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地獄行きの小舟に乗って-「タイタニック」とオッフェンバック-

※この文章には、映画「タイタニック」結末部分の内容が含まれています。
※オペラ『ホフマン物語』について、この文章は概ねケイとケック版に基づいています。



概要

  • 映画「タイタニック」にはジャック・オッフェンバックの曲が2曲使われている。

  • この2曲はオペレッタとオペラであり、両方とも舞台作品の一部である。

  • 舞台作品やその原作の内容を鑑みると、この二曲は「タイタニック」という作品に完璧に合致した素晴らしい曲選びになっている。

  • でも特に公式側からの言及を見つけていないので全部ただの妄想かもしれない。

前置き

「オペラを趣味にすることによってどのような利点があるか」という旨の質問をされたときに、わたしは例として、映画「タイタニック」の中に引用されているオッフェンバック二曲の話をすることが多いです(厳密には片方オペレッタですが)。

オペラはピアノ曲や交響曲と違って、必ずストーリーが付随しています。前奏や間奏でなければだいたい歌詞もあります。だから、映画などの作品に引用されるときは、純粋に音楽的な魅力で選ばれている場合と、ストーリー内容を意識して引用されている場合があると思ます。
後者の場合、映画を観ていてふと流れてきた音楽がオペラだった時、基作品における内容や場面が連想され、「このキャラクターは今こういう感情なのかな」とか、「このお話はこのあとこう展開するんだな」みたいなことが分かったりします。便利です。
別にオペラに限らず色々な分野でおこることだとは思うのですが、それなりに歴史があってメジャーなので広いジャンルの作品で役に立ちます。
というわけで世間的なイメージ(?)よりは割と実用性のある趣味だと思います。別に趣味に実用性を求める必要もないとは思いますが。

『天国と地獄』フレンチ・カンカン

『天国と地獄』は、タイトルが日本独自のものになっていて、一見してどんなお話か分かりません。原題は『Orphée aux Enfers』。直訳で『地獄のオルフェ』と表記されることもあります。

この曲は、本当にいろんなところで流れるので大変馴染みのあるものだと思います。だいたいどこの運動会でも使われてるし、この間「リトル・マーメイド」の1と2を見たら両方で追いかけっこの場面に引用されていました。

たぶんオッフェンバック作品の中で一番有名な曲ではないでしょうか。

オルフェウスとエウリディーチェ

『天国と地獄』は、原題を見れば明らかな通り、ギリシア神話のオルフェウスとエウリディーチェの物語をベースにしています。
めちゃくちゃ雑に要約すると以下のような物語です。

歌のパワーがすごい詩人オルフェウスとその妻エウリディーチェは仲良く暮らしていたが、ある日エウリディーチェが毒蛇に嚙まれて死ぬ。嘆き悲しんだオルフェウスは危険を顧みず、冥界から彼女を取り戻すことにする。深い地の底に下っていき、色々あって(主に歌のパワーで)冥府の神ハデスさんからエウリディーチェを返してもらうが、その時、
「完全に地上に出るまでけして後ろを振り返ってはいけない」
と条件を付けられる。
オルフェウスとエウリディーチェは地上へと昇っていくが、最後の最後にオルフェウスはエウリディーチェがちゃんとついてきているか心配になって振り返ってしまい、その瞬間彼女は冥界の底に堕ちていく。
結局一人で地上に帰ってくることになったオルフェウスは……なんかそのあとけっこう歌のパワーで色々ある。本当に色々あって最終的に琴座になる。

このオルフェウスとエウリディーチェの物語は、オペラ世界では死ぬほど擦られています。
まず現存する最古のオペラ作品と言われているのが、1600年初演のペリによる『エウリディーチェ』なので、大体のオペラ史がこの物語からスタートすることになっています。
基本的に歌のパワーでぶん殴る話なとこがオペラとの相性が良かったのか、その後めちゃくちゃな本数作られ、現存しているものだけでもかなりの数になります。キスよりすごい音楽って本当にあるんですよ。
Wikipediaに「オルフェウスのオペラ」というそのまんまなリストがあったので貼っておきますが、錚々たる名前が並んでいますね。

