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甲州街道沿い神社仏閣巡りっす。 16

ついに山梨に入りました。甲州街道は神奈川エリアが短いので、と言っても先が見えないのでそこそこ歩いた感じはしますが。ここからがまた未開の地。仕事で甲府には何度も行ってますが途中が全く未知。武田家いざっ!

またもや旧甲州街道に入りそびれる

ちゃんと画像撮ってるのに・・・。この「下小渕下」を降らずにそのまま真っ直ぐ進み20号直進。この頃は旧甲州街道の方に神社仏閣が多い事を知らず。それはどうにかなるでしょうとバイブルを持たずに行動。それはバイブル「ちゃんと歩ける甲州街道」を岡山の自宅に忘れてしまったから・・・。

これは見落とす事はしなかったが・・・

リターン

結果、中央道の下を潜り国道20号と神奈川県道・山梨県道520号吉野上野原停車場線(名前長い)がぶつかる所から旧甲州街道を戻るという二度手間。このぶつかる「新町」のY字路から上野原の街が。しかし戻ります。行ってきます。

高速道何かの工事中

疱瘡神社

手入れがされている境内

この「疱瘡神社」様。昔、天然痘が流行った時に疫病退散!として創建。
江戸時代に諸国を巡っていたお婆さんがこの地区で倒れ
「疱瘡神を祀れば疫病から逃れられる!」と言って亡くなりました。

お婆さんの出身地である福井県の「孫嫡子神社」から疱瘡神を勧請。
こちらには「疱瘡婆さん」の木像が祀られてます。
最近、コロナ退散としてお賽銭が増えていたとの事。歴史は巡ります。

で、この神社の奥には「塚場」の一里塚の跡があります。こんもりした所っすね。
こちらの神社は地元の氏子さんの組織がしっかりしていて
管理されているなと感じました。組織表がありました。

御祭神:疱瘡神
創建年:1661年(萬治四年)
住所: 山梨県上野原市上野原

諏訪神社(上野原)

以前は何かを支えてた?

平安時代末期の創建。
元は鎌倉時代にこの地区を治めていた「古郡氏」の氏神でしたが滅亡後に「上原上野介義実」さんが再建。何か上野原の地名みたいなお名前で。信州「諏訪大社」を勧請して諏訪神社に。

鳥居には諏訪神社の額が、拝殿には古郡神社が。歴史を感じます。

武田信玄が訪れたと。来ましたねー♫冬の小田原攻めと三増峠の戦いで疲弊した家来らが神社の壁を破壊し燃やして暖を取ったと言うシーンが新田次郎の小説「風林火山」で出て来るらしいです・・・読むかー。

実に雰囲気の良い境内です。御神木の存在感から本殿のユニークなキャラとか。これに歴史も感じられ結構長居しました。

御祭神:建御名方命
創建年:1145‐1150年(久安年間)
住所:山梨県上野原市上野原210

慈眼寺(上野原)

愚痴聞地蔵尊

この後登場の「保福寺」の末寺。こちらが面白いのは「愚痴聞地蔵尊」様がいます。このお地蔵様が最高です♫大きい耳をこちらに向けております。

私、日頃耐えて過ごしているのでしょう。この公式愚痴放出ではたっぷり愚痴らせて頂きました笑 声に出して愚痴る訳ではありませんが次から次へと出て来ます。本当にすっきりしました♫皆さんも是非。

このお地蔵様は全国各所に祀っても良いんじゃないかと思います。鐘の無い鐘楼は戦時中に提供したとの事。

宗派:曹洞宗
山号:護國山
本尊:十一面観世音
創建:1602年(慶長7年)
開基:桂岸祖仙
住所:山梨県上野原市上野原160

船守寺

船守弥三郎

こちらには「船守弥三郎」の碑が。この人は何をした人かと言うと・・・日蓮宗の開祖「日蓮」が浄土宗開祖「法然」批判で北条氏の怒りを買い伊豆に流罪。その流罪時に日蓮を保護したのが「船守弥三郎」さん。wikiではバッサリと根拠がないと切ってますが。

本当でしたら日蓮宗を救った人という事で。

「船守」の性は日蓮から助けてもらったので頂いた性で元々は「上之原」性で上野原の地名の元に。船守弥三郎さんは上野原の出身者。小さな寺院です。境内狭く画像が正面から撮り辛いですが。

宗派:日蓮宗
山号:上原山
本尊:十界曼陀羅
創建:1955年(昭和30年)
開基:?
住所:山梨県上野原市上野原185-3

参拝の飯 上野原「来々軒」

上野原の人気店ですね。アットホームな雰囲気。閉店前に入店しましたがその後にも入店客ありました。チャーハンと餃子を。玉子が入ってないんすね。お店では初かな?美味しいです。塩梅が丁度良いです。

ここでドラマが。一通り食べて帰り際に店主からスープが。・・・先程飲み干したけど?と怪訝な顔をしていたら「寒いんで飲んで温まって下さい!」と。再訪確定。混ぜソバも美味しそうでした。店主、ラグビーやってました?な体格でいつかスクラム組みましょうか?あ、俺バックスだった。

チャーハン


この回はもう一つ続きます。
では今回はここらで。


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