さようなら、すべての「自己肯定感の低さ」。
『自己肯定感が低い』という長年の悩みにはお別れの挨拶をしてとっとと次に行きたい!!!!
という、
よいこのみんなーーーーーーー☆
あつまれーーーーーーーーー!!!!!!
2023年3月24日 冥王星水瓶座座時代 突入
てんたまは「自己肯定感の低さ」を破壊したい
ククク…こんなに衝動が抑えられないのは初めてだぜ…!(不思議とまじでそうなってる)
「自己肯定感が低い」←なんかむずくね????
まず!
「自己肯定感が低い(or高い)」
この表現、
そもそもめちゃわかりにくくない?🤔
(てんたまだけ?)(いまいちピンと来ない)
「低い」「高い」がなんか…うーん客観的すぎるというか、景色っぽい?結果的にはそう、みたいなやつ?
だから静止してる、固定されてる感じがするというか。
それよりも
「自己否定が強い(or弱い)」
こっちの方がわかりやすくない?
自分を否定してるその自分の「動作」ってこと。
ああ自分がそうしてるからそうなんだな〜と、なんかストレートに捉えやすいんだよね。少なくともてんたまはそう。
結果でなくて動作感があるから、こっちは多少コントロールができる感じがしなくもない。
ハイというわけで
自己肯定感の低さ、とは、
自己否定の強さ、でした!
これからは
自分を否定しないようにしましょー☆
fin.
否!!!!!!!!!!!(さっそく)
まだだ…!まだ終わらんよ…!
もっともーーーーっと、終わらせたい。
使えばいいと思うよ
てんたまがいつも多用しているコレ↓
・この世のすべてはエネルギー
・あるのなら使ってしまおう
今回も例に漏れずそのへんで考えていくと〜
自己否定が強い
のならば
その「強く否定する力」を
そのままブンブン堂々使って生きてったらいいじゃない。
得意なんだもの。
てか
すでに使って生きているはず!!!ハナホジ
なのでそのままでOK!!!ハナホジ
fin.
いやホントに。マジでマジで。
てんたまはみた。実例を。
てんたまの身近にさ、
「私は自己肯定感が低いから…😭」
「自信がないから…😭」
ってよく嘆いて落ち込んでる友人がいるんだどさ、(てか落ち込みすぎて自殺未遂とかもふつーにしてるレベルの人なんだけど)
長年付き合っていく中で、その波を側から観察してるとさ、
「〜じゃないといけない」
「〜だからダメ」
「〜は許せない」
という否定形の動作をすることによって、
自分のやりたいことを見つけていってたり、
困難から逃げずに努力していたり、
マジでそういうかんじの人なんだよ。
相当強いなこやつ…!!!って驚く。
否定のエネルギーによって、まるで何かを蹴っていくように、前へ進んでいける。
(ただ、調子が悪いときはその矛先が自分自身に向いてしまう)
そういう性質の人、存在する!!!!!!
机上の空論じゃないよ!!!理想論じゃないよ!!!てんたまは実際に見たので!!!!!
(これ読んでるあなた、心当たりない?)
(周りにこういう人、いたりしない?)
なので、ここらでいっぺん、
否定の力それ自体が悪いわけじゃない!!!!!!!!!!!!!!!!
ってことを声を大にして言いたくて。
たとえば、目的地を「愛」に設定したとて、
そこに行くための道はみんな違うんよ。
よーいスタート!で回れ右してまったくの真逆へ走って行っても、ぐるーーーーんと回って結局同じ何かに辿り着けたりする。地球は丸いので。
人を許しましょう(肯定のエネルギー)
人を恨んではいけません(否定のエネルギー)
ね!どっちも結局同じじゃん。
「否定形」という、エネルギーのタイプ、ってだけなの。
ならば、自分が得意な方を、自分や他者が幸せになるために、堂々と!使いまくれば、それでいいんだよ。
だって、この世のすべてはエネルギー。
見渡してみて。そういうもので溢れているじゃない。いろんなエネルギーがあるからこそ、豊かに生活できているじゃない。
お布団ではニンジンを切ることはできない。
→包丁の出番☆
(あるがままの姿を否定するエネルギー)
包丁の上では眠ることはできない。
→お布団の出番☆
(あるがままの姿を肯定するエネルギー)
お布団も包丁も、どちらも超ありがたい🙏
だからさ、
助け合っていこう🤝
この世のすべての問題は、エネルギー問題。
否定するエネルギーが強大すぎて有り余ってて、そのエネルギーの使い所がわからない…
→とりあえず自分をサクサク否定😭
これがきっと、
自己肯定感の低さ(自己否定の強さ)の正体
そして問題になるのは「否定」だけではなく。
「肯定」のエネルギーだって、強大すぎて有り余ってると自分が肯定したくないものも受け入れてしまう😭ことだって起きる。これだって生きづらさの一つ。
そこに否定マンが、「オラーーー!!助けに来たぞーーー!!クソったれがァァァーーーー!!\ズバーーーーーッ!/」って切り込んでくれたなら。
そんな否定マンが自己否定に陥った時には、肯定マンが「おかげで助かってる!否定の力ってすごいんだよ!ありがとう!💖」ってすべて包み込んで肯定して受け入れてくれたなら。
一人一人が、目の前の人に、
そして自分自身に対しても、
そうやって救い合うことができる世界になったなら、いいなーーーーー!!!
