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小さな事故が事件に変わるまで(4) 一般市民の民事裁判初体験記【5】自転車は空を飛ばない

2017年年10月25日(水)18時頃
帰宅した妻が庭で、Y氏より話しかけられる。
「修理の方、どうしましょうか」とでも言ってくるのかと思いきや、まったく想定外のことをこの御仁は語って来たのであった。

Y氏「あんなぁ、また台風くるやん。この前(お宅の)自転車飛んできて、(うちの車の)バンパーやったから良かったけど、気ぃつけてな」

言われた妻は驚いたが、「(うちの自転車が)当たったの?」と、すぐに問いかけた。それに対して、

 Y氏「すごい音して、(外を)覗いたら、自転車倒れてて、次見たらなかったから移動させてんなと思ってん。お互い、風の被害者やなぁ」と答えたのであった。

その場を辞した妻は即座に私と長男に連絡し、真偽を確かめた。もちろん、両名とも即座に否定である。自転車が倒れたことはその通りだが、決して飛んではいない。止めていた場所に倒れただけだ。

バンパー検証4 (2) - コピー

考えてみてほしい。この写真のように飛んだとしたら、ぶつかった車のバンパーには大きな傷が付いているはずだし、自転車もひしゃげているはずだ。

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 この写真は後日、うち弁護士さんの依頼で撮影したものだ。

ところが、現実は、車のバンパーには傷はないし、自転車もひん曲がってなんかいやしない。

 この日、私は生憎、出張中だったのだが、帰宅次第、Y氏を詰問すべきであったと後日、大いに悔やんだものだ。だが、この時点では、私も、妻と同様に、Y氏との間に事を荒立てないということを最優先としていた。今から思えば、それ程の温情を掛ける必要のない人物だったのだが、その時の私たち夫婦にはそのことを知る由がなかったのだ。

 このバンパーの一件が、この事案の解決をこじらせにこじらしていくことを我々は知る由がなかった。

この時点では、私も妻も、猛烈に怒るというよりも「この人は、変わったこと言うなぁ」ぐらいの感覚だったのである。まさか、こんなにややこしい人だったとは思わなかった。10年の近所付き合いといっても、あくまでも上っ面の表面的なものに過ぎない。人間の本質というのは、なかなか分からないものだ。


 もし、タイムマシンがあって、このタイミングに戻れるなら、私はY氏を思いっ切り、問い詰めるだろう。「どこに当たったというのだ!」と。

 妻にも当たっていないと具体的に強く伝えておかなかったことも悔いが残るところである。妻も知っていれば、即座にその場で、強く否定ができたであろうに。でもなぁ、風で倒れた自転車を起こしたぐらいのことを、いちいち細かく、妻に報告するなんてことはその時は考えもしなかった。私はと言えば、その週の出張の準備に追われまくっていたのだ。自転車を起こして、すぐに家に入り、デスク(仕事)に戻っていた。

それこそ「・・・ぐらいのことで」だったのである。

 さて、とはいえ、Y氏の奇襲を受けて、妻は、「えっ?(違うとは思うけど)そうなの?」という空気を発してしまった。決して、受け容れたわけではない。だが、これをY氏は自分の言い分が届いたと解釈したのである。

 これまた今にして思えば、百万歩譲って、自転車が飛んで来て、自分の車のバンパーに当たったとしよう。そうであったら、「ここよ!」と当たった場所を明示するものだ。ところが、この御仁は、それ(証拠)もなく言うだけ。

 こういうのを関西では「ハッタリをかます!」と言う。
私と妻は、10年来の隣人がこういうことをする人とは夢にも思わなかったのである。

 Y氏の本性が表に出はじめだした。

つづく


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