で、ちょうどオッフェンバックが活躍していた頃、グルック作品『オルフェオとエウリディーチェ』(1741)のリバイバルブームが起こっていました。1859年にはベルリオーズによる新版が作られたほどです。

オッフェンバックはパロディで鳴らした人なので、この題材を見逃すはずがなく、ベルリオーズ版初演の前年である1958年、とんでもないドタバタコメディを作り上げました。

この曲は、地獄の底で行われるどんちゃん騒ぎのパーティー曲なので、非常に明るいです。この演目を聞いて、オッフェンバックは「速い曲と高い音はなんか面白い」と思ってたフシがあるなあと思っていたんですが、この曲は特に「速いとなんか面白い」で書いたんだろうなと思います。
そして、「速いとなんか面白い」が人類に割と共通していたためか、この曲は無声映画時代の追いかけっこシーンの曲として定番化し、そのまま現在に至っているようです。実際面白いんだから仕方ないよな……

↑速いとなんか面白いやつ

『天国と地獄』は徹底的な喜劇ですが、二人が迎える結末が基の作品と違うわけではありません。
ペリ版やグルック版が真面目な顔をして基となったギリシア神話を無視し、エウリディーチェの救出に成功するハッピーエンドを迎えているのとは対照的です。

「タイタニック」のローズがジャックを救出しに船底へ降りていく場面は、男女が逆転したギリシア悲劇の再現になっています。
ローズは、オルフェウスよろしく「地獄」からジャックを助け出し、二人で「地上」を目指していきますが、このカップルが迎える結末は既にここで示されているのです。

『ホフマン物語』ホフマンの舟歌

『ホフマン物語』は、オッフェンバックによる唯一のオペラ作品です。
ドイツの作家、E.T.A.ホフマンがたくさん書いている「不思議な女に魅入られて男が破滅する」系の物語3つを合成し、主人公の男の枠にホフマン自身を置き、詩人ホフマンが過去の恋愛遍歴を語るという枠物語のような構造に作り直した作品です。基本的に過去話で進行して最初と最後に現在軸になるという構造自体が「タイタニック」にちょっと似ていますね。
使われている物語は、「砂男」「クレスペル顧問官」「大晦日の夜の冒険」の3つ。
「砂男」は、機械人形オランピアと、彼女に恋をして破滅したナタナエルの物語で、バレエ「コッペリア」の原作でもあります。
「クレスペル顧問官」は、歌うと死ぬ奇妙な病に侵されていながら、歌うことから逃れられなかった歌姫アントニアの物語。
「大晦日の夜の冒険」は、ヴェネツィアの娼婦ジュリエッタに鏡像を盗られるという、シャミッソーの「影をなくした男」の二次創作的に書かれた物語。

ダイヤモンドと女

この作品でもっとも有名な曲と言えるのが、ジュリエッタ幕の冒頭で歌われる「美しい夜、おお、恋の夜よ」、あるいは「舟歌」「ホフマンの舟歌」と呼ばれる曲です。舞台がヴェネツィアなので舟歌なんですね。
歌詞はだいたいこんな感じです。

美しい夜 おお 恋の夜よ
われらが陶酔に微笑みかける
昼よりもなお甘美なる 美しき恋の夜よ

時は流れて帰らず われらが愛を奪い去る
幸せなこの場所から 遠くへと奪ってゆく

燃え盛るそよ風よ われらに愛撫を注ぎ給え
燃え盛るそよ風よ われらに接吻を施し給え

ホフマンの舟歌

甘く刹那的で、少し不穏な感じも漂う歌詞です。車でのシーンにかけていただいても問題なさそうです。
この歌は、ソプラノとメゾソプラノ、女声ふたりの二重唱です。

ガランチャ×ネトレプコ版

ソプラノを歌っているのは娼婦ジュリエッタ、メゾソプラノは少々ややこしいんですが、この場面ではホフマンの友人・ニクラウスです。
このニクラウスというのは、女声が演じる男性役、即ちズボン役の一種なのですが、ただの男性でなく、詩の女神・ミューズが変装している姿です。なんでそんなことになっているかというと、ホフマンが現実世界の女にうつつを抜かしているので、対策として男装して行動を共にすることにしたからです。どうしてその理由でその判断になるのか分かんないんだよな~