って、てんたまは思うんだよね。
シンプルだし、ただの夢物語だし、
そう動くってことは難しくても、
そうイメージをするってことぐらいなら、できる!
まずはイメージしてみて。
絶対にみんな、
肯定マンと否定マン、両方持ってる。
んで、私はこっちが断然元気!とかがあるなら、それを大盤振る舞いすればいいってこと。
(てんたまは肯定マンがめちゃ元気だからこういう記事を書く)(皆こういう方向性の発信をすればいいのになんて微塵も思わん。てんたまはこれしかできないからやってるだけ。ハナホジ)
だからもうさ、
自己肯定感が低い=生きづらい
自己肯定感が高い=生きやすい
こんな紐で、テキトーにまとめて、未だに縛りあげて手を取り合えない世界は、
もうそろそろ、いいんじゃないかな!!!!
カタチあるもの、かならず壊れる。
言葉だってきっとそう。
たくさんの人がたくさん使って、
もう古くなっちゃったその言葉の縛りも、
いよいよ\パァン!/と弾け飛んじゃって、
それぞれのエネルギーが一斉に!!!
元気いっぱいに!!!
自信満々に!!!
「愛のための自分の道」を進む様を!!!
てんたまは、見たい!!!!!!!!!!!
そういう個人的な願いを叶えたくて、この記事を書きました。
はい、ワガママでーす。( ◜ω◝ )テヘペロニチャア✨
読んでくれて、ありがとねーーー❣️
まぁこんな記事でもなんかの参考になったらさ、いつかどこかで、あなたのさ、
「自己肯定感の低さ」から抜け出した真のチカラ!!!!💪
みたいなやつを、てんたまに見せにきて❣️
楽しみに待ってまーーーす❣️
あそうだ。
「自己肯定感の低さ」
にも、ちゃんとお礼のお手紙書いとこかな。
「自己肯定感の低さ」へ
今まで、おつかれさまでした。
何年もの間だったでしょうか。
短かったような、長かったような。
これまでずっと、
たくさんの人たちを、
本当にありとあらゆる生きづらさたちを、
ただ、その一身で、受け止めて、
ずっと、支え続けてくれたんですね。
ぎゅっ!!!!!!!っと
みんながこぼれ落ちないように、
その腕で抱きしめてくれていたんですね。
こんなにボロボロになるまで、
頑張ってくれていたんですね。
ありがとう。
たくさんの人の人生を、
その腕で守ってくれて。
本当に本当に、ありがとう。
これからは、
あなたがいなくても、皆きっと大丈夫です。
一人一人が自分のエネルギーを信じて、
もっともっと自由に動いていけるはずです。
あなたが守り抜いてきたからこそ、
今こうして傷が癒えた人たちなんだから。
てんたまはそう、信じています。
またどこかの宇宙で、
あなたに出会ったときは、
「まだおったんかいワレ\ズコーッ/」
って思うんだろうなぁ〜!
てんたまはそれを密かに楽しみにしています。
それまでは、ここで、お別れです。
ありがとう。
さようなら。
愛してるよ。
てんたま
(てか土曜に『グリッドマンユニバース』観に行ったんだけどその余韻で泣きながらこの記事を書く羽目になってしまいなんかもう大変だったキッツ)
(テーマソングとその歌詞でお察しください)
fin.