしていることだろう。ただ、タカアシガニの水槽の前にいた頃の想いは、永遠に変わることなくそこに漂っているのかもしれない。だからきっと、この歌が生まれた。


想われ人は、彼の予感の通り、その後べつの男の妻となり、その男の子を産むこととなる。
彼女曰く、この歌を評する人は何人かいたけれど、大抵がピントがずれており、俵万智の評が最も真に近いということらしい。俵万智はさすがだと褒めていた。

私にとってタカアシガニは、私の知らぬ“ 彼女 ”の若かりし頃を、まるで映画を覗き見るように窺い知ることのできるタイムマシーンだ。

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