その前提の上でジュリエッタ幕が開いたら突然ホフマンがうつつを抜かしている女といちゃつきながらねっとり二重唱してるから更にわけわかんないですね。なんでお前が娼館をエンジョイしているんだ。

同じ旋律が、幕の最後にジュリエッタがホフマンから鏡像を奪って小舟で去っていく場面でも流れています。

まず「舟歌」っていうのがタイタニックポイント高くて、かつ最後に小舟に乗って去るって言うのもタイタニックポイントが高いと思います。

そして重要なのが、ジュリエッタ幕は「ダイヤモンドを巡る物語」であるということです。

『ホフマン物語』には、全編通して、ホフマンの恋路を邪魔しに来る男、「悪魔」が登場します。彼は幕によって名前や肩書きが変わるのですが、ジュリエッタ幕では魔術師・ダペルトゥット船長として登場します。悪魔で魔術師で船長。情報が渋滞している。
船長が持っている立派なダイヤモンドに目が眩んだジュリエッタは、ホフマンを誘惑し、鏡に映る像を奪い、引き換えにダイヤモンドを得るのです。

圧縮マジックが過ぎるとは思うのですが、ジュリエッタ幕は

  • 芸術家志望の男とダイヤモンドを与えてくる男の三角関係

なんですよね。
この辺りを鑑みると、これ以上に「タイタニック」に相応しい曲もないような気がしてきます。いえ過言です「My heart will go on」が一番相応しいです。

最終幕、錯乱したホフマンは、恋人である歌姫ステラに向かい、このように発言します。

きみはオランピアか?
壊れた……
アントニアか?
死んだ!
ジュリエッタか?
地獄に落ちた!

※三人のヒロインとステラは同一歌手が演じることがある

悪魔の命令に従い、ダイヤモンドを得たジュリエッタは、どうやら小舟で去っていったあと地獄に落ちたようです。

この辺りが、救助されるのを待ちながら、「訪れることのない神の赦し」を待ったというローズの台詞と重なります。

しかし、ローズはジュリエッタとは実に対照的な選択を行った人物です。
彼女は(文字通り)ダイヤモンドを放棄します。

この辺りは、時代の流れでヒロイン像が変化していることも見えて面白いなと思います。

おわりに

実際のところ、「タイタニック」においてなんでオッフェンバックが使われてるか、公式からの言及が見つけられなかったため、よく分かっていません。とりあえず、実際にあの年代・あの編成・あの環境で演奏されてても不自然ではない曲であることは事実です。
なので、もしかしたら、実際にどんな曲が演奏されたかがある程度分かっていて、その中から適当に旋律の気に入ったものを採っているというだけなのかもしれません。
でも、ちょっと二曲とも演目があまりにも作品の内容と合致しているため、意図して選んでるんじゃないかなあ……と思った次第です。
なお、映画で演奏を行った「I Salonisti」が出しているタイタニック号のレパートリーのアルバム「And the Band Played On (Music Played on the Titanic)」には、オッフェンバックは入っていませんでした。オペラ関係からは、『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲が入っているようです。親の間奏曲より聴いた間奏曲……
『カヴァレリア・ルスティカーナ』はあんまり作品内容と合致していないので、そっちを使わずにオッフェンバックなのはやっぱり意図的に選んだんじゃないかなあ……

わたしは初めて「タイタニック」を見たのが、偶然にも『ホフマン物語』にドハマリしていた頃でした。なので作中で音楽が流れたときの脳汁の量がすごく、知っている曲がここぞというところに引用されるとこんなに嬉しいものなのだなあと実感しました。映画も面白かったし二倍くらいのお得感。

でも逆に「タイタニック」観た人が『ホフマン物語』や『天国と地獄』を鑑賞しても、同様のお得感は生まれると思うんですよね。

特殊な例かもしれませんが、こういう映画の観かたもある、というところで、作品鑑賞の一助になれば幸いですし、「好きな映画に出てきた作品」から入るというオペラの入り口もあるのかなーと思ったりします。


まあここまで全部妄想の可能性もあるんですが……

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