見出し画像

休暇 #とは

休暇とは、何だろう。
休日ならわかる。社会人なら仕事がない日だ。人によって土日だったり、週に2日あるものだったり、4週間に8日あったりするものだ。そして休日なのに休日たりえない場合もある。それは大概入っている用事が仕事のような義務に姿を変えた時だろう。

では休暇は?休むに暇と書いて休暇。調べてみたら休日は定められたもので、休暇は休日以外の休み。

とはいえ『休暇』という単語に対する感覚は似ているようで違っていて、休日はただ来るものだけれど、休暇は『休みをやる』という能動的な行動が伴うものだとなんとなく思っている。そこに労基法とかはあんまり関係ない。

そして僕はいま、休暇を頑張っている。
元からこの時期は色々な有象無象があって気疲れしてダウンしていることがしょっちゅうだった。今年度は禍がやってきてあらゆる行事とか催しをさっぱり更地にしていったから僕らは宙に飛ぶ電波越しに交流しなければならなくて。例年と比べたら変な心地の10月は、結局はいつもと変わらない絶不調のまま。けれど少しだけ年を重ねて対処法が身についてきたから白湯を飲みつつホットカーペットの上でくつろいでいる。

くつろいでいる……と書いたけれどそこまで至るのは結構難しい道のりだった。在宅勤務中にストレスから号泣するのが毎回になってきたことを皮切りに、それでも集中を保つためにセルフビンタを行ったり……
いやほんと、セルフビンタ本当にやめた方がいいですよ。確かに痛みで一瞬パリッとしますが仕組みが手首バッサーと同じなので。
「いつ終わるんだろう」と在宅の終わりどころか人生の終わりについて思索にふける(もちろんそれがよくないこととはわかっていつつも)毎日が過ぎていったので、そろそろ追い病院する決意と自分に課した目標の一部を先延ばしにすることで、精神的な面の手を打ったのだった。

それによって少し時間的な余裕ができたので、蒸気のアイマスクを買い込み、某芸人さんのキャンプ動画を延々流し続け、ぬるい風呂に長めに入り、白湯で身体を温めつつ、ソシャゲの周回をほどよくやって寝る生活をしている。

以前は夜中に主に創作活動をしていたのだけど、きっぱり『やりたくなったらやる』だけに絞った。その生活に慣れたのか、はたまた頭も身体も限界になっていたのかゆるやかに夜中の創作活動はなりを潜めていった。
このままもしかしたら二度と攪拌棒が持てなくなるかもしれないな、とは正直うっすら思うことはあるけれど、きっといつかまた速度が出る日が来るんじゃないか、とも思っている。
簡単に言えば、今までもそうしてきたからだ。今思うと抑うつキメてた大学1年の春休みだって、大学が始まったらまた部活で物語を書いていた。きっと、たぶん作らずにはいられない性分……というか、近い言葉で形容するなら創作は『腐れ縁』みたいなヤツなんだと思う。

だからっていくら腐れ縁が近くにいても四六時中創作ができるほど自分は精神も身体も丈夫ではないので、『休みをやる』休暇が必要だったんだと思う。そして、決定的に壊れる前にそれが用意できた。ここの部分は自分を褒めたい。

何もしない、眠気を待つ休暇の夜中は少し寂しい。
腐れ縁が「そろそろ遊ばないか」と少し気まずそうに誘ってくるんだけど、「今日はやめておくよ」と今日も手を横に振っている。
後ろ髪を控えめに引っ張ってくるのは決して嫌じゃない。だって、少なくとも創作が嫌いになったわけではない証だから。

noteを書いていたら、今日だけは少し腐れ縁に振り向いてもいいかな、と思い始めた。やはり何か行動することが呼び水になるらしい。ついでにデザフェスも行ってみようかな、とか思い始めた。楽しい情報のインプットは大事だ。たとえ、情報過多で頭が混乱しても、何かしらの突破口になるかもしれない。勿論感染対策を全力で行った上で、の話だけれど。
このままぼんやり薄れて創作欲を失っていく可能性もなきにしもあらずなわけだから、後悔しない選択をしたい、と思っている。

休暇とは『休みをやること』だと思う。
人によって休みのやり方は違うけれど、僕は僕なりの休みをやっていきたいと思う。
さて、ペンを置いたら何をしようか。寝床に入るか、それとも攪拌棒を取るか、はたまた別の事柄か。


おそらく、ソシャゲを周回して寝床に入るだろう。
何せ、休暇とはそういうものだから。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?